★新教育コラム「出会いこそが教師をつくる」開始にあたって
だれしも、教師人生に変化をもたらした、心に残る出会い(人、物、出来事など)があるといいます。このコラムでは、その出会いについてリレー方式で語っていただきます。
【第16回】「学び合う学び」との出会い
〜小牧市教育委員会 指導主事 中川 行弘〜
「学び合う学び」とは、子どもも先生もみんなで学び合い、質の高い学びに挑戦する協同的な学びのことであり、学び合いによる協同の学習のことです。小牧市では、この「学び合う学び」を市ぐるみ・学校ぐるみで共有しています。
出会ったのは、十数年前。一般的にいう荒れた学校に勤務していた私は、「自分ががんばれば何とかなる。うまくいかないのは、自分のがんばりが足らないからだ」と本気で思っていました。その当時の実感でいうと、「がんばっても、がんばっても荒れていく」「がんばればがんばるほど子どもからも先生からも心の距離が遠くなっていく」という感じでした。
結論からいうと、この「学び合う学び」に出会い、依存・受容・互恵・対話・協同などの大切さを理解し、心の声に素直になり、身体からの声に正直になり、子どものころ楽しかったことや望んでいたこと、学生のころ学んできたことを次々と思いだし、「自分がこうありたい」という願いがわきあがってきて、学びの感度や肌感覚も高まりました。「もっと早く出会っていれば、これまでの苦労をしなくても済んだのに」と思っています。また、「子どもたちに申し訳なかった」と反省もしています。しかし、当時は、自分の学びや育ちが貧弱で、こんな宝物に気がつかず、わかっていなかったのです。
「学び合う学び」を知った当時は、「聴くことが大切」「わからなさを共有」「コの字型の机配置」「ペアやグループを活用」「関わり合う関係性」・・・・と教えていただき、本を読んで、仲間とともに実践しました。しかし、振り返ってみると、あの当時は学び合いではなく、あくまでも教え合い。「活動あって学びなし」の状態だったように思います。「学び合い」「たのしい授業」「学び合う関係性」に対する考え方が根本的に間違っていました。「学び合う学び」を支える学問的な背景、「学び合う学び」の哲学や理念などを全く理解しておらず、子どもたちの関係性がよくなり、学校中が穏やかになったことだけで満足していました。
市教委でお世話になる以前の2006年から小牧市WEB教育センターの研究員に応募し、仲間から刺激を受けながら研究を続け、国内研修の機会を得てから大きく変わりました。「予算は決まっているけど、いつでもどこへでもいくつでも出かけていいから」と市教委で教えていただきました。さすがに平日に出かけるのは厳しかったので、土日に開催される全国の研究会を調べ、部活動指導の合間をぬって出かけました。
それぞれの学校文化や学びの風土にちがいはありましたが、本気で取り組んでいる学校でたくさん学びました。これをきっかけに、多くの学びの場を知り、学びの機会が広がりました。最近「私がとらえている 学び合う学び」を作成しました。学ぶたびにここにもどり、読み返して修正しています。学ぶことにより、だれからもどんなことからも学ぶことができるように少しずつなってきているのですが、学べば学ぶほど無知を知る毎日です。小牧市の幼稚園・保育園・小中学校では、「学び合う学び」を共有し研究しています。すてきな学びの場がこんなにたくさん近くにあったことにやっと気がつき始めています。まだまだ自分の学びと育ちが貧弱です。
私がとらえている<学び合う学び>
2013.12.8
すべての人々が安心して聴き合い学び合う真のコミュニティをめざし、質の高い課題に協同的 に挑戦し、夢中になって学び合うことにより学ぶ、すべての学びと育ちを保障する本物の学び
1.自分の弱さや脆さを認め、受容し、わからなさを共有する互恵的なコミュニティで学び合う
聴くことは受容することである。自分の弱さや脆さを認め、互いの想いを聴き合い、わからなさを受け止め、親身になって寄り添い、共感的に理解し、文化や世界を共有する。心を開き、心を寄せ、心を砕くことにより、身も心もほぐれ、学び合う関係性や同僚性が構築され、互恵的なコミュニティが形成されていく。だれもが安心して、ペアやグループにより協同的・活動的・表現的・反省的に学び続ける学び合う学びの理念を学校ぐるみ、市ぐるみで共有し、学び合うことにより学ぶ。
2.だれからもどんなことからも学び、学びの感度も増し、新たな世界につながるたのしさを味わう
保育や教育において語られてきたエビデンスを共有する。幼児期に安心できる環境で育まれた質の高い遊びが夢中になって学ぶ身と心を育て、学ぶ基盤を形成する。学齢期において、多様な価値観や他者、対象や素材、新たな自分との出会いが学びを生む。対話を組織し、質の高い課題に協働する中で互恵的に成長し、学びが有機的につながり、深化していく。ともに聴き合い、支え合い、高度な学びに挑戦し続ける学び合う風土において、学びの感度が高まり、だれからもどんなことからも学ぶようになる。本物の追究へと向かう感度も増し、新たな世界につながるたのしさを味わう。
3.教科や素材の本質を研究し、事実に寄り添い、質の高い課題を協同的に追究し、豊かに学び合う
教科や素材の本質や文化的価値を研究し、互いの学びや考えをよく聴き、学びの事実に寄り添い、わからなさを共有し、シンプルかつ柔軟にデザインし、想いや学びを摺り合わせる。つなぎやもどしにより支え合い、本質的な課題を協同的に追究し、一人では味わえない達成感や成就感、学び合うたのしさに浸る。身も心もひらかれ、力が抜け、学び続ける文化につながる。本質的に追究する真正な学びは生きる希望をも感じさせることができる。また、学びの豊かさを実感することもできる。
4.学べば学ぶほど無知を知る。協同的な研究により学び合う学びによる真のコミュニティをめざす
学べば学ぶほどわからなさが一層増し、新たな学びが重層的に生まれ、本質的な複雑な課題が次々と迫ってくる。コミュニティにおける日々のかかわりや営みにおいて無知を知り、学びをふりかえり、学びをたどりつつ、原点にもどる。補給した言語や概念を整理整頓し、言語を媒介に自己内で往還的に対話しつつ、再言語化することにより学び育つ。また、書物や師との出会いと対話が学びを豊かなものとする。息の長い本物の研究にするため、関係機関・外部協力者とかかわり、大人として互いに配慮しつつ、協同的な地道な研究により学び合う学びによる真のコミュニティをめざす。
(2013年12月30日)