★日々行われている授業には、私たち教師に「元気」や「気づき」を与えてくれるすばらしい風景がたくさんあります。そんな風景を体全体で感じる時、そこには必ず素敵なほほえましい子どもの姿があります。大成功を収めた授業、大失敗に終わった授業、意外な展開に胸が高鳴った授業など、それぞれの教師が伝えたい心に残る授業の一コマや、授業があることで輝く学校現場の風景などを紹介します。
【 第16回 】私が忘れてはならない授業
〜大西 貞憲〜
授業アドバイザーとして、毎年何百という授業を見ています。時として、自分が現役時代にできなかったことをアドバイスしていることもあります。現役の教師ならば自分の授業を見られた時のことを考えると偉そうなことは言えませんが、自ら授業をすることのない私には、そのような抑止力が働きません。自分の授業は遠い過去です。意識していないと、上から目線で説教をしてしまう危険があります。そのことを忘れないように意識することが求められます。
その私が、授業アドバイスの仕事をするようになってから、度々思い出す授業の一場面があります。
わからーん!
突然、一人の生徒が席から立ち上がり、頭をかきむしるようにして歩き出しました。
初めて中学校の教壇に立ってから、まだ1年も経っていない時です。自分の技量はさておき、「これが大切だ」「わかるまでくらいつけ」「頑張れ」と一方的に子どもたちに求めることばかりしていました。「ポイントはきちんと押さえて教えている。わからないのは子どもたちがちゃんと勉強していないからだ」そんなふうに思っていました。ありがたいことに、子どもたちは誰も不平を言わず、私の授業に一生懸命ついてこようとしてくれました。そんな子どもたちを見て「自分はきちんと授業ができている」と根拠のない自信を持ち始めていました。
この生徒は今から思えばADHDだったように思います。日ごろから落ち着かない子どもではありましたが、授業をじゃまするほどのことはありません。友だちとうまくコミュニケーションを取れずに泣いてしまうようなところもある、ちょっと傷つきやすいがとても気のよい子どもでした。ここまでの反応をしたのは、私の説明を本当にわかろうとしていたからでしょう。だからこそ、わからないことに耐えきれなくなって叫び声をあげたのです。なんとかその場を収めたように思いますが、よく思い出せません。ただ「その生徒の後ろには、“わからーん!”と心の中で叫んでいた子どもが何人もいたのではないか?」そう考えたことだけは覚えています。
子どもはわからなくても「わからない」とはなかなか言えないものです。私に「わかった?」と聞かれても、わかったような顔をしてうなずくしかなかったのです。そのことを一人の生徒が「わからーん!」と叫んで教えてくれたのでした。
それから私の授業は少しずつ変わっていったように思います。「子どもがわかったかどうかをどうやって確認しよう」「子どもがわかるためにはどんな活動が必要だろう」と考えるようになりました。今も大切にしている「授業の改善すべきところは子どもが身を以て教えてくれる。子どもから学ぼう」という考え方は、この時初めて私の中に形となって表れたように思います。
この授業の一場面は、自分が未熟で至らない教師だったことを棚に上げてアドバイスしないため、私が忘れてはならないものです。私がアドバイスする先生方の多くは、当時の私と同じく、若くて経験も浅い方です。わからない、できないことがたくさんあるのがあたりまえです。あの頃の自分の気持ちを思い出しながら、先生方に寄り添って一緒に考えることを心がけています。そして、あの生徒が「わからーん!」と叫んで教えてくれたように「わからない」と困っていることを子どもたちの代わりに伝えることが私の仕事だと思っています。辛口と言われることもよくありますが……。
(2016年4月4日)