愛される学校づくり研究会

【第6回】鉄は熱いうちに打て! 1年生の生徒指導が3年間を決める!

オリンピックイヤーの2004年が始まった。年が明けるにあたって、きっと多くの人が大小はあるものの「新年に向けての目標」をたてたに違いない。人生の節目節目に心構えを作っておくことは前向きに生きようとするために大切なことである。ちなみに私の目標は「臆病者を少しは直す」という非常にせこいものである。そして、ささやかな夢は「大好きなカニを今年こそ死ぬほど食う!」というこれまたスケールの小さいものである。
 「1年の計は元旦にあり」と同様、中学校の教育現場では、「3年間の計は1年生にあり」「1年間の計は4月にあり」とよく言われる。要するに、中学校に入学したての4月の生徒へのかかわりや、生徒指導、学習指導が3年間を決めると言ってもよいくらい重要なものであると考えている。今回はいくつかの例をあげ、生徒との心理戦などの実況をふまえながら「鉄は熱いうちに打て! 1年生の生徒指導が3年間を決める!」というお題目に迫っていきたい。

礼に始まり礼に終わる …あいさつは大事だよ!

 「礼に始まり礼に終わる」これは武道でよく言われることである。剣道・柔道・空手道…これらは1対1で戦い合う格技である。場合によっては傷つけ合うこともあるわけで、試合を始めるにあたって、何よりも「相手を敬う気持ち」を大切にするという意味での「礼」を重んじるのである。私も小学校4年生のとき、両親が「あんたは体も弱いし、集中力もないし、臆病だから、剣道でもやって根性をつけなさい!」と、私の意志とは全く無関係に剣道をやらされるはめになってしまった。臆病者だけは直らなかったが、おかげで体力と集中力は少しついたような気がするし、「礼」の大切さを少しは理解できたような気がする。

 そういった意味で無理矢理にでも剣道をやらせてくれた両親に今は感謝している。こういったことから私は、学校生活の中でもまず生徒たちに「あいさつ」を大切にするように徹底的に指導している。「なーんだ、そんなこと当たり前じゃないか! 馬鹿じゃないの!」とみなさんに言われそうであるが、こだわり続けることは結構しんどいことだと私は考えている。「あいさつ」は学校だけでなく企業でも新人研修などで重用視される、つまり「コミュニケーション」の基本だからである。「あいさつ」はその人の心の窓であり、相手に接していくときの始まりである。武道でいう「相手を敬う気持ちが自然ににじみ出る」ものでなければならない。それはなかなか自然には身につかず、何度も「あいさつ」について「語り」、「実践」させることによって、立ち振る舞いとして身につくものである。

 中学校1年生の4月から「本当のあいさつの大切さを理解させる」という意識を持って教師側が指導するかしないかによって3年間で大きな差が出てくる。教育関係者の方は、自分の授業の始まりと終わりの生徒たちの「あいさつ」の様子を思い起こしていただきたい。
・いい加減にあいさつをしている生徒はいないか。
・あいさつをしていない生徒はいないか。
・あいさつの途中でもう椅子に座っている生徒はいないか。
・男子で制服のボタンをあけている生徒はいないか。…

 そこまで管理的にしなくてもいいじゃないか、学校なのだから授業をきちんと受ければいいじゃないか、と思われる方もみえると思うが、その生徒が一社会人として世の中に出て行ったとき、どんな相手にも失礼にならない、心のこもった「あいさつ」を教えるのも学校の責任だと私は思っている。授業の始まりの「あいさつ」はその授業に対する心構えをつくるものであり、「互いに学び合う」という気持ちを高めるものである。多分「最初のあいさつ」がしっかりできる授業は、落ち着きがあり学び合う姿勢の高い、そして緊張感のある「いい授業」になっていると思われる。
 逆に生徒たちに「あいさつ」もろくすっぽさせることができない授業は、放課と授業の区別もつかず、だらだらとした授業になってしまうとあくまで独断ではあるが私は思っている。

 ではどうすればしっかりとした「あいさつ」をさせることができるのか? これは教師側のこだわりと、生徒に絶対に粘り負けしない気持ちを持つ以外にない。教師側が「まあいいかー」と思ってしまった時点で、生徒に主導権を握られることになってしまう。つまり子どもたちに乗り越えられてしまうことになってしまうのである。そうなると、授業も悲惨になっていってしまう。寝ている生徒がいたり、しゃべっている生徒がいたり、授業中ものが飛んでいたり…。まあ、それも気にせず授業を進められる根性があればよいが、臆病者の私はそんなことはできない。
 

4月新学期が始まって間もない授業の始まりの様子
 ―「生徒と先生のあいさつを巡る心理戦」

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生徒は先生のことをほんとうによく見ている。大人でも楽がしたいのだから子どもはなおさらである。この先生は楽やわがままが通るか通らないか絶えず試してくる。特に1年生のときはかわいい顔にだまされて、ついつい甘くしてしまうことが多い。また、小学校のときはこうだった、あーだったと、自分たちの都合のよいようにことを運べるようにいろいろ作戦を考えてくる。
 「郷にいれば郷に従え」が基本である。授業のはじめにおける小さなことであるが、「あいさつ」の大切さを子どもたちに実践させ、授業の厳しさや、取り組む前の構えをしっかりつくることが、2年生になっても3年生になっても「学級づくり」に役立つのである。私も妥協することなく続けている。生徒たちから「この先生はあいさつをしっかりやらないと絶対に許してもらえない」と思われれば、叱らなくてもよくなる。

(「鉄は熱いうちに打て! 1年生の生徒指導が3年間を決める!」<制服は制服だ!>編)につづく…

(2004年2月2日)

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●杉浦 嘉一
(すぎうら・よしかず)

小牧中学校教諭。学年主任、保健体育担当、剣道部顧問、伝統の駅伝部総監督。年度末に校内で密かに出す「人事ファン」(杉浦の人事異動予想紙)はあっという間に売り切れ。お茶目な中に本質を突く学校教育論を書かせたら右?に出る者はいない。子どもの傍らにいつもいる存在であるように学校中を動き回っている。