★今回から寄稿させていただくことになりました新城市教育委員会教育長の和田守功と言います。「桜梅桃李(おうばいとうり)」とは、ありのままの個々「子供の姿」です。作為的なはたらきかけによってつくられた姿ではなく、無作(むさ)の、もともと一人ひとりの子供のもつオンリーワンの命の輝きが表出された姿です。そんな姿をこよなく愛し続けていきたいというのが私の思いです。そうした考えから、タイトルを「桜梅桃李を愛す」としました。私の教育に対する拙い思いの一端を皆様方にお伝えすることができればとの思いでペンをとらせていただきます。1年間、よろしくお願いします。
【 第18回 】知の世界を広げる国語の授業を!
学校教育で最も時間数の多い授業が国語です。例えば、小学校2年生では、週28時間の授業枠のうち9時間が国語の授業です。全授業時間数の実に35パーセントを占めます。この時間が子供にとって知的好奇心を高める楽しい授業であるか、表面的な単調な授業であるかは、以後の子供の学びの姿勢に大きく影響すると思われます。しかも、小学校では、国語の授業は、多くは担任が指導します。したがって、担任の国語力が授業の質を左右するといっても過言ではありません。その意味で、教師の「読む力」「書く力」の向上は、きわめて大切なことです。
「一に国語、二に国語、三四が無くて、五に算数」とは、ベストセラー「国家の品格」を著した藤原正彦さんの口ぐせです。世界に通用する日本人を育成することを考えたとき、ツールである英語が話せることより、日本や日本文化をきちんと語れることのほうが大切であると、声を大にして述べられています。国レベルで英語の早期教育が課題となっていますが、その前に国語教育を充実させることが重要であるとの見解です。国語の授業時間数は、他教科と比べて多いので、形の上では、「一に国語 二に国語」の体制になっているので、求められるのは、国語授業の質と成果です。
「読む」ことは、「字面(じづら)を追う」ことではありません。言葉と言葉、文と文、段落と段落の関係をおさえて、一つ一つの言葉のイメージ、言外に含まれた意味、行間に込められた筆者の意図など、根拠をもって読み取ることです。字面を追うだけでは見えにくい新たな認識の世界を発見することが「読む」授業です。
授業で「読み」を扱うことは、同じ日本語で表された文章でも、人それぞれに理解の仕方、読み味わい方、読み深め方が違うことを知り、自分の読解の力を高め広げることにあります。過日、某市の3年生の国語の授業を参観して、強い危機感を抱いたので、前回に引き続き「国語」について述べます。
説明文「もうどう犬の訓練」(3年国語 東京書籍)の形式段落の読み取りです。「てびき」に掲げられた課題についての話し合いです。課題と本文は以下のようです。
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もうどう犬は、たくさんの人がいそがしく動き回っている町で仕事をします。そこでは、 いろんなことに出会います。しかし、どんなことがあっても、おこったり、ほえたり、あばれたりしてはいけません。また、仕事中は、人にあまえたり、じゃれたり、おいしそうなにおいのする方に行こうとしたりしてはいけません。さらに、他の犬がほえても、気にしないこともひつようです。
実際の授業では、ワークシートにキーワードを拾って記述しながら、次のように展開しました。
まず、「もうどう犬」は「町で仕事をし、いろんなことに遭遇する」ことを理解します。それゆえ、「どんなことがあっても」「おこったり、ほえたり、あばれたりしてはいけません」を押さえます。その理由については、授業で触れられるとよかったのですが、既述の「目の不自由な人を安全にみちびくことができない」からです。
次に、「また」を押さえて「あまえたり、じゃれたり、おいしそうなにおいのする方に行こうとしたりしてはいけません」を並列で付け足しました。「仕事中は」の文節が無視されました。「は」という区別し強調する助詞を見過ごしては、文章の大意を見誤ります。子供たちが前文の「どんなことがあっても、してはならないこと」という読み方に流されているとき、教師から、「ほんとうに、あまえてはいけないの?」といった切り返しの発問があれば、子供たちは、「仕事中でない時」にも考えをめぐらすことができたはずです。そうすれば、「目の不自由な人」と「もうどう犬」との「心の通う家族」という文章の結びの言葉にも納得のいく理解が得られたはずです。
その後、「さらに」を押さえて「他の犬がほえても気にしない」を付け加えました。「しかし」から後の3文は、どれも「もうどう犬がしてはいけないこと」です。ただ、「どんなことがあっても〜してはいけません」という全部否定の部分と、「仕事中は〜してはいけません」という部分否定の部分があることを正確に読んでおきたいところです。盲導犬として絶対にしてはいけないことと、仕事をしているときにはしてはいけないことを読み分けることで、人間と犬との心の通う関係が見えてきます。仕事中でなく家に居るときには、あまえたりじゃれたりする「心の通う家族」としての交流があることで、双方の愛情と信頼が深まり、絆が強くなるのではないでしょうか。
さらに、話し合いの過程で、犬を飼っている子供の体験、過日の盲導犬の虐待のニュース、アイマスク体験などの話題が出てくれば、読みはいっそう深まります。教材文の内容が身近に感じられて興味関心も高まり、「人間のためにはたらく犬」である警察犬や救助犬、介助犬などについても知りたいという知的好奇心がふくらみます。
この授業において、最終的に大多数の子供たちがまとめた要約文は、「もうどう犬は、どんなことがあっても、おこったり、ほえたり、あばれたり、あまえたり、じゃれたり、においのする方へ行ったり、他の犬を気にしたりしてはいけません。」というものでした。予想どおり「仕事中は」が抜けていました。また「仕事中は」を入れて書いた一部の子供も、本文の丸写しで要約文にはなっていませんでした。
正確な読解なくして、的確な要約はありえません。一語一語の「言葉の意味」、「言葉と言葉」「文と文」の関係を文脈から推測したり、反対言葉や異なる視点から対比して考えたり、自分の生活や社会の動きと照応して判断したりしなくては、的確な理解には及びません。
国語の授業を見ていて、いつも一番大切に思うことは、「教師の教材文の正確な読み」です。教材解釈がきちんとされていれば、「立ち止まり」や「切り返し」などの教師発問も時宜を得て的確にできます。それにより、授業の質は向上し、子供たちの学びは深まり、知的好奇心の高まるものと考えます。
(2014年11月10日)