★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。
【 第67回 】『教室内カースト』を読む
パソコンの不調から年賀状のデータが取り出せず、今年は出すのをやめようかと一時考えたほどの年末でした(それでも、なんとか年賀状は出しました)。ところで、「スクールカースト」という言葉を、お聞きになったことがあるでしょうか。最近ちょくちょく耳にする言葉です。教育現場の人からではなく、その周辺の人たちから聞くことが多いように思います。要するに、同学年の児童や生徒の間で共有されている「地位の差」のことです。上手いネーミングととるか、嫌な呼び方ととるか、人によってさまざまでしょう。予想はつきますが、「いじめ」と絡めて使われることが多いようです。
そんな折、そのものズバリのタイトルの本が出版されました。鈴木翔『教室内カースト』光文社新書です。ご丁寧にも、「教室内」には「スクール」とルビがふってあります。著者の鈴木翔という人は知りませんでしたが、表紙には「解説 本田由紀」と書かれています。キャリア教育に関心のある方ならたぶん読んだことのある、鋭い切り口で現状の就活問題やキャリア教育に切り込んでいる教育社会学者です。解説を読んでみると、著者は東大大学院本田研究室の院生のようです。修士論文をもとにしていますが、とても読みやすい記述になっています。こういう書き方ができるかどうかを、人間としてのセンスを測るバロメーターとしている私にとっては、今後注目すべき若手研究者です。
さて、スクールカーストの実態については、話題になった朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』などを読むと、高等学校の現実はこんなものかと考えさせられます(ちなみに浅井リョウは岐阜県の進学校出身です)。私は読んでないのですが、『野ブタ。をプロデュース』をはじめ小説やマンガでは、「ランク」の上下は当たり前のテーマのようです。読者である小中高生にとっては、説明不要なのでしょう。
この本はスクールカーストの実態とこれからどうすべきかを、従来のいじめ研究や生徒文化研究とは違う視点で取り上げています。本書で描かれた以下のような実態は、ある意味驚くべきものです。小学校高学年は微妙だが中学高校では当然のようにあり、それに従って生徒は学校生活を送っている。成績の上下はほとんど関係なく、「にぎやか」「気が強い」「異性の評価が高い」などでランク付けされる。教師もこの実態を受け入れ(結果的に強化し)ている(が、その裏には「生きる力」や「コミュニケーション能力」など得体の知れない能力を重視する社会の動きが関係しているのではないか)。
小中高生もさることながら、当然この調査対象の教師に関心がいきます。インタビューを受けた教師は、首都圏の公立小中高の4人だけで、しかも全員が20代の男性です。これは明らかに対象が偏っています(途中で断られたケースもあったそうで、こういう調査の難しさも感じさせます)。また、教師たちの発言には気になる点が多くあります。例えばある中学教師は、「黄金の3日間」に「学級経営の軸を定め」るためには、「勢力関係の把握」が必要不可欠だ、と答えているのです。??と思いますよね。有名な「黄金の3日間」を、「この間だけは言うことを聞く」期間だと解釈しているのです。
そんな「ランク付け」で構成されるような学級にはしていないし、そのために学級づくりがあるのだ。スクールカーストを利用して学級経営しているのか、でもそれを「学級経営」とは言わないよな。こう考えている先生も多いはずです。私もそう考えます。だが、この教師の学校では(たぶん)そう教えられているのでしょう。この手の学校は決して少なくないというのが、残念ながら私の見方でもあります。子どもたちの受け取り方と教師の捉え方のギャップは、教育のさまざまな面で語られてきました。ギャップがないことも問題だというのが、私の最初の読後感です。
さらに疑問が湧いてきます。小学校高学年の指導が難しくなったと言われることと、スクールカーストとは関係しているか。カーストがあるとしたら、本書では触れられていない「授業」にもそれは関係しているのではないか。自由にグループを形成するというグループ学習は、本当に自由なのだろうか。この実態を踏まえた学級経営、学級づくりのあり方を考えるべきなのか。いろいろな疑問が次々と湧いてくるのは、良い本の証拠です。年の初めに一読をお薦めします。
(2013年1月7日)