愛される学校づくり研究会

私の心に残る授業

★これまでのリレーコラム「授業のある風景」から、「私の心に残る授業」に切り替えて、自分が受けた授業、実施した授業、参観した授業等々、強く印象に残っている授業について、それぞれの主観をもとに示して頂きます。印象に残っているのには、きっと理由があるはずです。

【 第11回 】45分間の授業が1分間の発問・説明に負ける
〜奥州市立水沢小学校 佐藤 正寿〜

「教師は授業のプロ。アマのような授業をしてはいけない」…初任以来、ずっと心掛けていたことだ。
 そのことを最初に痛感したのは、大学4年生での教育実習で、同じ学級の教育実習生の授業を参観した時だ。秋田大学の教育学部生だった私たちは、附属小学校で教育実習を行った。各学級に6人ほどが配置され、4週間で一人6時間ほどの授業を行った。担当は、八柳先生で30代前半の算数を専門とする先生だった。

私たちの実習生の中に高橋君がいた。数学研究室である。当然実習授業も算数を選択し、図形を扱うこととなった。彼の授業について私たちも事前に相談に乗り、「この発問と流し方でいいんじゃない」と一緒に確認をした。学習プリントも作成し、「これで大丈夫」と本人も自信ありげだった。

いざ授業。前半は子どもたちの反応もよく、予定通りに進んだ。後半になって高橋君が顔をゆがめ始めた。平行四辺形の問題で、プリントを一生懸命説明するのであるが、子どもたちの反応は芳しくなく「わからない」「どうして?」という表情をしている。高橋君は、さらに説明や発問を加えるものの、それをすればするほど、子どもたちは困惑したような顔になっていった。

授業の原則の一つに「発問はやたら変えてはいけない」ということがある。発問がころころ変わったのでは、子どもたちは混乱するばかりである。ところが、実習生の悲しさ、そんな原則など知るわけがない。
  やがて45分間が終了し、チャイムが鳴った。別の教育実習生が次の授業を行うということで、やむを得ず、それまで参観していた指導教員の八柳先生が黒板の前に来て、発問と説明を始めた。

すると、それまでの教室の雰囲気が一変した。短い発問に次々に反応する子どもたち。そして短い説明。子どもたちが「うん、うん」「わかった、わかった」と生き生きとした表情でうなずく。その時間、わずか1分あまり。魔法を見ているようだった。
  その様子を横で見ていた高橋君。実習生の我々の席に戻り「悔しい!」と一言。それはそうだ。45分の授業が1分間の発問・説明に負けたのだから。

この時が、授業におけるプロとアマの違いを感じた最初だった。もう34年前の出来事である。

(2018年2月19日)

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執筆者プロフィール

●佐藤正寿
(さとう・まさとし)

1962年、秋田県生まれ。秋田大学を卒業後、1年間民間会社勤務。1985年から岩手県公立小学校に勤務。現在、岩手県奥州市立水沢小学校副校長。「地域と日本のよさを伝える授業」をメインテーマに、社会科を中心に教材開発・授業づくりに取り組んでいる。「平歩前進」がモットー。小さなことをこつこつと積み上げるタイプで、「一気にする」ことはやや苦手である。 主な著書『スペシャリスト直伝!社会科授業成功の極意』『実務が必ずうまくいく 副校長・教頭の仕事術55の心得』(明治図書)等。ブログはこちら