愛される学校づくり研究会

★人間には誰にも知的好奇心があります。仕事のため、趣味のため、実益のためなど、様々な目的で我々は学びます。学校のころから勉強が好きだった人も、社会人になってから学ぶ楽しさを感じた人もあるでしょう。ここでは、その楽しさを感じることになったきっかけを振り返り、学ぶことの楽しさを教えてくれた人やことについて紹介します。

【 第5回 】幼い頃の記憶
〜岩倉市立岩倉中学校長 野木森 広〜

「学ぶことの楽しさを教えてくれた人は誰か?」と問われても、明確にこの人だと特定することは難しい。しかし、自分自身が理科の教師となってから、時折、幼い頃の記憶が呼び覚まされることがある。

理科の授業における、私の最も幼い頃の記憶は、小学校1年生のある雪の日の授業である。担任の先生に言われて小さな雪だるまを作り、教室に運んだ。先生は、「雪だるまをできるだけ溶けないようにするにはどうしたらいいか?」と質問を投げかけた。すると、元気のいい級友たちが、すぐに「何かで包めばいいよ」と発言し、雑巾やティッシュで雪だるまを包み始めた。

これを見て私は、「そんなことをしちゃだめだ! 大切な雪だるまが溶けちゃう」と心の中で強く反論したことを覚えている。つまり、その頃の私の認識は、「服を着ると暖かくなる」という感覚がすべてだったのだ。

しかし、対照実験の結果は、私の予想に反し、包まなかった雪だるまは給食の頃までには無残にも水と化し、ティッシュや雑巾で包んだ雪だるまは小さな塊となって残った。私は、この結果に大きな衝撃を覚えたが、むろん、当時の私に、熱の伝導などという概念があろうはずもない。幼い私はこの現象を説明できないまま、「服を着ると暖かくなるのになぜ?」という疑問を抱き続けることになる。とは言っても、小学校1年生のことである。このときの疑問は、いつしか意識の外に追いやられていた。

そして、再びこの疑問を思い出したのは中学生になってからのことである。理科の授業で気象の学習をしているとき、先生が放射冷却(夜、気温が低くなる現象)の説明を「曇りの日の夜に地球が冷えないのは、地球が一つ服を着ているからだと思えばいい」と言われたのである。このとき、私は「なるほど、曇りの日の夜に冷えないのは地球が雲の服を着ているからか。逆に昼に暑くならないのも雲が太陽の熱を遮っているからだ。つまり、服(雲)は暑さからも寒さからも身を守るものだ。」と理解した。そして、そのときふと小学校1年生からの疑問が蘇り、「雪だるまを包んだ雑巾は、温かい室温から雪の冷たさを守っていたのだ」と説明できたのである。こうして私の雪だるまの疑問は、長い年月を経て解決に至った。

さらに、この一連の概念形成の過程を自分自身が振り返ったのは、教員になってからである。小学校4年生を担任し、「もののあたたまり方」の教材研究をしているときであった。金属の入れ物と発泡スチロールの入れ物に、同じ温度の湯を入れても、入れ物に触れたときに感じる熱さは入れ物によって全く違う。子どもたちは、この現象に触れたら、その後どのように思考を展開していくのだろうと考えていたとき、自分の一連の問題解決の記憶が蘇ったのである。

このように、教材研究をしていると、自分自身が受けた教育をしばしば振り返ることがある。雪だるまの疑問のように、そのときには意識していなくても、授業によって、長年持続するような強い興味や関心を抱き、やがてそれが問題解決につながることがある。

こうしてみると、問題解決の楽しさや、学ぶことの楽しさは、長年受けてきた授業の中にちりばめられていたに違いない。日々の授業の中で、学ぶことの楽しさを教わっていたのである。

さて、果たして自分自身の教授活動には、学ぶことの楽しさをちりばめることができているであろうか。反省しきりの毎日である。

(2014年10月20日)

学ぶ楽しさ

●野木森 広
(のぎもり・ひろし)

昭和55年、教員生活スタート。小学校教諭23年、教頭4年、愛知県教育委員会義務教育課指導主事、扶桑町立扶桑中学校校長、愛知県教育委員会尾張教育事務所指導第一課管理主事を経て、現在、岩倉市立岩倉中学校校長。附属小、県教委、初めての中学校勤務で校長など、いつも新鮮な気持ちで取り組める環境を与えていただいている。専門は理科。義務教育課時代に、全国学力・学習状況調査の主務として「愛知県版分析プログラム」の開発に携わり、以来、教育の情報化にもかかわっている。