愛される学校づくり研究会

★人間には誰にも知的好奇心があります。仕事のため、趣味のため、実益のためなど、様々な目的で我々は学びます。学校のころから勉強が好きだった人も、社会人になってから学ぶ楽しさを感じた人もあるでしょう。ここでは、その楽しさを感じることになったきっかけを振り返り、学ぶことの楽しさを教えてくれた人やことについて紹介します。

【 第12回 】父のお絵描き教室
〜一宮市立尾西第三中学校 校長 長谷川濃里〜

私の父は8人兄弟の長男で,若い頃は日本画の先生に師事していました。しかし兄弟を養うために画家になる夢を諦め,私が生まれた頃には自宅で毛織物の機屋(はたや)を営んでいました。
  5つ違いの姉が小学校に入学する頃から,父は乞われて親戚の子や姉の同級生に絵を教え始めました。毎週日曜日は母が織機(しょっき)を動かし,父は子ども達に絵を教えるのが習いでした。いつの頃からか,私も一緒に絵を描くようになりました。

休日に家族で遊びに出かけた記憶はありませんが,毎年5月には犬山成田山の写生大会に出かけました。山腹に咲き誇るツツジ、朱も鮮やかな山門や本堂、緑青のふいた大仏などを描きました。モンキーパークや東山動物園の写生大会にも出かけました。猿の絵が完成すると遊園地に行くお許しが出ることが楽しみでした。夏休みや冬休みには応募作品となるポスターを何枚も描きました。小学校時代、日曜の午前は,たくさんの小学生と一緒に絵を描くことだけに費やされていました。そこには絵を描くことが好きとか嫌いとかという感情はなく,家族と過ごす当たり前の時の中で絵を描いていたように思います。それでも続けてこられたのは、応募した作品で時々いただく賞のおかげだったかもしれません。

中学生になって美術の授業が始まりました。小学校の図工とは違って,美術専門の先生は様々な絵画の技法を教えてくれます。この授業で初めて、自分が絵を描く時の工夫が絵画の技法として確立されたものであることを知りました。
  服の立体感を出すために色を少しずつ変えたり,幾重にも重なる山の色合いをだんだん薄くしたりするのは「グランデーション」という。
  路地を奥から描く時に、遠近感を出せるように点を決めて道や軒の線を広げていくのは「透視画法」という。 色彩が単調にならないように、筆で1点1点色を変えながら描くことは「点描」という。
  ポスターでよく使っていた目立つ配色は「補色」という。
  タイトルで使う、細くて止めがはっきりした字を「明朝体」、太くて角ばった字を「ゴシック体」という。などなど。
  これまで絵を描く時に、父から教えてもらったり自分でちょっと工夫したりしたものには「技法」としての名称があって、既に多くの人たちが研究してきたものであることを知りました。父はそんな「技法」の名称をひとつも教えてくれませんでした。私はまだ他にも「技法」があるのではないかと,美術の教科書以外の本や画家の作品にも興味を持つようになりました。

中学生の私にとって、自分が絵を描く時に使っていた方法が、教科書にある技法として授業で扱われることは、少なからず衝撃でした。その時、この世の様々なことは既に学問として成り立っていて、研究している人がいる。道端の雑草にも名前があり、その生態を研究している人がいる。部活を強くするにも学問があり、その練習方法を研究している人がいる。ということを知りました。小学校以来の「学ぶ」ということの視野が広がったような気がしました。

私は美術の道には進みませんでしたが、少しばかり絵を描けることは、教員生活の様々な場で役立ちました。しかしそれ以上に生意気盛りの中学生の頃に、学ぶ材料や追究すべき課題は身の周りにいっぱいあって、それをひとつずつ解き明かすことの楽しさに気づいたことは、幸せだったと思います。授業にでてくる内容に「なぜ?」「どうして?」がいつも生まれて、それが学びの動機づけになったからです。反面「これを覚えなさい」と力説する授業に反発し、教科にも先生にも心を閉ざし、人として偏り始めたのもこの頃でした。

4月末に1年生を引率して立山宿泊学習に出かけました。霧雨とガスの中を高原バスで上っていくと、何mもの雪の壁の向こうに、抜けるような青空を背にした雪山が姿を現します。車窓から後を振り返ると、雲海の中に小島のような山頂が幾つも浮かんでいます。
  生徒が嬉しそうに「校長先生、天気よくなってよかったですね」と声をかけてくれました。私はにっこりと「いや、天気はきっと変わっていないと思うよ」と答えました。
 それから座席周りは「どういうこと」「どういうこと」という声でざわつきました。「あっそうか」の声が聞こえたかと思うと、あちこちで「今はね、雲の上に出てきたんだよ」「雲の下は今もきっと雨だよ」と得意げに説明する声が聞こえてきました。
  「学ぶことが楽しい。考えることが楽しい」と思える子ども達を育てていきたいと願っています。

(2015年5月11日)

学ぶ楽しさ

●長谷川濃里
(はせがわ・あつさと)

1982年小牧市にて教員生活を始める。中学校教諭24年、指導主事3年、市職員1年、小学校教頭2年を経て、現職に至って4年目。初めてのボーナスで買ったパソコンを数学の授業に使ってみたことが始まりで、コンピュータ活用、数学教育で多くの先生と出会え、学べたことが今日の自分を支えている。今に至っても隙あらば授業へ、部活動へ行こうと狙っている。