愛される学校づくり研究会

桜梅桃李を愛す

★今回から寄稿させていただくことになりました新城市教育委員会教育長の和田守功と言います。「桜梅桃李(おうばいとうり)」とは、ありのままの個々「子供の姿」です。作為的なはたらきかけによってつくられた姿ではなく、無作(むさ)の、もともと一人ひとりの子供のもつオンリーワンの命の輝きが表出された姿です。そんな姿をこよなく愛し続けていきたいというのが私の思いです。そうした考えから、タイトルを「桜梅桃李を愛す」としました。私の教育に対する拙い思いの一端を皆様方にお伝えすることができればとの思いでペンをとらせていただきます。1年間、よろしくお願いします。

【 第11回 】「二宮金次郎」はESD教育?

「MOTTAINAI !」と感じる時がありますか。「もったいない」は、ケニアのノーベル平和賞受賞者、マータイさんによって世界中に広がった「日本語」であり、「日本の精神」です。でも、現在の日本人が、日常の生活のなかで、どれほどこの感情を抱くことがあるでしょうか。昭和30年代の高度成長期以降、私たち日本人は、「消費は美徳」の価値観に慣らされ、「もったいない」「粗末にするな」の心を忘れ、親の子育てからも、この言葉は消えてしまいました。「もったいない」の感性がきわめて鈍感になりました。食べ物が豊富で物があふれる生活のなかで、日本人の神経が麻痺しかかっているのです。

「もったいない」は、気持ちのこもった言葉です。「もったいない」には、「むだにするのが惜しい」という思いとともに、「おそれおおくありがたい」「心が行き届かず申し訳ない」といった謙虚で控えめな気持ちがこもっています。周りの神仏や自然、人間や事物に対する感謝と思いやりに裏打ちされた言葉です。「こうして元気でいられるのは、もったいないかぎりです。」「私には、もったいないお話です。」など、「もったいない」を使った例文を挙げてみると、よくわかります。したがって、この言葉が消滅したとき、人間は、不遜でおごり高ぶった自己中心的な存在になりがちです。神仏に怖れを抱かず、自然に対峙し、我欲にふりまわされた自分勝手な行為に走ります。

「もったいない」は、「粗末にしません」に通じます。「もったいない」という気持ちがあれば、心をこめた丁寧な扱いをします。ぶつけたり投げたりの乱暴な扱いや、適当でいい加減な心無い扱いはしません。粗末にしないのです。「粗末にしない」と似た言葉に「大切にする」という言葉がありますが、私は、似て非なる言葉だと思います。現代では、「大切にする」をよく使いますが、根底にいかなるものをも「粗末にしない」気持ちがないと、心から大切にすることはできないのです。「命(人間)を大切にする」と「命(人間)を粗末にしない」で、意味を比べてみてください。

粗末に扱うと「罰(ばち)が当たるぞ」と言われました。私たちが子供のころ、食べ終えた茶碗に飯粒が付いていたり、物を投げたりして無造作に扱ったりすると、祖父母から、
「目がつぶれるぞ」「ばちがあたるぞ」と、よく言われ、叱られたものです。食べ物は無論のこと、鉛筆などの学用品でもそうです。残さず食べる、キャップをつけて短かくなるまで使うということを教えられました。同時に、料理してくれた人や作物を栽培してくれた人、鉛筆を制作してくれた人への思いや苦労をしのび、感謝の気持ちを忘れないことも教えられました。その最たるものが「命」です。自分の命、親の命、そして、あらゆる生きとし生けるもの、その一つ一つの命の「由来」「因果」に思いを寄せるとき、すべて「粗末にしてはならない」ものです。

「もったいない」は、日本の生き方そのものです。大東亜戦争に敗れ、全土が焦土と化したなかから必死の努力で20世紀末には世界の経済大国になりました。やがて、つかの間のバブルがはじけ、失われた20年と言われる苦しいデフレ経済から脱し、やっと曙光が射し始めたと言われる昨今でも、「ものを粗末にしない」精神は、まだまだ影の薄い存在です。資源の少ない日本においては、「もったいない、ものを粗末にしません」は、保ち続けなくてはならない永遠のテーマです。外国からの食糧やエネルギーや金属などの資源が入らなければ、じきに機能不全に陥ります。「もったいない」を考えるだけでも、日本人の人間関係や、日本国の外交・国際関係の在り方を想定できます。

想定外の「社会現象」「気象現象」が頻発する時代に必要な考え方です。世界を見渡すと、干ばつ、大雨、洪水、暴風、竜巻、地震などが頻発し、いつ大飢饉に見舞われ、いつ新たな疫病がはやるかわかりません。食糧の大半を輸入に頼っている日本ですが、異常気象による地球規模の大飢饉が起きたときどう対処するのでしょうか。戦争が勃発したり、政治・経済に大変動が起きたりしても不思議ではない時代です。自分の「心身」が順応できるよう、自分の「生活」が適応できるよう、「もったいない精神」を大切にして備えたいものです。

二宮金次郎像が多くの小中学校にあります。薪を背負い、本を読んでいる、あの立像です。
彼が手にしている本は、中国の古典「大学」です。「勤勉、質素倹約、至誠」の象徴として建てられてきました。今や校庭の片隅で忘れられた存在ですが、日本の将来、地球の未来が、持続可能であることを願うとき、彼の考え方や行動様式は、参考になるのではないかと思います。「貧乏」とか「ケチ」とかいう次元ではなく、ESD教育の範ではないでしょうか。

二宮金次郎像

▲小学校の二宮金次郎像

(2014年2月24日)

準備中

●和田 守功
(わだ・もりのり)

人間・日本文化・日本酒(やまとごころ)をこよなく愛し、肴を求めて、しばしば太平洋に。朝一番に煎茶を飲み、毎朝、自分で味噌汁をつくる。山野草を愛でる自然派アナログ人間。現在、東三河ジオパークを構想中。自称、新城市観光広報マン。見どころ・秘所を語らせたら尽きない。
教育では、新城教育で「共育(ともいく)」を提唱し、自然・人・歴史文化の「新城の三宝」や、読書・作文・弁論の「三多活動」を推奨している。
新城市教育長をはじめ、愛知県教育委員会など教育行政に16年間携わっている。また、中学校長をはじめとして、小学校で13年間、中学校で11年間、学校現場で教職を務めてきた。