★学校に直接携わっている立場と、一歩、学校を離れた立場から観る学校現場は、ひと味違った受け止め方があるはずです。長きにわたり、教員・校長として学校に携わられた中林先生、平林先生、神戸先生、小西先生それぞれの視点から、現在の学校、教育について、率直な意見を示して頂きます。
【 第2回 】職員のがんばりが見える
〜中林 則孝〜
1 はじめに
第2話は4年前に定年退職した中林が担当します。このコラムを書くにあたり、私の現在の立場について自己紹介をさせていただきます。定年後、初任者研修指導員をしています。4人の初任者を担当しており、フルタイム勤務です。
コラムのタイトルは「学校を離れて」となっていますが、私は毎日学校に足を運んでおり、「学校を離れて」というわけではありません。でも、どっぷりと一つの学校に関わっているわけでもありません。
初任者研修について少し説明をします。三重県の場合、フルタイム勤務での初任者指導は4人を担当することになっています。私の場合は4校にまたがっており、勤務校が毎日異なっています(私の場合と断ったのは、初任者が1校に2人いる場合は2校での勤務ということになります)。4校を週1の割合で訪問します(1校のみ週2の勤務)。
2 職員はなんとがんばっているのだろう
同じ学校に1年間勤務するわけでないので学校との関わりもこれまでとは異なっています。初任者指導に特化した勤務なので、行事や学校の日常との関わりは希薄にならざるをえません。当然見える景色も以前とは違います。
その違いの一例を話題にします。
「学校の常識は社会の非常識」と言われることがあります。確かに学校には独自の文化があり、一般社会とは別のルールがあるかもしれません。現役時代は、もしかすると学校の職員は世の中の価値観とは異なった中で動いているところがないとはいえないと思っていました。
また、「職員はもっとうまくやれるはずだ」とか、「先生たちはあまり勉強していないなあ」など、担任としての目からも、管理職としての目からも、改善すべき点が目に付くことがたくさんありました。自分との比較で同僚や学校を見ることが多かったからでしょう。
定年になり、勤務体制が変わった今、学校や職員を少し離れた立場で見ると、意外なことに気づきました。それは「職員はなんとがんばっているんだろう」と思うようになったことです。
学校の職員の勤務時間の長さは社会問題となっています。そのことを一番嘆きたいのは帰宅が遅くなる職員のはずです。でも、分かっていながらも仕事をこなすために勤務時間を過ぎても学校に残っています。
また、1日の中での休憩は実質的にほとんどありません。授業が入っていない空きコマがあっても、その時に休んでいる職員を見ることは極めて少ないです。ノートや連絡帳、テストの採点などに忙しいという実態があります。昼休みは給食指導などのため、職員室で休むこともほとんどありません。
午後5時の勤務時間を過ぎてからも職員室に電話がかかってくることは日常的です。それから家庭訪問にでかける職員を見ることもしばしばです。
仕事としてみると非常にハードです。にもかかわらず職員の多くは時にはニコニコと、時には冗談を交わしながら仕事を進めています。
3 子供の笑顔が職員のがんばりを支えている
なぜこのように困難な勤務態勢の中でも前向きにがんばれるのかを考えてみると、どうも職員は子供の成長を見るという他の職業では味わえない喜びがあるからだと思うのです。できるようになった子の笑顔、分かるようになった子供の声が職員の最大のモチベーションになっているような気がします。
子供の成長が見られるとき、保護者は感謝してくれます。子供の笑顔、保護者の感謝の声。これが学校の職員を支えているのだろうと、今、私は思うのです。
そのことを現役の時も理解はしていたはずですが、当時はどちらかというと「学校の弱み」が目に付きました。「職員ががんばっている事実」と「学校の弱み」を今、天秤にかけると、「職員のがんばり」のことが強く目にとまります。定年退職の後、訪問した学校はのべ20校になります。どの学校でも例外なく職員がひたむきに努力している姿が目に入ります。
こんなにも学校では職員ががんばっているのです。そのがんばりに見合った成果が出ているのかというと、残念ながらそこには疑問符がつきます。
今の私の立場は初任者のがんばりを目に見える形で応援することです。初任者が1年間で一人前になるところまで成長し、2年目は自分のクラスだけではなく職場に貢献できること。そして、何よりも初任者の笑顔が見られることを願っています。
(2016年6月27日)