★日々行われている授業には、私たち教師に「元気」や「気づき」を与えてくれるすばらしい風景がたくさんあります。そんな風景を体全体で感じる時、そこには必ず素敵なほほえましい子どもの姿があります。大成功を収めた授業、大失敗に終わった授業、意外な展開に胸が高鳴った授業など、それぞれの教師が伝えたい心に残る授業の一コマや、授業があることで輝く学校現場の風景などを紹介します。
【 第12回 】生徒の反応が授業の評価
〜新城市立千郷中学校 川本 篤史〜
新任から十数年、それなりに授業をこなすことができ、生徒からも「楽しい授業」「ためになる授業」という評価をもらい、満足していました。その後小学校に赴任し、小学校の授業にも慣れてきたころに行った授業研究会で衝撃を受けました。教員生活十数年で初めて、授業における指導技術について指摘を受けたのです。
私の専門教科は技術です。多くの学校で技術科の教員は1名しかいません。私も新任から10年間、校内で一人の技術科教員でした。そのため指導内容や指導方法も我流になっていたのです。授業研究会を持っても指導内容の検討が中心で、指導方法や授業技術については話題にならず、自分の授業技術について何も疑問を持つことなく過ごしていました。思い返すと、生徒は確かに「楽しんで」授業に参加し、その場では「分かった」様子であっても、「何となく分かった気がする」状態であって、本当の意味での「分かった」までは達していなかったのです。そのため、生徒から「分かりやすい授業」という評価は出てこなかったのです。
その日から、授業に対する考え方を改め、自分の授業技術を見直し、授業技術を学び始めました。校内の生徒を掴むことが上手な先生の授業を見させて頂いたり、有田和正先生や向山洋一先生、野口芳宏先生、西川純先生の本を読みあさったりして、学んだことを片っ端から試していきました。授業の組み立て方を始め、発問や、指示の出し方、教材の示し方など、今までいかに無頓着であったかと反省し、意識するようにしました。
こうしたことを続けて数ヶ月もすると生徒の反応が変わってきました。発問を聞いて「はっとした顔」をする生徒、教材や資料を見て「分かった!という顔」になる生徒。生徒の反応に授業に対する意欲が高まったことを感じました。当然授業の進め方に少しでも隙があると生徒の反応は薄いままです。自分の授業の評価は生徒が毎時間、態度で示してくれています。
私は30代半ばになって初めて指導技術や学習規律の重要性に気がつきました。これをもっと若いときに気がついていればと思います。今後ももっと学び、実践していこうと思います。そして、できるだけ若手の教員も誘って一緒に学ぶことを目指したいと思います。
(2015年6月22日)