★学校に直接携わっている立場と、一歩、学校を離れた立場から観る学校現場は、ひと味違った受け止め方があるはずです。長きにわたり、教員・校長として学校に携わられた中林先生、平林先生、神戸先生、小西先生それぞれの視点から、現在の学校、教育について、率直な意見を示して頂きます。
【 第1回 】学校を離れて観ると
〜小西 祥二〜
このコラムでは、4名の“学校現場を離れた”会員が、それぞれの思いを“勝手に”述べていきます。
お耳障りな話もあると思いますが、お付き合いください。
1 自由人になって
第1話は、この3月末で36年間の教職を終えた小西からです。
定年前に退職するのは、“普通”は新しい仕事へ「転職」でしょうが、その予定もなく「自由人」に転進し、その日暮らしを始めました。
自由人になって、まず行ったのが「これまでの片付け」です。
今までにも、その時々に片付けをしてきていますが、そのときには「次のときに…」と整理のあとに整頓をしていたようです。
今は「次の…」は必要なく、「自分にとって…」だけを考えて片付けができます。しかも、考える時間がたっぷりある贅沢な日々です。
2 情報発信のはじまり
整理する中に、初任の時の学級通信があり、その最終は220号でした。振り返ると、ここが今の情報発信の原点となっています。
第一号は5月2日の発行です。迷走する初任者に、20代の同僚が「通信に書いたら?」と声をかけてくだいました。その日から印刷は、二人のB5版を合わせB4用紙に行いました。相手があるので休めません。「続けること」の価値を体感しました。年度末に製本すること、そこに校長先生の言葉をいただくこと、「まとめること」の意味を教えていただきました。当時はOJTという言葉もありませんでしたが、今も情報発信を続けられているのは、この一年の体験と学びがあったからです。
「先輩は先達。」
「先生、若手の心に火を点け続けていますか?」
3 ノートに残る先人の教え
教職では、ノートに日々の記録をしていました。そこに「職員打ち合わせで校長先生が話したこと」など、日常の“指導”が残っています。
それを書いている時は備忘録でしたが、“自分の軸”を作っていく一言一言になっていたことを、その記録が語っています。
年度始めのページに、次のようなメモがありました。
子供も先生も「今年は、どうしようか?」と探り合っている状況の時期に、先ずは「あなたの理想の授業」を求められました。
“よい授業”というものがあるとしたら、それは教師と子供の数だけあると思います。それを斟酌する前に、まずすべきことは 「これ」だと言っています。
そして、時を変えて、次のように言います。
「理想の授業」を子供とともに作っていきますが、知らず知らずのうちに「主役は教師」になってしまっています。
それに気づかせる一言です。
「教師は演出家。」
「先生、主役の言葉を取っていませんか?」
(2016年5月16日)