夏休み明けの学校の授業を見る(長文)

中学校で授業アドバイスを行ってきました。夏休みが明けてまだ日が浅いですが、子どもたちの様子が楽しみでした。

3年生は、落ち着いて意欲的に学習に取り組んでいましたが、やはり一部の子どもが学習に対するモチベーションを失くしているようです。学年、学級の問題というよりは個別の問題だと思います。先生方は、一人ひとりていねいに対応してくれていることと思います。これから学校行事が続きますが、うまく活用することで、こういった子どもたちが学校とのつながりを持ち続けることができればと思います。

2年生も落ち着いて授業を受けているのですが、夏休み前と同じく授業者によって見せる姿が異なります。特に、教師の一方的な説明が続くような場面では集中力を失くしています。この日は道徳や学級活動の時間の様子も見たのですが、授業以上にその差が大きいように感じました。子どもたちは担任のことをよくわかっているので、どこまでが許されるかを知って上手に手を抜いています。ある意味賢い子どもたちです。彼らなりの損得を考えて行動しています。特別活動といった時間を上手く息抜きに使っているように見えるのです。一部の担任は、子どもたちが聞く態勢になっていないのに話し始めたりしています。授業ではそのような場面はあまり目にしません。子どもたちと同じく、こういった時間を軽視していたり、単なる子どもたちとの触れ合い的な時間ととらえたりしているのかもしれません。しかし、学級経営上はとても大切な時間です。こういう場面できちんと学級をコントロールできないと、何かあった時に歯止めが聞きません。これから学校行事が続きます。学年全体で足並みをそろえ、きちんと行事に取り組める体制をつくることが必要です。学年主任はこのことをよく理解しているので、適切な対応を取ってくれることと思います。

1年生は、一部の学級でテンションが上がりやすい傾向が見られたりして、夏休み明けの状態が一番心配な学年でした。ところが、私の予想に反して、1年生とは思えないくらい落ち着いた雰囲気で学習に取り組んでいました。気になっていた学級の様子を見て、思わず本当にその学級か教室のネームプレートを確認したほどでした。何か秘密があるはずだと、学年を支えているベテランの担任の先生にたずねました。すると、夏休み中に手を打っていたということでした。一つは、子どもたち全員に特別のくじ付きの暑中見舞いを送ったことです。先生方が子どもたちのことを気にかけている、見守っていることを伝えると同時に、くじを楽しみにすることで苦しい子どもが少しでも学校に足が向くようにと考えてのことです。もう一つは、学習会を開いたことです。1学期の学習でわからなかったことをそのままにしていたり、課題ができていない状況だったりしては2学期に登校する意欲がわきません。そのために、わからないことを教えてもらったり、課題に取り組んだりするための場をつくったというのです。納得です。こういった企画を立てそれを実行できる学年です。チームワークもしっかりできている証拠です。この学年団であれば、きっと子どもたちはよく育っていくことと思います。子どもたちのこれからの成長が楽しみです。

この日は、若手を中心に授業参観とアドバイスを行いました。
3年生の体育は雨のため、急きょ体育館での授業になりました。
私が見たのは体育大会でのムカデ競争の練習をしている場面でした。授業者は、1チームを前に出してやらせ、他のチームはそれを見ています。授業者の視線はずっとやっているチームに注がれます。時々アドバイスをしますが、そのチームに対して言っているので、見ている子どもたちには伝わりません。続いて、チームごとに練習することを指示するのですが、全体に対しては一言、脚を結ぶ紐についてのアドバイスをしただけでした。見ていた子どもたちにとって、友だちの様子を見ていることの意味は何だったのかよくわかりませんでした。せめて、友だちの様子を見て気づいたことを発表させたり、チームごとにどのようなことに注意をしてやろうかといった相談をさせたりしてからに練習に入りたかったところです。
子どもたちは一生懸命に練習していますが、練習中に相談している姿は見られません。ムカデ競争だからその程度でいいのかもしれませんが、体育として見れば自分たちで練習しながら修正することを意識させることが必要です。日ごろから、目標を意識して練習に取り組み、自分たちで修正するように指導しておきたいものです。
練習終了後、全員を集めて終わろうとしましたが、一緒に指導していた先輩教師が子どもたちに上手くやるコツをたずねました。大切なことをよくわかっています。子どもからは、「声」、「きずな」、「愛情」といった答えが返ってきます。そのどれも否定することなく受け止めて、抽象的なものは具体的にどうすればいいのかよくわからないと返して、「声」に焦点化して具体的にたずねます。「大きな声」「リズムよく」といった答を引き出して、ポイントをまとめてから終わりました。流石でした。上手だったチームに前でやらせて、どこを工夫したか言わせたり、見ている子どもたちに気づいたことを言わせたりするといったやり方もあります。また、時間がないのでこの日は難しかったと思いますが、こういった場面の後にそれを活かしてもう一度練習する時間をつくることも大切です。この日は雨のため急な変更で構成を考えている余裕もなかったと思いますが、こういったことを意識して授業を組み立ててほしいと思いました。

3年生の理科の時間は問題の答を確認する場面でした。
子どもたちは教師の問いかけに反応しますが、声を出すのは1/3くらいです。他の子どもたちは、特に反応を見せません。決して参加してないわけではないのですが、教師がまとめてくれるのを待っているのです。
昨年度、授業者は表情に余裕がなかったのですが、今年は笑顔がよく出るようになっています。子どもたちの表情もよく、よい関係をつくることができています。ただ、反応してくれる子どもとだけで授業を進めていくと、他の子どもの参加意欲は低下していく心配があります。反応した子どもを指名して説明させ、それに対して同じように考えるのか、納得したのか、それとも違う考えなのかを、反応しなかった子どもに問いかけることも必要です。全員に参加を求める姿勢を大切にしてほしいと思います。

3年生の国語は、問の答を子どもたちに発表させる場面でした。
一部の子どもが挙手して、その子どもたちの中から指名して進んでいきます。授業者はその答をすぐに板書します。子どもたちは友だちの発表を聞いていません。先生の説明も同様です。ひたすら板書を写しています。
象徴的な場面がありました。ある子どもを指名して意見を言わせた後、授業者が「付け足しがある人?」とつなげました。次に指名された子どもが発表している時に、先ほどの子どもはひたすら板書を写していました。発表することが目的となっていて、それがどのように評価されているか、どう深まっていくのかに興味がないのです。これは、子どもの問題ではありません。この授業者の授業では、子どもの意見を教師や子どもが評価したり、それをもとに深めていったりする場面がないのです。子どもにつけ足しを求めているのは、自分が求める答を出させたいからだけなのです。
授業者は、文章の一文一文に対して問を準備して、一問一答形式で進めています。根拠となる文を共有して、互いの読みを聞き合うことで深めたり、筆者の表現に込めた思いを読みとったりすることが大切です。そのためには授業を、一問一答の細かい読みではなく、単元を貫く課題を設定し、その課題を解決する過程で必然的に出てくる疑問を解決するために一文一文を読み込んでいくという構造にする必要があります。この文章を読み取るためには、どのような課題を設定すればいいのかをしっかりと考えて授業を構成してほしいと思います。

2年生の数学は、1次関数の定義の場面でした。
久しぶりに関数という言葉が出てきます。ここで授業者は1年生で習ったことだからと確認や復習をしません。多くの子どもたちは何となくでしか覚えていません。この場面は定義をするところですから、きちんと押さえておきたいところです。
教科書は、xとyの関係が1次式で表わせることで定義しています。ここで、式の次数についても確認をすることが必要です。教科書では、1次関数は定数a、bを使ってy=ax+bで表わせることをおさえます。axを比例部分、bを定数としますが、この定数という言葉が先ほどの定数とは微妙に違う意味で使われています。1次式の「定数(部分)」とした方が、混乱が少ないかもしれません。axを比例部分としていることは、グラフをかく時の伏線ですから強調しておくことが必要です。が、授業者はさらっとしか触れませんでした。また、中学校では、a≠0を明示しませんが、教科書はaxを比例部分とすることでそのことを意識させることも考えていると思います。教科書をよく読みこみ、単元全体を通した教材研究が必要となります。
授業者は、1次関数かどうかをy=ax+bと表わせているかどうかだけで判断させます。しかし、この時間は初めて定義をしたところですから、都度これが1次式であることを押さえる必要があります。あくまでも定義は関係が1次式で表わせることであって、y=ax+bで表わせることではないからです。一次関数であることと、y=ax+bで表されることが必要十分な関係であることを押さえておけばいいのですが、その際a≠0が条件として必要になるので、教科書はあえて触れていないのです。こういったことを理解して授業を組み立てることが大切になります。
また、子どもたちは定義における包含関係が意識できていません。比例は1次関数でないように思うのです。これは、小学校では正方形も長方形であることをあえて押さえていないことにも原因があります。1次関数の定義の場面で、比例であれば関係が1次式で表されることを確認し、比例は1次関数の「特別な場合」であることをきちんと押さえておくことが必要です。

1年生の英語で、読みの練習をしている場面を見ました。
子どもたちの視線がバラバラなのが気になります。授業者に続いて読むのですが、教科書を見ている子ども、授業者を見ながら同じように発音しようとしている子ども、何も見ずに暗唱しようとしている子どもといろいろです。この状態は読みの練習にはなっていません。全員にきちんと教科書を見ながら読ませることが大切です。読めるようにするためには、授業者が毎回見本を示すことは不要です。子どもたちだけで読ませて、詰まったり声が小さかったりした時だけ、教師が見本を見せればいいのです。
授業者はこの前に、新しく学習する表現を”situation”をもとに練習させていたそうです。子どもたちはとてもよく集中していたようです。基本表現を理解したので、読みの練習に入ったのです。読みの練習が終わった後、この表現を”situation”を変えて練習させたそうですが、子どもの集中力は戻らなかったそうです。間に読みの練習が入ったので、最初に学習した表現が定着していなかったのでしょう。定着させるためにも、続けて練習をしておくべきだったように思います。教師は授業のクライマックスを映画のように最後にもっていこうとする傾向がありますが、その必要はありません。子どもの集中力が高い時に、大切なことをきちんと理解させ定着させるようしてほしいと思います。

もう一人の1年生の英語の授業も、活動の目的がよくわからない場面がありました。
ペアでパートを分けて練習するのですが、教科書を見て交互に自分のパートを読み上げるだけです。読みの練習であれば、互いに相手の読みをきちんと聞いて評価しなければペアの意味がありません。一人で練習した方が、活動量が増えるだけましです。会話の練習であれば、互いに見合って相手の言葉に対してどう言葉を返すかを意識した練習が必要です。教科書を読んでいては意味がありません。中学校の英語の授業は、その意味を考えず惰性で行っている活動が目につきます。一つひとつの活動のねらいを意識して、そのためには何が大切かを考えて行ってほしいと思います。

この日は理科の授業研究も行われましたが、それについては次回の日記で。
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30