初任者の模擬授業をもとに講座を行う(長文)

市の教員研修の1講座を担当しました。この市の初任者は全員参加です。その他に指導的立場の方や希望者が参加してくださいました。毎年、中堅やベテランの方による模擬授業と講演の形態をとっていて、昨年度だけ私が授業者を務めました。今年度は模擬授業の授業者をどのようにしようかと悩んでいたところ、講座の担当の先生から初任者の代表に模擬授業をやっていただくという案が出されました。参加される初任者の方たちにとってはとても有意義だと思いますが、代表となる方にとって、皆さんの前で模擬授業をするというのは簡単なことではありません。授業の準備を含めてとてもたいへんでプレッシャーのかかることです。気軽に「そうしましょう」とは言えません。ところが、担当の先生の学校の初任者がやってもよいと言ってくれたというのです。正直驚きましたが、「自分の勉強にもなるし、よい機会だ」と前向きにとらえてくれたというのです。割と早い時期に指導案をいただいていたのですが、当日お会いしてお話を聞くと、その後もいろいろな先生に指導をいただき、何度も何度も作り直したようです。それぞれの考え方がありますので、それらを取り入れようとして、相当混乱したのではないかと思いました。同じ拠点校指導員についている初任者を中心として、事前に模擬授業をやって検討もしたようです。本当に頭が下がります。話をしていて、素直さと前向きさを強く感じました。こういう先生は必ず成長します。この先生であれば改善点はしっかりと示した方がよいと思い、講座に臨みました。

模擬授業は、小学校4年生の社会科でごみの集め方についてでした。前時には、ごみの分別を学習していることになっています。そこで、その復習から始まります。授業者は、最初は少し緊張していましたが、とてもよい表情で話し始めます。いろいろ準備したものを、可燃のごみとして捨てていいかどうかを一つずつ子ども役に問いかけます。子ども役の意見が分かれた時には、その理由を聞きます。古着を捨てるかどうかについて、意見をつなげていきますが、同じような考えでも子ども役は違うことを言ったり、付け加えたりしてくれます。なかなか優秀な子ども役です。授業者は、ここでそういったところを取り上げて評価することができませんでした。子どもの発言を受容はできるのですが、価値付けができないのです。また、どのような発言をつなぐべきなのかの判断も私から見ると曖昧です。この授業でのねらいにつながることかどうかを常に意識しておくことが大切です。この授業では、ごみの分別の細かい知識は必要ありません。であれば、ここで時間をかけて取り扱う必要はありません。「前の時間に何を学習した?」「ごみの分け方」「分別」・・・「そうだね、ごみを種類ごとに分けることを、分別というんだったね。ごみを○○、△△とにちゃんと分別して捨てるのが市のルールだね」と言ったやり取りで十分でしょう。
続いて、「ごみは家の前に捨てれば無くなる?」と質問し、ごみ捨て場に捨てることを確認して、自分たちの地区にごみ捨て場がいくつかあるかを考えさせます。これは単なるクイズです。考えても時間のムダです。ていねいに子ども役に聞いていきますが、時間のムダです。やるなら3択で全員に挙手をさせれば十分です。聞いていくにしても、早いテンポでドンドン聞くべきでしょう。続いて市の地図と地区割りを見せて、市ではいくつあるかを考えさせます。今度はまわりと相談させます。ここで子ども役の先生方のテンションが一気に上がります。今まで受け身の時間が長かったのと、根拠を持って考える必要がない課題だからです。授業者は机間指導しますが、ここは考えさせる場面ではないので、前方から様子を見ていれば十分です。というよりも相談させる意味がありません。こういう課題で相談させると、相談の意味が違ってきてしまいます。子ども役が活動したので、個別に答を聞くのですが、当然これもムダな場面です。せめて地区ごとの世帯数を情報として与えれば別なのですが。続いて、「ごみは誰が持っていくの?」と質問をします。子ども役は「トラックに乗っているおじさんたち」と答えます。なかなか見事な子ども役です。「誰」という言葉に反応したのです。授業者は「ごみ収集車」を引き出したいのですが、ずれてしまいます。発問を考える難しさがわかると思います。ごみの学習全体を考えるのに、授業者は流れに沿って一つずつ進めています。子どもはゴールがどこかわかりません。ミステリーツアー化しています。ここは、もっと広く「ごみ捨て場に捨てられたごみはどうなるの?」と聞くと今後の授業の流れを見せることができると思います。次々に指名していけば、「燃やされる」「捨てられる」「埋められる」「運ばれる」といった言葉が出てくると思いますが、「燃やされる」であれば、「ごみ捨て場で火をつけるの?」(この先の活動場面でのちょっとした布石にもなる)とか、「捨てられる」「埋められる」であれば「どこへ?」「どうやって?」というように切り返すことで、ごみ処理場や埋め立てといったごみの一連の学習内容につながっていきます。「運ばれる」といった言葉に対しては、「どうやって?」「何を使って?」と問い返すことで、ごみ収集車が出てくるはずです。
ごみ収集車が市に何台あるかを、また相談させます。ここは子どもに「ごみ捨て場の数、4,700」とのギャップに驚かせることが課題への意欲につながりますから、「4,700」を提示した時に、その数の多さを強調しておいてもよかったかもしれません。とはいえ、これも根拠となる情報がありませんから相談するのではなく、すぐに「いくつだと思ったか、まわりの子に聞いてみて」といった確認をするだけで十分でしょう。
ここまででかなりに時間を使ってしまいましたが、長くても10分に収めたいところです。理想は5分程度だと思います。まずは先ほど述べたように、ごみは分別することの復習をして、ごみ捨て場に捨てることを確認します。続いて、三択のクイズで地区のごみ捨て場の数を確認し、市の地図を見せて市のごみ捨て場の数を「いくつ以上」と聞きながら挙手させて確認します。ここで、「ごみ捨て場のごみはどうなるの?」と問いかけてごみ収集車に気づかせ、いくつあるかを聞くのです。ここまでの問いは、子ども同士がかかわり合う必然性のあるものではありませんから、こういった進め方で十分だと思います。
いよいよ本日の課題の提示なのですが、ここはあっさりと「ごみをどのようにして集めているか調べよう」といったものになっています。せっかくここまでごみ捨て場の数に対してごみ収集車の数が想像以上に少ないことを示したのですから、ここから子ども自身の課題にしたいところです。「たった14(?)台で4,700か所のごみ集められる?無理じゃない?」「みんなどう思う?」と揺さぶっておいてから、「じゃあ、今日は」と課題を提示したいところです。
この地区のごみ捨て場の様子と言って、一枚の写真を見せます。雑然とごみが積んであり、中にはビニール袋ではなく紙袋のものもあります。この写真を見て気づいたことを個人で考えて発表させます。「気づいたこと」というのは一見何でも言える子どもたちが答えやすい発言に思えますが、決してそうではありません。何を言っていいのかわからないのです。教師の求める答を言わなければと思えば、それを考える糸口がありませんから困ってしまうのです。「何がある」といった具体的な質問から深めていくとよいでしょう。子ども役から、このごみ捨て場が市のルールを守ってないことを出させてから、実はこれは別の県のものであることを説明します。ここで、きちんとごみ袋に入れられてネットがかけられたごみ捨て場の様子の写真をみせて、これがこの地区のごみ捨て場の写真であることを説明します。この写真を見て「見つかった」ことを3つ書くように指示します。先ほどは「気づいた」ことで、今度は「見つかった」ことです。この違いが気になります。後で確認したところ、本人は「気づいたこと」と言ったと主張します。子ども役のほとんどが「気づいたこと」だと思っていましたが、中には違っていたことに気づいた方もあります。多くの子どもは上手に同じことだと解釈して対応しますが、それができない子どもは「どう違うのか」悩みます。結果としてそこから先についていけなくなることもあるのです。
子ども役に発表させます。「ごみが真ん中に集められている」といった事実に対して、授業者は他の子ども役に復唱させたりします。これは、考えたことではないのであまり意味はありません。それよりも、「同じことに気づいた人?」と同じ気づきをつなげるだけでいいでしょう。「看板がある」という意見は、そのまま子ども役に同意を求めて終わります。字はよく見えないけど、何枚もあります。「どこ?」と具体的に指させたり、わざと変なところの看板を指して、「ここね」とやったりしてもいいでしょう。この看板に書かれたごみの収集日の情報がこの日のねらいにつながるのですから、もっとていねいにやりたいところです。この写真から読み取ることは、この日の授業では大切な場面です。こういう場面で子ども同士がかかわり合うことが大切です。2枚の写真を見て「同じところ」「違うところ」をできるだけたくさん見つけることを課題にして、友だちの気づいたことを聞き合って、なるほどと思ったら書き足すというような進め方をすれば、時間を掛けなくても次々聞いていけば、必要なものはすぐに出てくると思います。出てきたことを一旦書き出してから、「真ん中に集めているのはどういうことだろうか?」「ネットは?」「消火器があるのは?(ごみをどこで燃やすかという問いかけでの切り返しが効いてきます)」「看板は?」と問い返せば、子どもたちからもっと課題が出てくるでしょう。
授業は、看板に書かれているもの拡大して見せて、ごみの収集日から、回数や曜日をずらしているという工夫に気づかせるという流れですが、このあたりで予定した時間が来てしまいました。
授業者が、ごみ捨て場の写真からいろいろなことに気づかせたかったのか、収集日の工夫に焦点化したかったのか、迷いを感じました。このあたりは、明確にしないと授業がぶれていきます。また、「調べよう」と言いながら、子どもは何も調べません。それなのにこういう言葉を使うと、「調べる」ことはどういうことかわからなくなってきます。課題に対して、自分で資料を探す。せめて、与えられた資料から必要な情報を抜き出すといったことをさせたいところでした。

授業者は、書籍で学んだことを実践しようと意識しています。子どもの言葉を復唱し、共有化し、つなげていくことを大切にしようとしていることがよくわかります。しかし、授業の中で何を復唱し、共有していくのかの判断ができていません。教材研究の段階で、何を目指して授業をしているのかがシャープになっていないのです。また、子どもの発言の価値付けができていません。子どもの発言のどこがよいのかを具体的に指摘する必要があります。それは、社会科で大切にしなければいけない考え方をきちんと整理できていないからです。恣意的に授業技術を使っているだけで、その授業技術が何のためかは意識できていないのです。初任者だから当然のことです。こういう経験を積みながら一つひとつ自分のものにしていくことが大切です。今後どのように変化していくかとても楽しみな先生でした。

全体に対する講演は、この授業も少し踏まえ、子どもの言葉を活かす授業づくりについてお話ししました。と言っても、まずは安心安全な学級づくりからです。このことを押さえた上で、子どもをつなぐことについて説明しましたが、時間が足りなくてかなり荒いものになってしまいました。申し訳ありません。書籍等を参考にしながら、もう一度スライドを見ながら振り返っていただきたいと思います。

初任者の模擬授業をもとに講座をつくるということを始めて体験しました。例え初任者でも、前向きに取り組んでいただけた授業からは得ることが多いように思います。私もとてもよい学びをさせてもらったと感じました。ありがとうございました。
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