★このコラムは、津市の太郎生小学校の校長だった中林則孝先生によるものです。中林先生は校長としてほぼ毎日「学校便り」を発行していらっしゃいました。教室で起こるドラマをドキュメンタリー風に書き綴った便りからは長年の実践に裏打ちされた深い教育哲学と固い信念を感じます。真っ直ぐで媚びを売らないその論調から「中林則孝のゴメンネ辛口コラム」というタイトルにしました。教育にまつわるさまざまな話題を独特の切り口で切ってもらいます。
【 第3回 】子どもたちは「教えられるプロ」
私たちはプロの教師です。教えることを職業としており、間違いなく「プロフェッショナル」です。
子どもたちも「教えられるプロ」といえます。このことを私は玉置崇先生から初めて聞きました(太郎生小学校の公開研の後、職員との研修会の場で)。玉置先生のことはこのサイトをご覧いただいている方には説明が不要ですね。玉置先生は著書の中でも「生徒は授業を受けるプロである」(『中学校数学科授業 成功の極意』)と書かれています。玉置先生のその言葉から触発されたので、私流に考えてみます。
「子どもたちは教えられるプロである」とはどういうことでしょうか。子どもたちはこのことで収入を得るわけではないけど、学ぶことは子どもたちの本分です。でも、そのことだけをもって「教えられるプロ」と言っているわけではありません。
子どもたちの「プロのすごさ」は2面あります。「学ぶ」という本来の良い意味でのすごさ。それは子どもたちの底知れぬエネルギーとして感じることがあります。1時間目から6時間目まで、教師はあの手この手で指導をします。それにほとんどの子どもたちはたくましく、粘り強く、対応します。百マス計算や漢字練習のような、時として疲れるような学習でも、それをすることが当たり前のように取り組みます。体育で汗をかいてきたあとも、水筒のお茶を飲んで汗をぬぐった後、学習に取り組みます。休み時間は運動場で遊び、チャイムが鳴ると走って教室に入ってきます。また、時には感動するほどの学習へのあくなき態度を見せます。教師が思ってもみなかった鋭い発想や豊かな感性を見せることもあります。まさに「学ぶことが天職」ともいえる一面を子どもたちは持っています。
しかし、「教えられることのプロ」である子どもたちのすごさは、常にプラスに働くわけではありません。時には、教師を困らせる形で表れます。端的に言うと、「いかに教師の教えから逃れるのか」ということです。つまり、「教えられるプロ」でありながら、「教えられることを避けるプロ」でもあるのです。
指導者が異なると、子どもの方も対応を変えることはよく知られています。A先生の授業ではみんな行儀が良いのに、B先生の場合はおしゃべりが多いなど。子どもたちは教師の指導力を見定め、許される(別の言葉で言うと、見逃される)ギリギリまで規律を守ろうとはしません。子どもたちは自由気ままに遊びたいのです。それが授業中であろうとも。そのことを、私は「授業を受けるプロ」と言いたいと思います。
このことは改めて書くほどではないかもしれません。教員の間ではいわば「常識」のはずです。
別の例を挙げます。大型テレビや電子黒板を授業で使うことが増えてきました。その時、教師は子どもたちに背を向けてスクリーンの方を見てはいないでしょうか。最初のうちはICTが物珍しいので興味を示しますが、そのうち、教師が子どもに背中を向けていると遊び出します。授業でそんな場面を見ることが何度もありました。
長く子どもに背を向ける教師は未熟であり(つまりアマチュア)、スキを突いて遊び出す子どもたちは「教えられるプロ」といえます。逆転しているのです。初任者のクラスで起こりやすいといえます。
子どもたちは作文においても遺憾なく「プロの技」を発揮します。それはどのように作文を書いたら教師が喜ぶかを知っているということです。「○○をする時、どきどきしました。足が震えるようでした。でも、〜のことを考えて、心を落ち着かせました」、「○○さんの意見を聞いて、私は自分の考えを変えました。○○さんはすごいと思います」、「すごくよかったです。○○に感動しました。またやりたいです」などと書くと、教師はほめるはずです。ほめてもらうため、あるいは評価点を高くしてもらうために子どもたちは平気で本音ではなくてもきれいな言い方(建前)をするのです。
子どもたちの書く作文が建前だけのきれいごとか、本音が出ているかを私たちは「確かな目」を磨いて見抜かなければなりません。これは簡単なことではありません。でも、子どもたちは思ってもいないことでも建前を書いて教師を満足させようとすることがあることを知っていると、私たちの対応は異なります。「教えられるプロ」(子どもたち)を凌駕する「教えるプロ」にならなければなりません。
そのためには私たちは勉強が必要です。なにしろ、相手は「プロ」なのです。保育園や幼稚園から通算すると、もしかすると若手教員よりも「プロ歴」が長いのです。しかも、相手は集団です。大人だから子どもたちをコントロールするのは簡単だなどとまさか思っている教員はいないとは思いますが、「大人対子ども」という力関係の図式ではなく、「教えられるプロ対教えるプロ」と考えると、余計なストレスを持つことなく、ひたすらプロの技術を磨くことができるはずです。子どもたち対教師のゲームのようなものだと考えることもできます。子ども集団のしたたかさや気まぐれを、確実なプロの技術を駆使して対応していきたいものです。私たちが指導力の高さにおいてプロの教師だと言われることを願って。
(2014年6月16日)