★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。
【 第9回 】夏に学ぶ
今年の梅雨は各地で洪水や土砂崩れが起こるほどの激しさでしたが、一転して暑い夏がやってきました。学校の夏休みも以前のようには、気楽ではないとよく言われます。それは良く理解していますが、それでもこれだけの期間、ふだんの業務から離れられる仕事はそんなに多くはありません。
私は個人的には、先生方にはこの夏休みに十分リフレッシュすることを第一に考えていただきたいと願っています。何かと身体的、精神的にお疲れのことと思いますので、2学期を迎える体力と気力を回復するのが、この時期には最も必要なことです。ただ、よく知られているように、人間は休むだけでは回復せず、ふだんとは少し異なる刺激を受けることで元気を回復するといわれています。だから、本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を見たりすることは有効なことです。
そんなこともあるのか、夏には各地で先生方対象の研究会が開かれ、それに参加する先生も少なくありません。私も、そのうちのいくつかに参加しますが、本当に熱心な先生方が多いのに驚かされます。以前は、他の先生方の実践や講師のお話を聞いてという研究会が多かったようですが、最近では自分の実践のビデオや授業記録を持ち寄って、検討し合うところが多くなりました。
ふだん行っている学校での現職教育と研究会とでは、かなりの違いがあります。参加者が同じ学年とか学校の同僚ではなく、各地から自己の意思で個人として参加した者同士だということもありますが、それだけではありません。学校では研究授業と連動した短期の研究がほとんどですが、研究会ではもっと長期の研究が主流です。
夏の研究会に持ち寄る実践は、1学期に行ったものもありますが、前年度に行った実践を持ち寄ることの方が多いようです。そうすると、1年スパンの研究ということになります。つまり、さまざまな意見を参考にすぐ次に生かすという訳にはいかない場合も少なくないことになります。これはマイナスといえばマイナスとも言えますが、目先の日々の授業よりももう少し射程の長い単元全体の検討には向いているとも言えます。
つまり、学校での研究と研究会での研究は相反するものと考える必要はなく、おたがいに補い合う関係だととらえた方が良さそうです。教師としての力をつけるためには、いくつかのチャンネルを持っていた方が望ましいということです。といっても、すべての先生が研究会に参加する条件を持っている訳ではありません。
現状では、とてもそこまでの余裕がないという先生も少なくありません。また、ライフサイクルの中で、家庭や学校の仕事で精一杯という時期のあることも事実です。だからこそ、研究会に参加する先生は、自分の学校での研究や実践に還元することを期待されます。学校の研究に、新しい視点が導入されると、それがまた他の先生方の刺激になります。
学校の授業研究でも、同じような考え方ばかりでなく、異なった観点からの意見が必要です。先日、学校への外部指導者として定評のある先生に、直接お話をうかがう機会がありました(その先生は、ご自分を「外部協力者」と呼んでみえました。お人柄が滲み出ています)。
その先生のお話の中で、こんなことが話題となりました。「子どもを見る」と「子どもが見える」と「学びが見える」は違う。子どもの事実を丹念に見るようになり、この発言にはこういう意味があり、こういう発見をしていたのだという、いわば子どもの「点としての見方」はできるようになっている学校はある。しかし、その発言からどういう学びが生まれる可能性があるかという、学びの視点から見ることとは、まだ少し距離がある。
学びとして見るためには、この発言は少し前のあの子の発言を受けている(のだろう)とか、テキスト(教材)のこの部分と結びついている(のだろう)とか、つながりを線でとらえる見方が必要です。これは容易なことではありませんが、一方的な注入ではない、学び合う授業をめざすのなら、身につけたい見方です。
授業での子どもの発言のつながりを関連づけて見られる人が学校の中に一人でもいれば、その学校での授業研究は飛躍的に向上します。そんな力をつける可能性のある機会の一つが、職場を離れた研究会なのでしょう。
(2010年8月2日)