第1回授業深掘りセミナー(その2)(長文)

昨日の日記の続きです。

2つ目の模擬授業は、和田裕枝先生の小学校5年生の算数です。かける数が小数の計算で、およそで大小関係がわかることをねらう授業でした。
最初に80×2.3はおよそいくらになるかをたずねます。「160より大きい」「240より小さい」といった答えに対して、どうしてかを問います。「80×2より大きい」「80×3より大きい」とかける数に注目させていきます。
黒板にリボン図で80×1を表わします。それを伸ばそうとして止め、その下に新たに80×3のリボン図をかき、3つに区切ります。80×1が基準となっていることがよくわかる図です。
「80×2と80×3の間」という答に対して、「どっちに近い?」と問い返します。「80×2に近い」ことの説明を、「2.3が2に近い」と手を使いながらする子ども役がいました。それに対して「いい手の動きだね」とほめ、「○○君見える」と他の子どもにも注意を促します。「○○君見なさい」と言わないところがポイントです。和田先生は決してネガティブな表現を使いません。必ずポジティブな言葉に言い換えます。また、同じことを何度も子どもたちに言わせ、同じことでも違った表現をした時にはほめます。子どもたちに広げたいこと、授業で大切にしたいことを意識して、繰り返し答えさせ、ほめています。何でもほめるのではなく、手の挙げ方がよくなった、うなずきながら聞いていたといったしつけたい授業規律に関することと、その日の授業のねらいにつながることを中心にしています。言い換えれば、繰り返し問われることをきちんと理解し身につければ、子どもたちは授業規律が身につきこの日の授業のねらいを達成できるわけです。子どもたちにとっても、わかりやすい授業の構造です。

この日の授業の主課題は、テープの代金をもとに考えるものです。1m150円のテープを5人の子どもがそれぞれ、0.5m、0.8m、1m、1.5m、2m買います。代金が150円より多くなるのは誰かを問います。つぎつぎに指名していきますが、1mを買った「かいと」さんを入れる答とそうでない答に分かれます。「かいと」さんの代金が150円になることを押さえて、「より」多くなるのだから「かいと」さんは違うという子ども役の説明を引き出し、その説明に納得したかを全体で確認します。個人に問い返して深めたことを全体に確認することで、全員がわかるできるを大切にしていることがわかります。

ここからが和田先生の本領発揮です。1.5mと2mを買った2人の代金が150円より多いことの説明を求めます。子ども役からは「1mより多い」という言葉が返っていきます。ここで、多くの先生は「そうだね」と説明を始めますが、和田先生は「何が?」と問いかけます。「長さが」という答が返ってきます。子ども役を何人も指名して、「長さ」が「1m」より多いことを何度も言わせ、「1m」を強く印象付けます。最初の80×2.3を考える時に80×1を意識させる図をかきましたが、こういう場面への伏線となっています。
ここから、長さが「かける数」であり、「かける数」が1より大きければ答はかけられる数より大きくなることを子どもの言葉をつなげながらまとめていきます。見ていてぞくぞくする場面です。代金を求める計算が何かを確認します。「かけ算」という答に対して、「言ってみてくれる」と式を言わせ板書します。長さの部分を縦にきちんとそろえて書きます。1mの時には150円であることは、「かいと」さんが150円より多いかどうかの時に押さえてあるので、150は黒板に書かれています。150だけが代金として明示されています。1mが基準となって、上下に分かれていることが視覚的に表現されています。
長さが1mよりも大きいとかけられる数150円よりも大きくなることが子ども役から出てきます。この場面でも、何が150円より大きくなるのかを確認します。かけられる数の150と答の150の違いを「代金」が150円より大きくなるとして、明確に区別させます。式の「結果」の大小に注目させる発問です。
また、子どもの発言に対して「絶対に?」と揺さぶります。算数・数学では「絶対」「いつでも」はゆさぶりのキーワードです。この言葉が、論理的な説明や証明の必要性につながるのです。指名された子どもは手を動かしながら、説明をします。すかさず「手がついとるよ。みんな見て」と注目させます。子ども役は大人ですが、和田先生のペースに完全に巻き込まれていました。次々に指名されるだれもが手を動かしながら答えていました。望ましい行動をほめることで全体に広がることがよくわかる場面でした。子ども役の説明には、「ぴったし」よりも、「下に行くほど」、「だんだん」多くなる、といった言葉が足されていきます。和田先生は、同じことでも違った表現を黒板の同じところに書いていきます。子どもの言葉を大切にし、子どもの感覚で理解することを意識しています。これも立派な言語活動です。
子どもに「かける数」が1より大きいかどうかを意識させるために、「どこを見た?」と問いかけます。「0.5」「0.8」といったかける数を見ると「代金」(=かけ算の結果)がわかることを子どもから引き出していきます。短い問いかけで、ねらった言葉、考えを引き出す技術はさすがです。

この時間で気づいたこと、わかったことを子ども役の言葉で整理していきます。「1より大きい、1より小さい、ぴったりかで……」という発言の後、指名された子ども役が「同じ」と答えます。同じでもいいからと自分の言葉で話すことを促します。「かける数が1より小さいと……」という発言に、すかさず「同じじゃない。かける数を付け加えて言えた」と評価します。子どもの言葉を自分に都合のいいように聞いて、言ってもいない言葉を足す先生には決して気づくことができません。一人ひとりの発言をどれだけ大事にしているかよくわかります。
子どもの発言の中に「変わる」という言葉が出てくれば、「いい言い方だね」と価値付けをします。「1が基準」という言葉にも「基準という言葉を言ったのは、あなたが初めて」とすぐに反応して板書します。「1だとぴったしで、……」に対しては、「何とぴったし?」「かけられる数」というように進めます。「かける1が大事」という発言に対しては、「なぜ大事か言って」と返し、「境目」といった言葉を引き出します。何ともない言葉に思えますが、数学的には「不等式」や「極値」につながっていく、とても意味のある言葉です。この時点で子どもたちはそんなことに気づきもしませんが、このようなやり取りを通じて子どもたちの数学的な見方や考え方の土壌が耕されていくのです。和田先生が数学的な価値の視点をとても多く持っていて、それにつながる言葉に敏感だからこそ、こういった言葉を引き出すことができるのです。外から見ているので私でもそのことに気づくことができますが、実際に授業をしていたならば、とっさに反応することはできないと思います。なかなかまねをすることができないところです。
また、和田先生の授業は常に「テンポがよい」と評価されますが、その秘密の一つにこの価値の視点が豊富であることがあります。そのため、何を強調するのか、どこを聞き返すのか、また軽く受け流ししたらいいのかの判断が早いのです。和田先生のテンポだけを真似しようとすると、まず失敗します。授業や教科、教材への深い知識があってのことです。

最後に「この時間でみんなが気づいたことが教科書の○○ページに書いてある。自分たちで気づけたんだよ」とこの日の活動を評価して終わりました。自分たちが頑張ってすごいことをしたんだという自己有用感を感じさせる終わり方でした。

さて、「深掘りトークセッション」の司会は玉置先生です。まずは、この模擬授業を参観していたゼミの学生を指名します。3名のゼミ生は「和田先生のほめ方」「最後のまとめ方」「指名の仕方」「テンポのよさ」などを具体的に指摘します。初任者レベルでは気づけないことまで気づいています。パネラーも真っ青です。学生にこれだけのコメントをされてしまうと、プレッシャーがかかります。こうなると座った席が問題です。一番端にいる私は発言が最後になります。私が話すことを残してくれるか心配です。予想通り、「子どもとの言葉を大切にしていることやその授業技術の解説」「常に根拠を問う姿勢は国語と同じだという深い指摘」「テンポのよさについての解説」などあらかた言われてしまいました。学生の素晴らしいコメントもありましたので、そこを「深掘り」してプロらしいところ見せようと思い、「ほめる」技術について次のようなコメントをしました。

子どもたちをほめると言っても、ほめる行動をしてくれなければほめることができません。和田先生は、今子どもにどうなってほしいかの基準が明確で何をしたらほめるのかがはっきりしています。子ども側からすれば、何をすればほめられる、認められるかがよくわかるので、そういう行動を取りやすいのです。だからたくさんほめてもらえるのです。もう一つ大切なことは、まねをしてよい行動をとった子どもも認めてほめることです。一問一答の授業では、指名されて最初に正解した子どもだけが認められます。そういう授業を受けている子どもたちは、最初にやった者しか認めてもらえないと思っています。和田先生の授業では、まねをしてもほめられます。同じ質問に何人も指名され、同じ内容でも言葉を足したり、違う表現をしたりすれば認められます。こういったことが下地としてあるから、子どもたちによい行動が広がるのです。

和田先生がこれほどの技術をどのようにして身につけたかが聞かれます。単純に言えることではないでしょうが、子どもが、何がわかっているのか、何がわかっていないのか、その理由はと常に問い続けていることがその一つのようです。実際の授業での子どもの振り返りノートのコピーが配られましたが、そこから子どもがどのくらい抽象的な概念(ものの見方・考え方)を身につけることができたかを読み取っています。「よくわかっている子どもは、具体的な数が出てこない。理解度が低い子どもほど具体的な数で説明している」という視点は、とても大切な指摘だと思います。

和田先生の授業技術についての深掘りが続きましたが、ここで玉置先生から「不満がある」という問題発言が出てきました。「子どもたちをほめて認めているが、算数・数学的な価値付けはされていないのではないか?」というのです。「え〜?!玉置先生それってどういうこと?」という指摘です。これを私に振ってきます。どうやら道徳のセッションと同じく盛り上げようという腹のようです。それを受けて、「そんなことはない。『これは算数的に価値がある』と直接には価値付けしていないが、価値のあることを繰り返し言わせたり、1について『基準』『ぴったし』といった言葉をたくさん板書に残したりしている。しっかりと価値付けしている」と反論しました。玉置先生に乗せられて、ついつい熱く話してしまいました。やられました。

和田先生から、今日の子ども役は優秀過ぎて授業の進め方を変えたことが話されました。150円より多いかどうか聞けば、必ず計算する子どもがいるはずだというのです。なのに、この日の子ども役からはそれが出てこなかったのです。黒板には150×0.5、0.8、1.5、2の計算結果は書いてありません。そのため、かける数が1より大きいかどうかに注目させることができたのですが、計算の結果から説明する子どもがでてきても計算結果は板書しないということでした。子どもの発言を何でも板書するのではなく、きちんと意図を持って選択していることに納得です。
私からは、教科書にない和田先生独自の導入部分で、「およそいくらになる」という課題を与えたことが、計算して答を出した子ども役がいなかった理由だと指摘しました。子どもたちにできるだけ計算させないようにした布石に、子ども役の先生方が誘導されてしまったのです。こういった布石があっても、実際には子どもたちは計算してしまうようです。子どもらしい発言を上手にしていた先生方です。この布石がなければきっと計算した方がいたはずだと思います。

このトークセッションを通じて、和田先生の素晴らしい模擬授業をしっかりと深掘りできたと思います。進行役と素晴らしい参加者のおかげで多くのことを学ぶことができました。

この模擬授業に子ども役で参加された方が、答えられない子どもの気持ちがわかったとSNSに書き込まれていました。子ども役には一定の作法があります。対象学年の子どもになって答えるという暗黙の了解がありますが、この方は一般の方なので、どのように子ども役として答えていいかわからなったようです。また、答え方のルールなどもわからないので、戸惑ったのでしょう。この方が授業中にうまく反応ができていなかったのが気になっていたのですが、その理由がわかりました。この方は、この経験をわからない子どもの気持ちがわかったと前向きにとらえていらっしゃいました。こういうメンタリティは素晴らしいと思います。若い先生もたくさん参加してくださるので、子ども役に授業者の教室のルールなどを事前説明することも必要だと気づかされました。ありがとうございます。

続いて、「教育情報知っ得コーナー」ですが、それについては明日の日記で。
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