愛される学校づくり研究会

★特別寄稿

ふるさとが復興する時は必ず来る
      〜岩手の子どもたちと共に〜
岩手県奥州市立広瀬小学校副校長 佐藤正寿

1 戻れるものなら戻りたい

あの日から、何度涙がこぼれたことだろう。リアス式海岸を襲った津波。多くの大切な命が失われた。今も県内で千数百名が行方不明のままだ。
 東日本大震災での津波が襲う様はまさに地獄絵だった。かつて勤務していた宮古の街が流されていく。かつて見た風光明媚な大船渡も陸前高田も釜石も襲われた。「自然の脅威」というにはむご過ぎる仕打ちである。
 必死の思いで避難したものの、校舎が使えず今も他校や公共施設を間借りしている学校も多い。戻れるものなら3月11日以前に戻りたい・・・今もそんな思いだ。

2 子どもたちの「がんばり」が大人を勇気づける

失望の中にいる私たちを勇気づけたのは、他ならぬ子どもたちだった。被災したのに避難所での配膳やお年寄のマッサージ等に励む子どもたち。避難所の体育館で行われた卒業式で「ふるさとを立て直したい」と強く語る子どもたち。また、被害がそれほど大きくなかった内陸の子どもたちは、県内の被災地の子どもたちのために募金活動に取り組んだ。「今は自分たちの番」と。
 大震災から3週間後に自分が転勤した学校も体育館やプールが地震で大きな被害を受けており、使用できない期間が続いた。そんな中でも沿岸の子どもたちのために手紙を書いたり、児童会が募金活動に取り組んだりした。子どもたちのメッセージはやさしさに満ち溢れていた。
 大人もそれまで体験したことがない状況。そんな中での子どもたちの温かい心と強い心。私たち大人も「この子たちのためにがんばらなければ」と励まされる思いであった。

3 「釜石の奇跡」から学ぶ

今回大きな被害を受けた宮古市の学校に、私は10年前まで勤務していた。その時に「津波学習」に取り組んだ。津波の恐ろしさを知り、どのように対処したらよいか、過去の事例から学ぶものであった。その時点での自分の取組が、意味がなかったとは思わない。
 しかし、今回の津波はその時の自分の想定をはるかに超えたスケールであった。自分も、「行ける環境になったら被災地の現場を見て考えなければいけない。それが次の防災学習につながる」と痛感するようになった。この1年間、時間を見つけては休日に被災地を何度か訪れた。
 強烈な印象に残っているのが釜石の鵜住居地区である。「釜石の奇跡」と言われた小学校、中学校がそこにはあった。釜石市では率先して防災教育に取り組んできた。あの日も地震の揺れが収まると中学生たちが自分たちの判断で避難を開始した。隣接する小学校の子どもたちも、中学生の様子を見て一斉に避難する。避難場所がさらに危ないと判断して、さらに避難し間一髪のところで難を逃れた。その避難した道を実際に通ってみて、「中学生たちがよくこれだけの判断を瞬時にしたものだ。まさに防災教育は大きな成果」と痛感した。しかも、子どもたちは「『釜石の奇跡』は奇跡ではない。すべきことをしただけ」とのちに語っている。「本物の防災学習がここにあり」と感嘆した。(詳しくはこちらのサイトを参照。)

4 「復興教育」に向けて

本県では、今回の大震災を受けて「いわての復興教育」プログラムを今後推進していく。「ひとづくり」「体験から学ぶ」「組織的有機的指導」「各校の実情に応じた内容」の4本柱からなり、具体的には次のような内容を想定している。

  • 郷土を愛し、その復興・発展を支える人材を育てる
  • 今回の震災津波と向き合い、この体験そのものを「教材」とし、児童生徒の「生きる力」をはぐくむ
  • 震災津波に際した一連の対応を、学校の教育活動として有機的に関連付けて指導する
  • 復興教育を学校経営に位置付け、各校の状況や児童生徒及び地域のニーズを踏まえて取り組む

東日本大震災を経験した本県にとって、この4項目はどれも大切なことだ。今回の震災と津波の体験は後世に語り継がなければいけない。「釜石の奇跡」のような例はもちろん、辛い体験も、子どもたち自身がのちの世代にきちんと伝えるべきことだ。もちろん今も辛い思いをしている中ではすぐに実践できないかもしれない。それも事実である。そのような子どもたちの実態を考慮しつつも、将来の子どもたちの進むべき道を、私たち教師が示さなければいけない。
 また、全国各地の自衛隊・警察・ボランティアの皆さんが県民にしてくださった支援を私たちは忘れない。今はなかなか恩返しまではいかないが、いずれは恩返しをする気持ちに誰しもあふれている。いずれは「2011年に私たちに起きたこと」として、全国各地からの支援を題材として各学校で学ぶことになるであろう。それは教育的価値の高い学習となるに違いない。

5 「乗り越えた」と言える日がいつか来る

被災地以外では、現在大震災関係の情報はどの程度流されているのだろうか。
 岩手では地元テレビや地元紙が毎日何かしらの情報を発信している。絶えることはない。また、絶やしてはいけないと思う。
 その中には子どもたちに関わるものも多い。今年1月6日の「岩手日報」紙には、子どもたちの未来へのメッセージが寄せられていた。

  • 「全国からの支援がとてもうれしかった。今年はみんなが明るい気持ちで暮らせるまちになってほしい。」(小学校4年生)
  • 「部活の仲間5人で仕事を頑張ろうと誓い合った。少しでも古里の復興に貢献していきたい」(高校3年生)
  • 「皆で支え合う中で地域の絆が強まった。今年は中学生。復興へ向けて私も地域の一員として役割を果たしていきたい」(小学校6年生)

何とも逞しい言葉だ。辛い現実がありながらも、子どもたちは明日を、そして未来を向いている。大震災から丸1年。まだまだ復興への道のりは始まったばかりだが、先のように志がある子どもたちと共に歩むことは、今後の私たち教職員にとって大きな誇りであり、生きがいでもある。「3・11の時は大変だった。でもあの辛さを私たちは乗り越えた。そして今の自分がある」・・・そんなふうに言える日が、子どもたちも私たちもいつか必ず来ると信じている。

(2012年3月11日)

 

●佐藤 正寿
(さとう・まさとし)

1962年、秋田県生まれ。秋田大学を卒業後、1年間民間会社勤務。1985年から岩手県公立小学校に勤務。現在、岩手県奥州市立広瀬小学校副校長。「地域と日本のよさを伝える授業」をメインテーマに、社会科を中心に教材開発・授業づくりに取り組んでいる。「平歩前進」がモットー。小さなことをこつこつと積み上げるタイプで、「一気にする」ことはやや苦手である。 主な著書『価値ある出会いが教師を変える』(ひまわり社)、『スペシャリスト直伝!社会科授業成功の極意』(明治図書)等。ブログはこちら