★このコラムは、学校のホームページを中心とした学校広報の考え方について、15年以上学校サイトに関する研究を続けてきた国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)の豊福晋平氏がわかりやすく解説します。
【 第2回 】匿名ブログに困ったことが書かれてあると…
先日、さる学校に伺った際にこんな話を聞きました。
誰かは分からないが、とある学校教員がブログに仕事や管理職の不満を書き連ね、挙げ句の果てに、自分は教師だが子どもは嫌いだと言ってはばからない。そんな内容が、関係者の間では問題になっているのだとか。
これはきわめてデリケートなテーマなので、即答できなかったのですが、あらためて考えてみると、学校特有の課題がいくつか含まれていると思いましたので、この場で解説してみたいと思います。
公的情報・私的情報と実名・匿名
このテーマで問題になるのは、発信者が扱う公的・私的情報の軸と、実名・匿名の軸からなる構造です。
まず、社会一般の政治や社会問題の話題を除けば、我々の扱う公的情報の大半は、職業や役職を通じて得られるものです。つまり、「職業上知り得た情報」ですから、その扱いについては、職業上の倫理規定や就業規則等の縛りを受けます。例えば、企業の場合、社員がtwitterやfacebookといったソーシャル・メディアを利用する場面を想定して、社内方針を決めているケースもあります。
私的情報(個人情報ではありません)とは、個人の生活に関わるもので、たとえば、趣味の話題や家族・近親者との関わりが綴られるわけですが、これらは本来、職業や組織が関知するものではありません。
実名・匿名は身分や氏名を明かすか否かということですが、インターネットのメディアを用いれば、この記事のように、署名付きでコラムを発表することも出来ますし、匿名で意見表明したり、他者と対話したりすることが可能になりました。
学校現場の理解は誤解だらけ
ただ残念なことに、学校でお話を伺っている限りでは、これら2軸について教職員の一般的な理解には、多くの誤解が含まれているように思います。端的にいえば、
・インターネットに実名を明かすのは何でも危険だと思っていること
・逆に、匿名なら何をしても構わないと思っているフシがあること です。
これらの理解が間違っている理由を以下に示しましょう。
公的情報は実名のほうが信頼できる
公的情報の大半は、所属・身分・氏名が伴わないと、情報信頼性が担保されません(図の4)。
私のような者が所属や氏名を明かすのを当たり前と考えるのは、研究調査の知見を公的情報として提供する際に署名が重要な役割を果たしている事を認識しているからです。
たとえば、学校の公式ブログに記事が書かれていても、文責署名のない文章に良く遭遇しますが、これは一般社会人からみれば、かなり非常に奇異な印象を与えます。氏名を出さないのは、何か出せないまずい理由でもあるのか?と思われるでしょう。
インターネットの匿名は条件付き
匿名掲示板に爆破予告を書き込んで捕まるというニュースが時たま流れますが、インターネットの匿名とは、あくまで、公序良俗に反しない限りという条件付きのものです。通信のプロセスには様々な痕跡(ログ)が残りますから、手間はかかっても発信源を突き止めることは可能です。
匿名の公的情報発信は問題
先に述べた通り、「職業上知り得た」公的情報の扱いは、職業倫理や組織規定に拘束されるので、これらに抵触するおそれがあります。明らかに特定の職業・組織・人物が分かる書き方になっていれば、関係者にあらぬ嫌疑がかかりますし、業界全体の評判にも影響します。
ただし、匿名の公的情報発信は、組織の不正行為や理不尽な扱いに対する内部告発手段でもあるので、全部丸ごと取り締まれば良いというものでもありません(冒頭にデリケートと書いたのはそれが理由です)。
冒頭の匿名ブログに関していえば、仕事上ストレスや不満はその人の勝手だとしても、教師という職業を明かしておいて「子どもが嫌い」と公言するのは、業界全体にダメージが及ぶので、職業倫理上問題ありと言うことになるでしょうか。
インターネットというメディアが多様な情報の扱いを可能にした半面、まだまだ、学校を取り巻く現場では、それらに十分慣れていないという事をこのたび痛感した次第です。
(2012年6月25日)