式  辞
 
 今年の冬は、とりわけ、長く厳しい寒さが続きました。
 しかし、季節はめぐり、木曽の川もゆるみ始め、春の気配が感じられるころとなってきました。
 
 この佳き日に、県会議員 原欣伸(よしのぶ)様はじめ、多数のご来賓の皆様方のご臨席を賜り、ここに卒業式を迎えられましたこと、この場をお借りし、厚くお礼申し上げます。
 また、深い愛情と慈しみをもって、ご立派にお育ていただきました、保護者のみなさま方お子様のご卒業 まことにおめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。これまでの学校に対する深いご理解と、暖かいご協力に対しましても感謝申し上げます。
 
 
 さて、卒業生の皆さん卒業おめでとう。上級生に手を引かれながら入学し、はや六年。皆さんと私との出会いは、わずか二年間でありましたが、実に多くのすばらしい場面を思い浮かべることができます。
 この学年はこころの優しい子が多く、いろいろなことによく気づき、場に応じた対応や細かな配慮ができる学年だったと先生は思います。
 
 学校のことなど全く知らないペア学年の一年生に、とても優しく楽しそうに導いている場面を幾度となく見ました。大縄跳び大会でも、一年生の子がうまく跳べると自分のこと以上に大喜びしていた姿も心に残っています。よくいっしょに遊んでくれました。
 
 修学旅行でも、前もって調べたことと、実際に見たり聞いたりした内容とを比較し、ノートに細かくメモしてましたね。今年度は、特に習った英語を使って外国の方と会話しようと、懸命に取り組んでいたグループが印象的でした。
 
 卒業期を迎えた私との会食会でも、立ち振る舞いやあいさつなど、礼儀正しく、また、自分のこともしっかりと話せていました。そばにいる子が「敬語を使うんだよ」とそっとアドバイスをしていることもありましたね。
 
 ふれあい運動会の組み立て体操、犬北っ子発表会もすばらしかったです。また、普段の授業・生活面でもリード役として、下級生を引っ張っていってくれました。
 
 
 ここで、卒業にあたってみなさんに、一つお話しをしたいことがあります。それは「失敗や挫折は誰にでもある」ということです。
 物事を完成させるのに、はじめからうまくいくはずはありません。失敗や挫折もなく生きてきた人はいないと思います。昨年、若くしてノーベル医学 生理学賞を受賞された山中伸弥さんも、いくつかの失敗や挫折から乗り越えられてのご活躍は有名な話ですね。
 
 これから紹介するのは、サッカーJリーグ「サンフレッチェ広島」の青山敏弘選手の話です。現在二十七歳で、Jリーガーとして活躍している若者です。岡山県倉敷市出身で、フィギアスケートの高橋大輔選手と同級生だったそうです。
 
 彼の岡山県 作陽高校時代の話です。高校選手権 岡山県大会の決勝戦は、両チームとも同点で決着がつきませんでした。そして、延長戦が行われました。これは、どちらかが先に点を入れたらその時点で終了という、Vゴール方式で行われました。彼は、ロングシュートが得意な選手で、その延長戦で、なんと見事なロングシュートを決めたんです。その瞬間、相手チームの選手たちは負けたと思い、がっくりとグラウンドに倒れ込んだそうです。しかし、そのシュートがあまりにきれいで一瞬の出来事だったのに加え、奥のポストに跳ね返ってきたため、主審はそれをゴールと判定しませんでした。彼のチームは、その後のPK戦で破れてしまい、全国大会には進めませんでした。その壮絶な試合後、相手チームのキャプテンは、勝ってもいないのに全国大会には行けない、とサッカー部を退部してしまったという、語り草になるような出来事もありました。そして、未だにサッカー界では「幻のゴール」とも言われているそうです。
 
 その後、彼の力が認められ、サンフレッチェ広島に入団しました。そして、輝かしい北京オリンピックの予選代表メンバーにも選ばれたんです。そのオリンピック最終予選の話です。サウジアラビアと対戦したんですが、彼は日本のいくつかのピンチを救うなど、MVP級の活躍をしました。日本チームは見事予選を突破し、オリンピック出場を果たしました。しかし、彼はなんとその試合の中で、足の骨を骨折し、念願のオリンピックに選手として出場できなかったんです。
 
 考えてみてください。大変なショックですよね。決勝戦でゴールを決めたのに認めてもらえず全国大会に行けなかったんです。オリンピック予選を自分の手で勝ち取ったのに、怪我で出られなかった訳ですから。普通だったらくさってしまいますよね。しかも二回もそんなことがあったわけですから。気持ちが荒れて練習も身が入りませんよね。
 
 でも彼は違ったんです。そのときのことを振り返って、こんなふうに言っています。「苦労したときに、いかに続けられるかなんです。」「やめれば簡単なんですが、僕はくさらなかった。」「この挫折を乗り越えればいいんだと思った。」と言っています。
 
 彼は「この試練を乗り越えよう。」としたんです。私はこの記事を読んだ時、なんてすばらしい若者がいるんだと心から感心しました。その時、くさってしまわなかった、辞めてしまわなかったから、今の彼の姿があるんです。もちろん彼のまわりには、信頼できる仲間も沢山いたからこそ、乗り越えられたことでしょう。
 
 あなた方もこれからの人生の中で、いろいろな挫折や失敗があるかもしれません。そんな時にこの選手のことを思い出してくれれば幸いです。
 
 あわせて、昨日あなた方に私からささやかですが、お贈りしたものがありますね。私がこれまで接した言葉の中から、「伝えたいことば」としてまとめました。経営者や道を究めた人が、経験や苦労から生み出した「言葉」には哲学があり、とても魅力があります。私も、たった一つの言葉で救われたことがありました。ことばが、勇気を生み出すんです。
 そんなことを思い、アルバムにでもはさんでおいて何かの時にでも思い出してくれれば嬉しい限りです。
 
 在校生のみなさん。六年生が今旅立とうとしています。この後の犬山北小学校を引き継ぐのは五年生以下のあなた方です。先生は大いに期待していますし、あなた方ならきっとできると思います。先日の六年生を送る会や、普段のあなた方の生活ぶりからも十分感じとれます。ぜひ仲間とともに、この伝統ある北小学校を引っ張っていってください。お願いしますよ。
 
 卒業生の皆さん。いよいよお別れです。犬山北小学校の仲間や母校の思い出を胸に刻み、くれぐれも掛け替えのない命とお体を大切にしながら、羽ばたいていってください。
 国の宝(国宝)である犬山城が、いつも皆さんの姿を見守っていてくれますよ。
 
 最後になりましたが、これまで卒業生を暖かく見守っていただきました地域の方々、教育関係者の皆様方に感謝申し上げるとともに、卒業生が、皆様方のお支えもいただきながら、これからの社会で立派に活躍してくれることを心より祈念し、式辞といたします。
 
    平成二十五年三月十九日      
 
          犬山市立犬山北小学校長
 
               田  中  康  史