★人間には誰にも知的好奇心があります。仕事のため、趣味のため、実益のためなど、様々な目的で我々は学びます。学校のころから勉強が好きだった人も、社会人になってから学ぶ楽しさを感じた人もあるでしょう。ここでは、その楽しさを感じることになったきっかけを振り返り、学ぶことの楽しさを教えてくれた人やことについて紹介します。
【 第15回 】子どもとして教員として学ぶことのたのしさを教えてくれた出会い
〜小牧市立北里小学校 教務主任 中川行弘〜
「学びは未知への探究。わからなさとの出会い」とよくいわれます。早生まれの私は、小さいころから、わからないこと、できないことばかりでした。不器用なくせに、好奇心旺盛で、無鉄砲。霊合星人・木星人+の私は失敗して泣いてばかり。そのおかげか、やさしいみなさんに囲まれ、温かく支えられてきました。安心してつながり、夢中に学ぶことのたのしさを教えてくれた人々は数えきれません。授業での学びに限定しても同じです。
この原稿を書いていて気がつきました。「授業を受けたくないなあ」「授業をしているこの先生はいやだなあ」と思ったことが自分には一度もありません。小学校から続けている剣道とは大違い。剣道の先生たちや先輩たちはだれも大好きなのですが、「稽古に行きたくないなあ」「武道場がなくならないかなあ」と仲間といつも語り合っていました。
ここでは、「子どもとして学ぶたのしさを教えてくれた出会い」と「教員として学ぶたのしさを教えてくれた出会い」の中のそれぞれ1つずつを紹介したいと思います。
子どもとして学ぶたのしさを教えてくれた出会いの1つは「母校である小牧市立味岡中学校」です。味岡中学校のすべてが衝撃でした。先輩たちの凛々しい姿。入学式での大人のような校歌の歌声。生徒総会等の自治的運営と格好いい意見交換。部活動に燃える先輩たち。先生たちの授業では「学問をしている」という実感にいつもワクワクしていました。「先生たちがどのように指導しているのか?」先生目線でポイントをノートにメモしていたほどです。雲の中から光が射し、「学びの方向性」がみえた感じがしました。「先生になりたいなあ」と父親に語ったのもこのころです。しかし、先生たちとも仲が良く、PTA役員だった父親は、「先生だけにはなるな!」となぜだかいっていました。
味岡中学校では、学級の運営委員会が週に2度もありました。毎日の短プロ(朝の会と帰りの会のプログラム)と週に1度の学級会の計画づくりのためです。毎日の朝の会と帰りの会、学級会の内容と司会・運営は、すべて運営委員が担当し、先生はサポート役に徹していました。この計画がなかなかつくれず、学級会において、とっさに対応することが難しく、かなり苦労しました。運営委員として3年間しっかり鍛えられ、学びの土台がここでできたように思います。幸運にも、教員になって母校の教壇で後輩たちを指導しました。この学校文化が脈々と受け継がれていて、とても幸せな9年間でした。
教員として学ぶたのしさを教えてくれた出会いの1つは「Web小牧市教育センター・教育研究所」です。授業を受けることが大好きな自分ですが、授業者としてはいつももがき苦しんでいます。「わからないから学び続けている」とお話になるすてきなみなさんと模擬授業に参加し、授業を分析し、研究の成果を交流し、研究会や教育書の情報をたくさん得ました。研究熱心なみなさんとつながり、学びの魅力にはまり、質の高い課題を学ぶことがたのしくなり、学びの幅が広がり、学びが深くなりました。しかし、学べば学ぶほど、肌感覚が高まり、反省することばかりで、授業での苦しさは一層増えています。
歳を重ねても、わからないこと、できないことばかり。でも、すてきなみなさんと安心してつながり、夢中に学ぶたのしさを味わっています。「子どもと先生と教材が一体となった授業」「共に学びを創り上げる授業」「子どもの事実に対応した学び」「オーセンティックな挑戦的な学び」・・・を現在研究しています。しかし、「根っこ」がまだまだみえず、もがいてばかりの毎日。これからどんな新たな出会いがあるのか?たのしみです。
(2015年8月31日)