★新教育コラム「出会いこそが教師をつくる」開始にあたって
だれしも、教師人生に変化をもたらした、心に残る出会い(人、物、出来事など)があるといいます。このコラムでは、その出会いについてリレー方式で語っていただきます。
【第20回】私を変えてくれた人・言葉
〜知多教育事務所 真山 惠〜
「子どもはね、みんな愛されたいと思っているよ。」
教員になって10年目、中学校と小学校を両方経験し、それなりに自信をもって指導できるようになったころでした。その頃の私は、「よいことはよい、悪いことは悪い。」と厳しく子どもたちに接していました。何事も努力すれば必ずできるようになると思っていました。今思うと、恥ずかしいほど幅の狭い未熟な対応だったと思います。そんなある日、先輩の女性の先生が、冒頭の言葉を噛んで含めるようにおっしゃったのです。その日、私が大声で子どもたちを叱っている姿をその先生が見かけられたのです。その先生は、それに続けて「悪くなりたいと思っている子なんていないのよ。」と優しく諭してくださいました。この時のことを、私は今でもはっきりと覚えています。優しいけれど毅然とされた先輩の言葉に、子どもの悲しそうな顔が目の前によみがえり、次に大声で叱りつけている自分の姿を思い浮かべ、頭を抱えたくなりました。
それから、2年ほどして、特別支援学級(当時は特殊学級)の担任になりました。そこでも、忘れられない言葉と出会いました。当時担任した子のお母さんが、「この子が障がいをもっていることが受け入れられず、辛くて、車でこのままどこかに突っ込んで死んでしまいたいと思ったことがあるのですよ。」と話されたのです。そのお母さんは、当時私と連絡ノートで、その日家であった出来事や、ささいな成長への喜びを毎日綴ってくださっていました。そんなお母さんが、子どもの障がいを本当に受け入れられるようになるまでの心の内の迷いや苦しみを、担任である私に打ち明けてくださったのです。このお母さんとの2年間の交流で、「本物の親」になることは、容易なことではないということや、親も子どもと一緒に成長していくのだということを私は知りました。そして、それまでにも増して、どんなに小さな成長も親御さんと一緒に喜び合いたいと思うようになりました。
30代後半になり、通常学級の担任に戻ってからも、この2つの言葉は、常に私の中に強く残っていました。子どもが愛されたい、よくなりたいと願っていることを信じ、一人ひとりに合った方法を工夫して対応できるようになりたいと強く思うようになりました。そして、子どもが自分の言葉で思いを語れる授業がしたいと思い、教育実践書を読んでは授業で試すようになりました。
そして、私に次の転機が訪れたのが、3年育休明けに赴任した知多市の小学校でした。まず、その小学校で出会った先生の中に、心から尊敬できるベテランの先生が何人もいらっしゃいました。特に、50歳代の先生が、体をはって子どもたちと真摯に向き合う姿に私は心を打たれました。子どもたちの心を精一杯受け止め、一生懸命子どもに向き合っていく姿を見て、私ももっともっとがんばらねば・・と自分自身に言い聞かせました。授業研究に本格的に目覚めたのもこのころです。その学校に教務主任として赴任された小竹紀代子先生は、よい研究会があると私たちに声を掛けてくださいました。それまでは、休みの日に研修なんて・・と思っていた私でしたが、小竹先生に「いい研修だから行こうよ。」誘われると、なぜだか楽しいことに思えてくるから不思議です。特に、当時小牧市で開催されていた「教師力アップセミナー」では、それまで本の中でしか知らなかった有田和正先生や野口芳宏先生から直接講義を聴くことができて興奮しました。また、小竹先生は、研究論文に尻込みする私に「絶対やれるよ。」と力強く後押ししてくださいました。
そして、この学校で教頭から校長になられた山田純一郎先生は、私たち担任がいろいろなことに気を使うことなく授業に専念できるよう、いつも環境を整えてくださいました。山田校長は、「授業をしっかりやってほしい。授業が一番大事。」と常に職員に訴えられました。校長先生の分かりやすい学校経営方針に、私はすっきりとした気持ちで授業に集中できるようになりました。
研究授業後の校長先生からの指導はいつも辛口。しかし、率直で当を得た指導は実に心地よく、次にまたがんばろうという気持ちになりました。 授業後に同僚と実践のアイデアを出し合い、励まし合い、時に競い合いながら、全校が日常の授業にしっかり取り組む雰囲気ができていきました。実は私が赴任した当初、生活指導上の問題がよく起こっていたのですが、2・3年後には、子どもたちはすっかり落ち着き、学力も市内でトップクラスになっていました。
今、言えることは、こうした様々な出会いがなかったら、今の私はないということです。最近、「学問は、人の体温によって伝えられる。」という言葉と出会いました。また、古くから「背中で教える。」という言葉もあります。「あの人のようになりたい。あの人に教わりたい。」と思ったときに、人は自分から進んで学ぼうとするのだと実感しています。どんなにコンピュータやインターネットが進化しようとも、教育に人の温もり(心)を欠くことはできないと思います。
今、学校現場は優れた教育技術をもつベテランがどんどん退職し、若い少経験者が増えています。若い先生方にとって私の背中は目標になれるだろうかと自問の毎日です。できればその背中は、温もりが感じられる背中でありたいと思っています。
最後に、先日新聞で出会った素敵な言葉を紹介します。「青春は自分の心の中にある。私は今も青春です。学んだことを生かして社会のために働けたら。」愛知県立碧南高校定時制を今年度首席で卒業された、71歳の尾崎琢美さんの言葉です。私の心もまだまだ青春だという希望と勇気をいただき、明日へのエネルギーが湧いてきました。
(2014年3月10日)