愛される学校づくり研究会

黙さず語らん

★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。

【 第55回 】『天地明察』から広がる世界

怒涛のような2週間を過ごしました。このコラムでの時折書いてきた、今度出す本(書名は『協同の学びをつくる−幼児教育から大学まで−』と決まりました)の編集の大詰め作業に追われていたのです。1週間以上満足に睡眠時間も取れないという、私にとっては近年経験したことのない期間でした。
 おかげで、やっと第1次原稿が印刷仕様で完成しました。編集作業がこんなに大変なものかと痛感しました。8人での共著ということ影響しているでしょうが、改めて『「学び合う学び」と学校づくり』出版の際の玉置先生とプラネクサスの依田さんに感謝です。新しい本については8月に刊行予定ですので、いずれまた本コラムで触れることにします。

そんな忙しい間でも私は、他の本を読まないではおれないという悲しい習性の持ち主です。他のジャンルの本を読んで気分転換をしないと、寝付けないような時刻に寝床に入るという生活だったせいもあります。何冊も読みましたが、今回取り上げるのは、『天地明察』(冲方丁、角川書店)です。ちなみに、作者の読み方は「うぶかた こう」。この作品は、数学小説あるいは科学史小説といってもよいのかしれません。

まず書名の『天地明察』の「天地」については、この小説の中に「天体観測と地理測量こそが、天と地を結ぶ目に見えぬ道であり、人間が天に触れ得る唯一のすべてであるのだ」とあります。そして「明察」とは、正解の意味です。つまり、「天地の理を明らかにする」という意味なのでしょう。主人公は、渋川春海(何度も名前が変わりますが最終的にはこの名前)という、本来は御城の碁打ち衆。算術と天文が趣味で、日本人により初めて算篇された暦である貞享暦(春海は大和暦と名付けた)をつくった人物です。
 他に神道家としての面も持つという、多方面にわたるこの人物を主人公とすることで、多彩な登場人物を登場させて武による統治から文治へと移行する江戸時代を描くことに成功しています。碁打ち衆は普段は江戸城に詰めて、幕府の要人の相手をします。だから、有力者に見出される機会も多くなります(もちろん本人に才能があればですが)。そこから老中酒井忠清の命を受け、各地の北緯を正確に知るための全国的な天文観測を行う「北極出地」に参加します。この観測の旅でも、年配者に好かれるという春海の特徴が描かれています。
 水戸光圀からも天文の才を認められ、ついには将軍家綱の後見人である保科正之から改暦事業を託されます。当然のことですが、改暦は朝廷の権限であり、権威の象徴でもあります。幕府の命を受けて春海が願い出た改暦を朝廷が認めるまでには、22年の歳月がかかっています。この間、諦めることなく精度を高めるために努力する姿や、関孝和などとの交流や恋の成就など、成長小説としての要素も盛り込まれており、さすが本屋大賞に選ばれただけのことはあります。

ところで、この作品には、算術の問題や天球儀などの天文機器とその計測技術などが登場します。それに伴う解説というか、説明がなされています。この記述に関しては、天文学、数学、碁など様々な方面から解説や批判があります。digital西行庵blogをはじめとする鋭く、かつ詳細な批判を読むと、興味深いと同時に、小説家も大変だなと同情してしまいます。

私自身は、この小説を読みながら関連していろんなことを調べたり、並行して他の本を読んだりしていました(これで本当に睡眠時間もろくに取れなかったほど忙しかったのか、と言われそうですが)。例えば、朱子学に関しては、後期に数時間受け持つ「日本教育思想史」の参考に、本書に書かれているエッセンスをあとで確認するためにメモしたりしました。
 4代将軍家綱は影の薄い存在です。これも『江戸将軍が見た地球』(岩下哲典、メディアファクトリー新書)には、次のような参考になる記述がありました。「家臣が何か進言すると必ず「左様(そう)せい』と応えたので『そうせい様』とあだ名がついた。トップが頼りない将軍であっても、整ってきた官僚制度のおかげで滞りなく行われた」と。つまり、この時代、経験を積んだ幕閣や吏僚や専門性の高い人材が育ってきたというのです。春海もその一人なのでしょう。

歴史小説が必ずしも当時を正確に反映していないことは、珍しいこととはいえません。私自身も読みながら、「そうかなあ」と思った点がなかったわけではありませんが、自分の知識に確信があるわけでもないので、あまり細部にこだわるよりはストーリー展開を楽しむ読み方をしました。ヒットすると、こういう批判にもさらされるということなのでしょう。映画化されるそうなので、映像となるとさらに細部を明らかにせざるをえません。その辺りがどうなるか、映画を見てみたい気もします。

(2012年7月2日)

副島 孝

●副島 孝
(そえじま・たかし)

1969年から教員生活をスタート。小学校教諭11年、中学校教諭(社会科)10年、小牧市教育委員会指導主事、小学校の教頭校長や愛知県教育委員会勤務を経て、小牧市教育委員会の教育長を2001年から2009年まで8年9か月務めた。小牧市教育委員会のホ−ムページで「教育委員だより」、郷土文芸誌「駒来」に「乱読日録」を連載するなど、原稿に追われる毎日であった。2009年4月から2年間、名古屋大学教育学部大学院で、教育方法学を学んだ。授業実践と研究の両方の楽しさ厳しさを知る立場から、現在は愛知文教大学教授を務めるかたわら、小中高等学校での現職教育の支援をしている。