愛される学校づくり研究会

私の心に残る授業

★これまでのリレーコラム「授業のある風景」から、「私の心に残る授業」に切り替えて、自分が受けた授業、実施した授業、参観した授業等々、強く印象に残っている授業について、それぞれの主観をもとに示して頂きます。印象に残っているのには、きっと理由があるはずです。

【 第7回 】青い鳥
〜一宮市立萩原小学校 伊藤 彰敏〜

おそろしい授業

島根県で、野口芳宏先生の授業を観ました。島根大学附属小学校の児童を「相手」にした、おそろしい授業でした。
  何がおそろしいと言って、その教室の空気が、です。具体的にどんな授業だったのかは、覚えていません。ただ、そのときの緊迫した空気、野口先生の子供と対峙するという姿勢に身震いしました。発問し、児童が考える――これだけの活動です。これだけなのに、児童一人一人に肉薄し、骨の髄まで思考に導いていました。
  帰りの飛行機の中で、これまでの10年間いったい自分は何をやってきたのかと情けない気持ちになりました。発問を大切にせよという新任以来何度も何度も言われてきたことを、実際の授業で確認できたことで、うれしくもありました。やっぱり発問なんだと思えました。

おもしろい授業

東京で有田和正先生の模擬授業を受けました。戦争について考える授業でした。数種類の駅弁の包装紙を年代順に並べるだけです。これだけで夢中になってしまうのだから、授業というのは本当におもしろいものだと思えました。
  日独伊三国軍事同盟は1940年に締結されたといった知識は大切です。しかし、それを歴史の流れの中のどこに位置づけるのかということが明確になっていないと、年代順に並べられないように仕組まれています。鈍い脳細胞を攪拌機(かくはんき)で刺激されているような快感を味わうことができました。思考することのおもしろさを実感しました。
  帰りの新幹線の中で、授業ってこんなにおもしろいものなのか、自分もあんな授業ができたら最高だなあと思いながら、ぐいぐいビールを飲みました。これも教員になって10年経った頃の話です。

ひどい授業?

数学の学力テストで、その学校を全国一にしてしまうBという先生がいらっしゃいました。「数学の神様」と呼ばれていました。新任の私は、その授業を見たくて、おそるおそる見させてくださいと頼みました。いつでもいいよとの返事をいただき、全国で一番にしてしまう授業ってどんなものだろうと教室に入りました。
  導入です。前時の復習として5問ほど問題を解かせ、その出来の確認から入りました。ほぼ全員ができています。できていないのは数名です。自分ならこの後どんどん進めていくところです。
  ところが、B先生の授業はこの導入から一向に進みません。できていない数名だけでなく、全員に対して前時の復習が始まり、とうとう導入で終わってしまいました。本当に泥臭い授業でした。私は内心、「なんだこの授業は。全然先に進まないじゃないか。これで全国一か」と思いました。
  授業後、形式だけの「ありがとうございました」を言い、その後一度も授業参観をすることはありませんでした。

すごい授業

授業者となって20年経過した頃。B先生の授業の意味がやっと分かってきました。その執念が見えてきました。
  20年前に見たあの授業は、全員をできるようにする、一人も落ちこぼさないという、すごい授業だったということが分かってきました。人に授業を見られれば、いいところを見せようとします。B先生もそんな気持ちがあったと思います。でも、それをせず、最後の一人までできるようにさせた。そういった事実を見せてくださっていました。それを自分はひどい授業だと思いました。情けない話です。しかも授業を20年やっていてもずっと気づかなかったのです。
  20年間自分は何をやってきたのかと、愕然としました。まだ気づけただけでも良かったとも思いました。

(2016年9月26日)

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執筆者プロフィール

●伊藤彰敏
(いとう・あきとし)

一宮市立萩原小学校教頭。34年間、中学校国語科教員。平成28年度から初めての小学校勤務。尾張小中学校PTA連絡協議会事務局員として、事務の仕事に携わっている。どんな境遇であれ、右手には国語科教育をしっかりと握り締めていたい。