★今回から寄稿させていただくことになりました新城市教育委員会教育長の和田守功と言います。「桜梅桃李(おうばいとうり)」とは、ありのままの個々「子供の姿」です。作為的なはたらきかけによってつくられた姿ではなく、無作(むさ)の、もともと一人ひとりの子供のもつオンリーワンの命の輝きが表出された姿です。そんな姿をこよなく愛し続けていきたいというのが私の思いです。そうした考えから、タイトルを「桜梅桃李を愛す」としました。私の教育に対する拙い思いの一端を皆様方にお伝えすることができればとの思いでペンをとらせていただきます。1年間、よろしくお願いします。
【 第12回 】「百万人の言葉」を使わない!
センチメンタルを命に刻む。「しみじみ」と感じる時間をかみしめて、三月が去りゆきました。学校の卒業式、勤務先の異動や定年退職、心を交わした教え子や同僚との別れに、センチメンタルな気持ちになり込み上げるものを感じます。目元がゆるみ、「ああ、いい仲間と過ごせたなあ。」「いい先輩、いい先生に恵まれたなあ。」「家族や地域の方々の支えによって今日があるなあ。」などといった、「絆の恩」に目覚め、感謝の気持ちに浸るのも、三月ならではの趣です。
「新しい」は、前進のエネルギーです。今年は、3月31日(月)に退職辞令伝達・感謝状贈呈式があり、一夜明けて、4月1日(火)に、新任・転任者に発令通知式を行うというあわただしい日程でした。お世話になった方々との別れの感傷にひたる間もありません。つかの間のセンチメンタルでしたが、「感謝」「恩義」「別離」といった心情は、静かに命にしみいるものです。そして、忘れられない思い出として心に刻まれ、次の新しい前進のエネルギーに昇華していきます。
子供も親も期待に胸を膨らませています。新しい学校、学年、先生、友達など、「新しいもの」に接することで、「新しい自分」に生まれ変われるかもしれないという、あこがれにも似た願望が、子供たちの「心おどる期待」となります。進学・進級という「新しい環境」「新しい出会い」が変身・飛躍のチャンスとなります。
期待にそえる「新しさ」を提供ができるかが勝負です。入学式、始業式の感動も、日がたつにつれて色あせていきます。子供や保護者の期待が、落胆に変わり、失望となることもあります。願わくば、期待が期待どおりの現実となり、新たに生まれた出会いが明日への希望につながるものでありたいものです。そのためには、教師の目が、常に新しいものを求め真実を究めようとする「求道の目」であることが肝要です。教師の取組姿勢が、「言葉」となり「行動」となって、子供の目に映ります。マンネリや惰性やご都合主義は、即座に、子供に見破られます。
教師の言動・行動で範を示すことがポイントです。読書や研修で脳を鍛え、斬新な教材教具や指導技術でもって授業を展開することは大切です。しかし、それ以上に、子供たちの学習や人間への知的好奇心をくすぐり意欲関心を高める日々の積み重ねが重要です。そのためには、日常生活の身近なところで「新しさ」を求め続けることが効果的です。
例えば、担任が日々「朝の会」において、子供の目が届く周囲の自然の変化や、学区の人々の子供たちへのほめ言葉を話題にします。子供たちが新鮮感覚で受けとめれば、おのずと変化の視点で自然や人間を見つめるようになります。
また、担任が子供たちの表情を見て、「○○君、背筋がピンと伸びてるね。何かいいことあったかな。」「○○さん、昨日休んでいた弟さん、元気になったかな。」などと、温かい言葉かけを繰り返せば、子供は共感の目で周りの人々を見るようになり、常に新しい発見があります。さらに効果的と思われるのは、用具を使わない運動場での集団遊びです。刻々と状況が変化しつつ展開するので、常に新鮮感覚で過ごせます。
「百万人の言葉」を使わないことも心がけましょう。子供が予想していることを、子供が予想したような言葉で話を聞くことほど、新鮮味に欠けることはありません。普通に誰もが発するありきたりの言葉を、私は「百万人の言葉」と称しています。日記やノートの赤ペン指導でも、「百万人の言葉」では面白くも何ともありません。教師の個性のかけらも感じられません。新鮮に感じるのは、同じ事柄であっても、子供が予想もしない切り口で言葉が語られたときです。「ものの見方・感じ方」で新しい発見のある話題は、子供の「聞く耳」を育てるとともに、知的好奇心をかきたてます。教師が「百万人の言葉」を使わないことを心がけるだけで、新鮮感覚を維持できます。ちょうど、美しい色合いと甘い蜜で虫をひきつけて離さない春の花(写真)のように、教師のキラリと光るところを魅せたいものです。
(2014年4月17日)