道徳の模擬授業で考える(長文)

小学校の夏休みの現職教育で、道徳の授業研究のアドバイスを行いました。

この日の模擬授業の授業者は講師の先生でした。採用試験の2次試験がまだ終わっていないこの時期に、講師の方が研究授業を引き受けるというその意欲に感心しました。

この日の読み物資料は、お祭りに行った主人公が友だちと輪投げをやり、もう1回やろうと誘われて、サッカーボールを買おうと大切に貯めていたお金に手を付けるかどうか悩むというものです。
授業者は、資料を配り範読をします。落ち着いて読みますが顔が資料から上がりません。子ども役も下を向いてじっと資料を見たままです。少し間を取りながら、子どもたちの様子を見るようにするとよいでしょう。
資料を読み終ると、子どもたちに内容の確認をします。「おかあさんにお小遣い、いくらもらった?」と聞いて、一部の子どもたちから「1,500円」と声が上がるとすぐに板書をします。ここはテンポよく進めたいところですが、すぐに反応できない子どもは置いて行かれてしまいます。子どもたちをよく見て、参加できているかを確認することが必要です。
道徳は国語と違って読み取りをすることが目的ではありません。できるだけ早く内容を把握させて、その日の課題に取り組む時間を確保することが大切ですが、だからといって、内容把握を一部の子どもだけで進めていくのも違います。多くの先生が、資料を配らずに範読し、ポイントとなるところで立ち止まり、子どもたちに確認をし、必要なことを板書して残しておくというやり方をしています。子どもたちを集中させ、内容を素早く理解させたいからなのです。

授業者は、この後も「サッカーボールの値段はいくらだった?」と一問一答を繰り返しながら内容を確認していきます。お母さんから小遣いをもらって、貯めていたお金と合わせてサッカーボールを買える金額になった時の主人公の気持ちを問いかけます。淡々と進めるので、子ども役は客観的に意見を言います。ここは、本文の「ずーっと前からほしかった」「一年経ってやっとたまった」という言葉を強調して、お金を「大切にさいふにしまった」気持ちを考えさせるとよかったでしょう。「君たちならどう?主人公の気持ちわかる」と自分に引き寄せさせることをしてもよいでしょう。
授業者は子どもの発言を板書しようとしますが、指導案とホワイトボードを交互に見ているために、挙手している子ども役に気が付きません。この場面に限らず、子どもたちが参加できているか、どのような状態かを見ることを意識する必要がありました。
場面ごとにこのようなやり取りをしながら進みますが、短い資料にもかかわらず内容の確認が終わった時には授業開始から16分経っていました。

友だちにもう1回輪投げをやろうと誘われた時の主人公の気持ちを考えさせます。ここまで、内容確認で出た意見は受容して板書していましたが、子ども同士の考えをつないだり、揺さぶったりする場面がありません。子ども役からは積極的に考えようとする意欲が感じられませんでした。受け身の時間が続いているので、集中力を失くしてちょっと伏せる子ども役もいます。なかなかの名演技ですが、授業者にはそのことに気づく余裕はありません。
3人の子ども役の手が挙がると、すぐに授業者は指名します。「どうしよう、お祭りの分を使っちゃったのに」という発言の後に、「やりたいけどサッカーボールが買えなくなるから困ったな。でも友だちの誘いは断われないし困った」という意見が出ました。これは主人公の葛藤の要因をきちんと整理した意見です。この考えを全体で共有することが次につながっていきます。授業者はこの発言を「困ったな」の一言でまとめて、板書で整理しました。いつも授業者がすぐ板書してしまうと子どもは友だちの意見を聞かなくなり、考えることをしなくなります。授業者は「違う意見の人はありますか?」とたずねますが、だれも反応しません。「今、○○さんは困ったと言っていたけれど、何に困っていた?」と他の子どもに問い返し、2つの要因があることを子どもたち自身で整理させる必要がありました。

子ども役の先生方は集中力を失くした様子を見せますが、授業者は淡々と進めていきます。指導案を気にして確認する時間が多いため変な間ができ、テンポが悪くなっています。
「もし自分が主人公ならどうしますか?」というこの日の主発問をしますが、ここまでにすでに授業時間の半分近くを使ってしまいました。
ワークシートを配って名前を書かせます。「名前を書いたらこちらを見てください」と指示を出します。この授業で初めて子どもたちに授業者に注目することを求めました。続いて主人公だったらどうするかとワークシートを配る前と同じ説明を繰り返し、「前のこととかも考えて」と言葉を足しますます。「前のこと」とはどういうことかよくわかりません。それに続いて、自分の考えを書いたらグループの人と話し合うようにと指示をします。同じ説明はムダですし、さっき聞いたと集中力が落ちてしまいます。ワークシートにも書いてあるのであまり意味はありません。また、話し合うと言っても何を話し合えばいいのか、またその目的や目標もわかりません。不明確な指示です。まず5分あげるので、あなたが主人公だったらどうするか書いてくださいと指示をして作業を始めようとします。指示が個人とグループを行ったり来たりしています。個人でやること、そのあとグループでやることを明確にしてから、ワークシートを配り作業をさせるべきだったでしょう。

子ども役から「前のこと」とは何のことかと質問されます。よい指摘です。授業者はもう一度黒板を使って話の流れを確認します。最後に「前の時」にはというのは、今友達にもう一度誘われて困っているけれど、それより前の氷を食べた時や最初に輪投げをやった時などにどうすればよかったのかも考えてほしいということだと説明します。単純に、「ここまでにもいろいろどうしようかと思う時があったはずですが、その時も含めてあなたならどうするかを考えてください」と発問すればよかったと思います。質問した子ども役は「どうすればよかったということですか」とつぶやいて作業に入りました。
すぐに子ども役から、「どちらにしようか迷っている時はどうするの?」と質問があります。授業者は「両方とも書いてください」と言って作業が始まりました。「悩んでいるんだ。考えているね」と悩んでいることを価値付けしたいところでした。

作業中に「理由も書くんですか」と問いかけられます。授業者は「理由も書ける人は書いてください」と質問した子ども役に返しますが、全体にはきちんと伝わっていません。最初に指示すべきことでしたが、ここはいったん子どもの作業を止めて改めて指示する必要があったでしょう。頭を抱えてなかなか手が動かない子ども役がいます。授業者は全体を見ていないので、気づきません。机間指導しながら個別の手元を見ていて、なかなか顔を上げて見ることができませんでした。

どんな意見が出たか班でまとめて、小型のホワイトボードに書くように指示します。子ども役から「一つにまとめなくていいの?」と質問がでました。授業者は一つにまとめなくていいと答えましたが、班で「まとめて」という言葉はいろいろな意味に取れます。出た意見をいくつかに集約するという意味にも取れますし、ただ単にバラバラの意見を1枚にまとめて書くという意味にも取れます。出た考えを全部ホワイトボードに書くように指示すればよかったでしょう。しかし、そうするとグループでの話し合いの意味がよくわかりません。ただホワイトボードに書くための活動になってしまいます。
友だちの意見を聞いて、理由を聞くことも大切です。自分の意見とは違ってもなるほどと思った意見あれば、そのことも全体で知りたいところです。自分の意見を変えてもいいし、変えなくてももちろん問題ありません。その時考えたことを全体で共有するといったやり方もあったと思います。

面白い意見があったのか、テンションが上がるグループもあります。淡々と自分の考えを発表して進むグループもあります。授業者は個々のグループに張り付いて話を聞いていますが、やはり全体を見ることはできませんでした。

時間が来て黒板にホワイトボードを貼ります。貼り終わると1班から発表しますが、ちょっと疑問です。たくさんの意見が出た時に整理するためにホワイトボードは使います。この場合、まず書かれたものを見て多い意見、似た意見を、班にこだわらずに聞いていくとよかったでしょう。順番に発表すると何度も似た意見を聞くことになります。途中で嫌になる子どもも出てきます。時間を効率的に使うためにも、まずは全体の考えを把握することが必要です。
「ボールを買いたいから輪投げはしない」「お祭りで使えるお金は使ったと友だち伝えて断る」「今回もらったお金は臨時収入だから、また貯めればいい。輪投げをする」「輪投げは家へ帰ってから親とまた来てする」といった意見が出ます。冷静な意見が続きます。主人公の葛藤となった要素がきちんと子どもの中に落ちていないのです。
「やっとのことで買えるサッカーボール」「もう少しのところで取れなかった。今度やればとれるかもしれない」「断れば、つき合いの悪い奴だと思われてしまう」といった要素をきちんと整理して子どもに迫っておく必要がありました。

「とれるまでやる。取って売れば元は取れる」「あと1回だけやる。1回300円だからすぐに貯まる」といった意見も出ます。こういった意見に対して授業者は、確認はしますが、同じ考えの人、違う意見の人をつなぐことをしません。班での発表にこだわって、全部の班を発表させることを優先したのです。そのため、せっかく友だちの意見で子どもたちの中に起こった波紋が全体で考える時には消えてしまいます。順番に発表するというのは時と場合によるのです。
1回だけやると言っても、止まらなくなるかもしれないという意見もありました。こういった意見をつないでいくのが大切です。

授業者はもし輪投げをやるとしたらどこまでやるのかを問いかけます。1回の人、取れるまでの人と分かれます。授業者は財布の中にまだサッカーボールを買うための4,000円があることを確認して、再度とれるまでやるのかを問いかけました。4,000円使ってもソフトが取れれば、売ってサッカーボールを買えるという意見が出ます。授業者は「取れんかもしれんよ」と揺さぶりますが、コツがわかったから取れると思うという答が返ってきます。それに対して、サッカーボールを買うためにゲームソフト売るんだったら、今ある4,000円で確実に買った方がいいという意見が出ます。授業者は本当に欲しいものは何だったのと問いかけ、「サッカーボール」という答を子どもたちに言わせます。この時点でこの質問をするのは、意見を誘導しているように思います。

主人公は、本当はそんなに輪投げをしたくなかった。それなのに、友だちに言われたから困っている。断っても誘うようなら悪い友だちだという意見が出ます。自分だったらという視点ではなく、第三者の視点です。授業者はお金をどれくらいの期間かけて貯めたかを確認しますが、ここで確認しているようでは遅すぎます。最初の読み取りの段階でもっと押さえておくべきでしょう。ここで主人公の気持ちを押さえるということも、先ほどと同じく子どもたちの意見を誘導しているように思えます。

この主人公は何となくまわりに流されているから、もっと考えて行動するべきだという意見が出てきます。上から目線の人物評になっています。道徳のねらう子どもたちの心を揺さぶることからずれていっていますが、「今日はみんな、たくさん意見を考えてくれた」と返して、まとめに入ってしまいます。ここは、「主人公はそうかもしれないが、あなたならちゃんと考えて判断できそう?」と迫りたいところでした。
最後に、「今日はたくさんお金を持っていたけれど、限度を考えてお金を使うことを節度と言います」とまとめました。これでは、言葉の勉強になってしまいます。道徳として何をねらい、子どもたちにどんなことを考えてもらいたかったのかがよくわかりませんでした。

子どもたちに、「輪投げをしなかったら後悔する?」「輪投げをして、取れなかったら後悔する?」と、「後悔」をキーワードにしても面白かったかもしれません。どれが正しいということではないと思います。自分が後悔しないような判断をしていくことが大切です。どんな時に自分がやらなければよかったと後悔するのか。そうしないためには何をすればよいのかといったことに焦点化していくのです。

この後、先生方が子ども役を通じて感じたことや授業についてグループで話し合いました。子ども役をすることで、普段とは違った気づきがあったようでした。
私からは、この授業で子どもが自分に引き寄せることができていなかったのは、主人公の気持ちや葛藤の原因となったことを最初にきちんと押さえていなかったことや、子どもたちがただ意見を発表するだけで友だちの意見に揺さぶられたり、意見聞いて考えたことを焦点化したりする場面がなかったことに原因があることをお話ししました。
また、道徳の新しい指導要領をもとに、「議論する道徳」について少し事例を紹介させていただきました。

先生方が熱心に子ども役をやったからこそ、互いに学べることがたくさんあったように思いました。模擬授業のよさを改めて実感しました。私もよい学びの機会を得ることができました。ありがとうございます。

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