愛される学校づくり研究会

黙さず語らん

★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。

【 第53回 】「ミッドナイト・イン・パリ」を見る

月に1本は映画を見ます。とは言っても、時間ができた時に上映されている映画の中から選ぶだけで、これはぜひ見たいと目をつけていた作品をめざすことは稀です。また、ビデオでは作品に集中できないので、何かの参考にする場合しか見ることがありません。だから最近は趣味を聞かれても、「映画鑑賞です」とは言わなくなりました。

そんな私が久しぶりに、「いつから公開かな、どこの映画館で上映されるのかな」と調べたうえで出かけた映画があります。それが「ミッドナイト・イン・パリ」です。ウッディ・アレンの監督・脚本で、アカデミー賞の脚本賞を受賞した映画です。ウッディ・アレンの作品をよく見ているわけではありませんが、ひと捻りの効いた心地よい軽さを感じさせる彼の作品は好みの一つです。アメリカの芸術家が憧れた1920年代のパリにタイムスリップと聞けば、誰が登場して、どのように描かれるかを確認したいと気持ちがわいて来ました。最も行きやすい上映館を探した結果、久しぶりに名古屋駅前の映画館で見ることになりました。

アレン自身を思わせる、売れっ子のハリウッド映画の脚本家ギル・ペンダーが、金儲け仕事に飽きて小説を書き始めます。その主人公ギルが、婚約者イネズの両親の商用に便乗してイネズとともにパリを訪れる、というのがこの映画のはじまりです。父親のお金持ちのビジネスマンが共和党右派の支持者で、ギルは当然のように民主党支持という設定です。愛し合ってはいるものの、お嬢様育ちのイネズとは意見が合いません。パリでの生活を提案するギルを、あとの3人は相手にしません。イネズの男友達である蘊蓄をひけらかすポールまで登場し、ある夜ギルはパーティー後、ひとりでパリの夜にとどまります。

12時の鐘が鳴ると、通りがかったクラシックなプジョーが止まり、乗るように誘われます。そこには、なんとフィッツジェラルド夫妻が乗っていたのです。連れてこられたパーティーは主催者がジャン・コクトーで、ピアノの弾き語りがコール・ポーター。つまり、1920年代のパリです。さらにその後行ったバーには、ヘミングウェイがいるのです。「作品を読んで批評してほしい」と申し出るギルに、ヘミングウェイは「作家は他人の言葉など聞くべきではない」と答えるものの、批評家のスタイン女史を紹介すると約束してくれます。

次の夜も現れたプジョーで、スタイン女史のサロンに連れて行かれます。そこでは、なんと女史とピカソが論争しているのです。そして、ピカソの愛人アドリアナもいます。美しいアドリアナに、ギルはすっかり心を奪われてしまいます。

その次の夜は、アドリアナとの遊園地でのデートです。彼女は1920年代のパリを、「つまらない時代よ。本当に素晴らしいのは(1890年代の)ベル・エポック」と語ります。そして、またもやタイムスリップして、2人は1890年代のマキシムからムーランルージュを訪れます。そこには、ロートレックや、ゴーギャン、ドガがいるのです。そして、彼らは「今はつまらない時代だ。ルネサンス期に生まれたかった」と語るのです。ベル・エポックに残るというアドリアナと、残るなら1920年代だというギルは別れることになります。

結局、現代のパリに残ることに決めたギルはイネズと別れます。そして、昼間街角でポーターの古いレコードを売っていた女の子ガブリエルと雨の中で再開し、愛のはじまりを予感させるような場面で終わります。

ウッディ・アレンの脚本は、凝りに凝ったものです。登場人物には、ダリもいますし、その他当時の文化人が登場します。こちらに知識がないせいで、名前が出てもピンとこない人物も少なくないのが残念です。作品の中で重要な役割を演じるスタイン女史も、どんな人だったか私は全く知りませんでした。しかし、アメリカの文化人たちがパリに憧れ実際に住んでいた、1920年代のイメージは十分に伝わってきます。

ジャンル分けすれば、タイムスリップを使ったラブコメディになるのでしょうか。なんといっても面白いのが、現在を否定して過去に憧れる人物と、その考え方を現実逃避と批判する人物が登場してくるところです。そのおかげでギルは、「困難でも今を生きるしかない」ことに気づきます。知ったかぶりのポールをあしらう、時折出てくる美術館のガイド役が、サルコジ前大統領の夫人のカルラ・ブリニ・サルコジだということを、後になって知りました。モデル出身だということですが、どうしてどうして知的なガイドの役がぴったりでした。それだけキャスティングも、十二分に検討されているということなのでしょう。

(2012年6月4日)

副島 孝

●副島 孝
(そえじま・たかし)

1969年から教員生活をスタート。小学校教諭11年、中学校教諭(社会科)10年、小牧市教育委員会指導主事、小学校の教頭校長や愛知県教育委員会勤務を経て、小牧市教育委員会の教育長を2001年から2009年まで8年9か月務めた。小牧市教育委員会のホ−ムページで「教育委員だより」、郷土文芸誌「駒来」に「乱読日録」を連載するなど、原稿に追われる毎日であった。2009年4月から2年間、名古屋大学教育学部大学院で、教育方法学を学んだ。授業実践と研究の両方の楽しさ厳しさを知る立場から、現在は愛知文教大学教授を務めるかたわら、小中高等学校での現職教育の支援をしている。