★人間には誰にも知的好奇心があります。仕事のため、趣味のため、実益のためなど、様々な目的で我々は学びます。学校のころから勉強が好きだった人も、社会人になってから学ぶ楽しさを感じた人もあるでしょう。ここでは、その楽しさを感じることになったきっかけを振り返り、学ぶことの楽しさを教えてくれた人やことについて紹介します。
【 第11回 】記憶にはないけれど…
〜株式会社EDUCOM 大谷由紀〜
まだ小学校の低学年だったある日、母の実家に遊びに行ったときに、引き出しから小さな古い本が出てきました。それは、「家なき子」の文庫本でした。
「家なき子」、それは安達祐実が”同情するなら金をくれ!”で有名になったドラマではなく、フランスの作家エクトール・マロが書いた、養父によって旅芝居の一座に売られた少年レミのお話です。その古い本独特の、紙の古びた香りがなんだか気持ちよくて手にとって開いてみました。すると、文庫本なので当然なのですが、1ページに文字がいっぱいで、子どもが読むようにはルビがふられていません。当時の私には背伸びしても難しそうな本でしたが、ちょっと大人になれるような気がして、知っている文字を拾い読みしながら、あるいは前後の文章から想像しながら読み始めました。
でも・・・ やっぱり読めないなあ。この字、なんて読むのかしら。
う〜ん、わかんない。面倒だから、ココはとばしちゃお。
文庫本の文章量が幸いして、多少読みとばしても、物語の筋が私にもわかるところがありました。でも読めないところがたくさんあるページは気持ち悪くて、「この字とこの字、なんて読むの?」と、母や祖母に教えてもらっていました。
何度も私が聞きに行くうちに、毎回教えるのがだんだん面倒になってきたのか、あるいは教育熱心だったのか、母が辞書の引き方を教えてくれました。たぶん、都合も考えず聞くので面倒だったんでしょうね・・・。
母が教えてくれたのが、漢和辞典の使い方。「こうやって画数を数えて、漢字を探すと字の読み方が見つかるから探してごらん」。分厚い辞書を渡されて、母が示すその画数のページを順々に前から見ていくと、知りたかった漢字があって、その読みが書いています。
「あった〜! ふ〜ん、こう読むのか」。
他の字も探すと、ちゃんと読みが書いてあります。「な〜んだ、カンタン!」。ただ、画数がきちんと数えられていないとお目当ての字が載ってないという事態に陥り、画数を数え間違えたときはもう1画少ない字を探す、もう1画多い字を探す・・・。お目当ての漢字を見つける頃には、どこを読んでいたのかすっかり忘れているということもありました。それでも、漢字の読みがわかるということで、ものすごくわかったような気持ちになって、子どもながらに大満足でした。もちろん、読みがわかったところで意味がわかならい字はいくつもあり、熟語は難しくてお手上げ。結局、ここはいいやと相変わらず読み飛ばしも多い読書でした。
この本を読むのは、まだ幼い私には骨の折れることだったはずなのですが、漢字探しはゲームのようだし、レミがこの先どうなるんだろうという好奇心もあって物語の先が気になり、読み続けました。そのうち、国語辞典の使い方を習い、学校で習って読めるようになった字も増えていきました。本があったのが母の実家ということもあって、母の実家に行くたびに少しずつ読むのが楽しみになり、読み終わったらまた読み、二度三度読んでいると、前よりスラスラ読めるようになっただけでなく、辞書も早く引けるようになっていました。
今になって考えると、小さな子ども向けの読みやすい”家なき子”の本は、学校の図書室や市内の児童図書館に行けばあったはずなのに、母の実家にあった“家なき子の本”をやめませんでした。物心ついたときから、仕事を終えた母が寝る前の時間を使って、文庫本を読んでいるのをよく目にしていました。母の本を読む姿を見ていて、文庫本を読むことが私には真似したいこと(真似すること)になっていたんだと思います。母に「昔からよく本を読んでいたよね」と話をすると、母は「自分が読むだけでなくて、読み聞かせもたくさんしてあげた」というのです。申し訳ないことにそちらの記憶はまったくありません。「あら、そうなの?」と言ったら「せがない(=実家の香川の方言。張り合いがないこと)」と、がっかりされましたが、記憶にもないくらいの時から本を読むという素敵な習慣を日々の中で伝えてくれた母に感謝です。
(2015年4月6日)