宮西小学校校歌
上原 猛 作詞
鶴原国夫 作曲
昭和42年(1967年)3月制定
校歌碑について
昭和42(1967)年3月9日、校歌制定発表会が行われました。
当時の一宮市長・伊藤一氏からの祝辞は次のものでした。
「私はこの学校の卒業生です。新しい校歌が制定されたので、この上なく嬉しく思います。校歌は永久不変のものであります。校歌はその人の魂となって生きていきます。この校歌はすでに石に刻まれ、このあと、除幕式と贈呈式とが行われます。石に刻まれた文字は消えることなく、校歌もまた永久に、子供たちに歌い続けられていきます。」 |
校歌碑は今も正門を入ってすぐの右手、職員室の南にあります。
表面には歌詞が刻まれています。
裏面には、 作詞 上原 猛
作曲 鶴原国夫
揮毫 林 雪骨
石刻 中尾清萬
昭和四十二年三月制定
一宮市立宮西小学校PTA
とあり、校歌がPTAの尽力で制定されたことがわかります。また「寄贈 昭和十一年三月卒業潮会三十周年記念」という文字もあり、校歌碑が昭和11(1926)年3月本校卒業の潮会からの寄贈であることもわかります。
校歌制定当時、作曲者の鶴原国夫先生は名古屋市立守山中学校長、作詞者の上原猛先生は名古屋市立豊国中学校長でした。上原先生は、校歌制定発表会当時の感慨を次のように記してみえます。「この校歌が永久不変に歌われる。その責任の重さを痛感するのだった。(略)私は、その日の栄誉と責任との中で、多くの方々と歌碑を中心に記念写真を撮っていただきました。また、林雪骨先生書の校歌の手拭いを記念にいただいて帰った。」