★新教育コラム「出会いこそが教師をつくる」開始にあたって
だれしも、教師人生に変化をもたらした、心に残る出会い(人、物、出来事など)があるといいます。このコラムでは、その出会いについてリレー方式で語っていただきます。
【第1回】「あこがれの教師」をもてた幸せ
〜岩手県奥州市立広瀬小学校 副校長 佐藤 正寿〜
もう二十数年前のことである。社会科教師として全国的に有名だった有田和正先生(当時筑波大学附属小学校教諭)の授業を参観した。参観者は数百名。教室には入りきらないので近くの公共施設を借りての授業だった。
授業が始まってからは、子どもたちの熱気ある発表ぶりに圧倒されっぱなしであった。3年生の社会科。教師が問いを発するたびに、次々と自説を主張する。「教師に対しても論争を挑んでいる・・・」そんな感じに映った。
「どうしたら、あれほど調べてくる子たちが育つのだろう」と感動が大きく残った。そして、この時の有田学級が私の担任としての目標となった。そして有田先生は「あこがれの教師」となった。
そもそも有田先生を知るきっかけは、「社会科の授業をもっとレベルアップしたい」という思いからだった。不器用な若手教員だった私にとっては教員免許を取得していた社会科が得意教科だった。当時の校長から「まずは一つの教科で秀でるようになりなさい」と指導されていたこともあり、社会科の文献をあれこれ読むうちに有田先生の著書に魅了されてしまった。
「何としても本物の有田学級を見たい」という思いが膨らみ、参観となったのである。
「あこがれの教師」をもてたことは僥倖(ぎょうこう)そのものだった。
著書をさらに貪るように読んだり、講座を受けに東京に行ったりした。教室でも有田先生の実践の真似をして、少しでも近づこうと努力をした。学級通信にも実践を書き、保護者だけではなく地域の教育サークルでも読んでもらった。全ては「有田学級に少しでも近づきたい」という思いからであった。
それから数年後、実践レポートを有田先生に見ていただく機会があった。レポートを送付してから数日後に和紙に毛筆で書かれた手紙が返信されてきた。「雲の上の存在」と思っている有田先生からの手紙だっただけに、大変驚いた。その時にいただいた「いかにしぼりこむかが研究では大切」というメッセージはその時の自分の指針となった。
そして、今も有田先生を追い続けている。著書から学ぶだけではなく、年に1〜2回は研修会で謦咳(けいがい)に接している。
時が経ち、自分も後輩を育てる世代になった。
若い先生方には、「『あこがれの教師』をもとう。その教師を目標に追い続けることが大事」とよく話している。中には「あこがれの教師と出会うチャンスがない」という人もいるかもしれない。
しかしチャンスは作るものである。
「○○先生のようになりたい」「真似をしたい」「尊敬できる」という教師がいたなら、積極的にその人にアプローチすることだ。直接会い、進んで教えを乞う。身近にそんな教師がいたら最高である。遠く離れた地にいる教師でも、積極的に行動すれば会える機会は必ず訪れる。
直接出会ってからはさらに大事だ。話を聞くだけではなく、自分の実践をどんどん見てもらう。むろん、あこがれの教師をさらに追い続けるようにする。
私はこのようにして、教師力を身に付けた。そして、有田先生をこれからも追い続けたいと思っている。
(2012年1月30日)