★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。
【 第5回 】本を読む楽しみ
本を読まなくなったなあと感じます。現役のときに比べると、ずいぶん読書量が減ったように感じています。時々、忙しいから本を読む暇がないなどと言う人がいますが、私はあまり信用していません。自分自身の経験では、いちばん読んでいたのは最も忙しい時期でしたから。
ただ、ここでいう読書とは、半分以上楽しみのための読書です。必要に迫られての読書は、当然嫌でもやらざるを得ません。今なら研究上の参考文献などです。現職のときなら、仕事で読んでおかねばならない本や、もっと以前なら教材研究などの調べ物用の本ですね。もっとも、楽しみのための読書と必要に迫られての読書との境目は、それほど明確ではありません。両方が重なることも少なくないのが、読書の特徴だとも言えそうです。
最近読んだなかでこれは面白いと思ったのが、エマニュエル・トッドの『帝国以後』(藤原書店)でした。こういう本に出会うと、読書を超える楽しみは考えられないなと思わされます。この本でいう帝国とはアメリカ合衆国のことです。すでに1970年代から、アメリカは帝国の名に値しない国になっていたと書いてあります。この著者は同時に、ソ連の崩壊を70年代に予言しています。
その根拠として使われるのが、各国の識字率と出生率です。識字率が50%を超え、出生率が低下(これは広い意味での受胎調節を意味します)すると、その国は近代化の道を歩みはじめると。その視点から見ると、アラブ諸国は着実に近代化を進めている。特にイランは、民主的に近代化を進めている国であると。
アメリカが軍事的にも弱体化しつつあるからこそ、危機を作り出し、弱小国を相手の軍事行動に走っていると、マスコミに描かれるのとは、全く違った世界像を提出します。テロ事件などの問題を、移行期によく起こる混乱であり、全ての先進国が経験してきたことではないかとするのです。
常識を覆すような議論は、トンデモ論と紙一重かもしれませんし、移行期という言い方は逃げとも受け取れます。しかし、ヨーロッパ人の著作らしく、文明論としても、歴史論としても読みごたえがあり、参考になります。少なくとも、したり顔のニュース解説やコメントを疑うことは、確実にできるようになります。
常識を覆えされる経験は、読書の醍醐味です。しかし、真の意味でそんな経験をさせてくれる本は、数多くはありません。環境問題などでは、環境対策など必要ないとする本が書店にあふれています。確かに対策をとったとしても、効果は限定的です。だからと言って、まともな環境対策までも必要ないとすることは、科学者の態度ではないと思うのですが。
『戦争の日本近現代史』(加藤陽子、講談社現代文庫)を読んでいるときに、『街場のアメリカ論』(内田樹、文春文庫)が出たので、早速買いました。2冊並行して読むというのも、読書の楽しみの一つですね。読み手のなかで、互いに影響しあうことがよくあるからです。歴史の原因と結果を説得的に示す本を読みながら、原因と結果を口にする人間を軽々に信じてはいけません、と書く本を読むんですから。
内田本は出し過ぎと思うほど出版されていますので、読んだ人は多いでしょうが、街場シリーズはいわゆるブログ本ではありません。(ブログ本も、いや彼のブログも個人的には最高だと思っているのですが)大学院での演習を、本の形にまとめたものです。『街場の中国論』で、7%の成長率を切ったら中国の政体は危機に陥るが、高度成長を何十年も続けられる国はないと言い切ったように、今回のアメリカ論もなかなかです。
例によって、様々な話題が取り上げられますし、暴論まがいの話題が続きます。統治者はしばしば「廉直でもないし、能力もない」ということを組み込んだ統治システム、子ども嫌いの文化とジェンダー論、訴訟社会の現実など。
そういえば、スコット・トゥローの『囮弁護士』(文春文庫)も読んだところでした。事故が起こるとすぐに駆けつける弁護士の姿を描いていました。アメリカ論に紹介されていた、マクドナルドのコーヒーを車内で股に挟んでふたを取ろうとして火傷を負った人に290万ドルの賠償金(その後、和解で60万ドルで決着)という、自己責任の国アメリカってどこのことという話題に、トヨタも苦労するだろうなあと同情してしまいます。
(2010年6月7日)