★新教育コラム「出会いこそが教師をつくる」開始にあたって
だれしも、教師人生に変化をもたらした、心に残る出会い(人、物、出来事など)があるといいます。このコラムでは、その出会いについてリレー方式で語っていただきます。
【第6回】校長の熱い思いが、全校体制のホームページを確立した
〜新潟市立上所小学校 鷲尾健仁〜
学校広報を語る今の自分があるのは、前任校である新潟市立亀田東小学校で出会った宮下寿雄校長のおかげです(本コラム執筆時は新潟市教育委員会江南区担当指導主事)。宮下先生との出会いで、私のその後の教員人生は大きく変わりました。
前任校に着任したその日、机の中に自分の私物を入れていると、校長から、
「ホームページを月1回でいいから更新してほしい。」
と話しかけられました。
「校長先生、それは無理です。やったことありません。第一私には、クラスがあります。」
と、即答しました。
それからも幾度となく「ホームページを何とかしたいんだよなあ。」というぼやきにも似た声が聞こえてきましたが、ことごとく受け流していた私でした。周囲の同僚も、
「校長先生、そんな無理言わないでください。」
と援護射撃するほどでした。
転機が訪れたのは、数ヶ月後、夏休みに入ってからでした。保護者でもあり、同級生でもある仲間数人と飲んだ時のこと。
「うちの学校のホームページってどうなっているんだ。全然動いていないじゃないか。誰が担当なんだ。」
仲間の一人にそう指摘され、内心ドキッとしながらも、私は、
「そんな暇があるわけないじゃないか。僕は、ホームページをするために教師になったんじゃない。」
と、むきになって反論していました。
それが契機となり、やれ運動会が文化祭がと、学校についての話題となりました。ところが、ことごとく話がかみ合わないのです。一般的にマスコミで報じられている学校に対する負のイメージが先行し、学校のことが正しく保護者に伝わっていないのです。確かに、着任当時よりクレームの多い学校だとは思っていましたが、同級生も保護者として多くいる学校ですから、話せば何とかなるくらいにしか思っていませんでした。もやもやとした思いを抱えながら散会しました。
数日後、職場の有志で飲んだ時のこと。校長がドカッと隣に座りました。それから会が終わるまで、懇々と諭されました。アルコールが入った非公式の場でしたが、その数時間で私の考え方は、180度変わりました。
- お前は給料分働いていない。授業や学級経営に力を注ぐのは新採用でも当たり前。30過ぎたら自分が学校に対してどう貢献しているのか、その部分を考えないといけない。僕は地域で1番の学校を作りたいのだ。お前の担当分掌はホームページなのだから、地域で1番のホームページを作らなければいけないのだ。それが給料分働くということなのだ。
- 僕は、保護者や地域、そして教育関係者に、自分の考えを理解してもらわなければならない。その手段こそがホームページなのだ。
- うちの学校の先生たちは、頑張っている。でも、そのよさが全然伝わっていないじゃないか。学級だよりで、自分のことを褒めるわけにはいかないだろう。だから僕がきちんと評価するんだよ。それをホームページで流したいんだ。
- 保護者のクレームが多いのは、学校のことがよくわからないからだ。このクレームを建設的な意見に変えたいのだ。 等々
当時校長は、パソコンを所持しておらず、文書作成は専らワープロ。そんな校長が、自分の子どもと同年代の私に、懇々とホームページの必要性について熱く語るのです。数日前の同級生との一件も影響していたのかもしれませんが、不思議と素直に耳を傾けることができました。私の心を動かすには、十分すぎるほどの中身の濃いひと時でした。
それまでホームページを作成した経験がなかったのですから、実際にホームページを更新するまでには、更に約2ヶ月を要しました。最初は週に1回の更新がやっとでした。すると、校長は次のような方策を次々と取りました。
- 出勤時と退勤時のアクセス数を記録し、職員の目に触れるようにする。
- 週1回発行する校長室だより(職員向け)に、学校ホームページに対する適切な評価を行う。
- 職員朝会で、「ホームページに僕の考え方が載っている。」と紹介し、職員の閲覧を促す(内部広報)。
- 新しいコーナーを設置する際は、パソコンは苦手な、しかし、力のあるベテラン教師に意見を求める。
- 取組の成果を発表する場を求め、筆者を学校外部にどんどん出し、研鑽を深めさせる。 等々
校長の熱い思いに応えようという日々。気がつけば1年後には、当たり前のように学校稼動日は毎日更新するようになっていました。
「僕が去った後こそ大事なんだ。まずは1年、がむしゃらにやりなさい。」
そう言い残して校長は異動しました。
…1年後、私が「全職員体制で学校ホームページを作成したい。」と提案した時に、「鷲尾さんが言っているのだから、間違いないのよ。全職員が関わってやりましょう。」と、真っ先に声を挙げたのが、先に登場した、パソコンが苦手な、しかし、力のあるベテランの教師その人でした。私がホームページを作成する立場から、ホームページをマネジメントする立場に、学校ホームページが本当の意味で学校の財産に変わった瞬間でした。
ここで改めて言うまでもなく、宮下校長との出会いで得たものは、ホームページ作成技術などではありません。学校全体を見渡す広い視野と学校をどうしていかなければならないかという視点で見つめることが少なからずできるようになってきました。学校ホームページをマネジメントすることで、学校の教育活動全体が誰よりも見え、学校運営に積極的に参画することができるようになりました。
また、1つのミッションを遂行する際、ミドルリーダーとしてどう周囲を巻き込んでいけばいいのかについても、自然に考えるようになりました。
「この学校をよりよくするために、僕は何ができるだろう。」
本校に異動して数ヶ月が経ちますが、日々そんなことを考えます。
(2012年8月27日)