そのありようを見直す時期が来たように思ったフェスティバル

先日、学校評議員をさせていただいている中学校で行われた「地域ふれあい学びフェスティバル」を見学してきました。このフェスティバルを見学するのも12年目です。訪れるたびに、いろいろな変化を感じます。

今年一番感じたのは、子どもたちの表情や雰囲気の変化です。子どもたちは「与えられた」自分の役割を果たしています。しかし、それは傍から見ていると作業をただこなしているように見えるのです。以前に感じた、「自分たちの仕事だ」「お客様をもてなそう」といったエネルギーを感じないのです。表情も乏しいように思います。積極的にこのフェスティバルにかかわっているように見えないのです。子ども時代に強制的に校区のゴミ拾いをやらされた時のことをふと思い出しました。
一緒に活動している地域の方も、子どもたちのサポートに回るというよりも、子どもたちの代わりに前面に出なければいけなくなっているように感じました。地域の方と子どもとのコミュニケーションも弱くなっているように見えました。

どうも子どもたちの当事者意識が弱くなっているように思います。子どもたちの希望者と地域との共催から、学校行事として全員参加に変わってかなりの時間が経ちました。地域が一歩引いた形になったのですが、学校の先生の中にも当事者意識が感じられない方が目に付きます。子どもたちと同じように自分に割り当てられた仕事をこなしているだけに見えるのです。先生方がこのフェスティバルの教育的な意義や目的を意識していないように感じます。地域の方も、自分たちの立ち位置が見えなくなっているように思います。
フェスティバルは無事に運営され、来客者も楽しんでいただけていますが、その主体がどこにあるのかよくわからなくなってきているように思うのです。ただ、お店や展示があって人が集まっている。その核となるのは何なのか、このフェスティバルを通じてかかわる人がどうありたいのか、どうなってほしいのかが伝わってこないのです。

時が経ち、子どもたちも先生方も変化しています。このフェスティバルの存在そのものを根本的に見直すべき時が来たのではないかと思います。学校と地域が、子どもたちを育てるという視点で、フェスティバルは「どうあるべきか?」「どうしたいのか?」をゼロベースで話し合うべき時が来たように思います。
以前のような、時にはぶつかりながらも子どもたちと地域が一つのものをつくっていくエネルギーを感じたいと思うのは、年寄りの感傷なのでしょうか?
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