★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。
【 第49回 】新しい年度に
新しい年度が始まりました。とは言え、前号で書いたクロアチア旅行が結構ハードで、その後の時差ボケやこの時期特有の夜の会などもあって、体調が本調子とは言えません。それに、やはり積み残した仕事が満載で、ぼちぼちと片付けているという毎日です。また4月から新たに、ほんの数年の間ですが常勤的な仕事を再開することになりました。教員志望の学生にゼミで教える仕事です。
これまで教えていたのは、教員志望に限らずもう少し幅の広い層の学生が対象でした。この歳になっても、未経験の仕事が始まるとなると、それなりに緊張するものです。大学の教員養成に関しては、いろいろ思うところもあったのですが、これまで私は長年すでに教師となった層を対象に仕事をしてきたと言えるでしょう。それが今度は、その前の段階での仕事ということになります。
また、別の大学でも半年間ですが、非常勤講師を務めることになりました。たぶん学生の質や数の違いの大きい仕事になりそうです。でも、経験したことのない仕事には、不安と同時にワクワク感があります。ちょうど異動で新しい学校に赴任するような感じと言ったらよいでしょうか。
もちろん学校を訪問することは、これまで通り続ける予定です。常勤的な仕事とは言っても、学校を訪問することはできる条件にしていますから。もう一つ、昨年度から継続していて、とうとう持ち越しになった協同的な学びに関する本の出版に向けて、原稿書きや編集作業が詰めの時期を迎えています。今回の本は共著ということもあり、ずいぶん苦労をしています。
原稿を持ち寄ってまとめるだけなら、簡単かもしれませんが、やはり一冊の本としては、一貫して流れる考え方や方針が貫かれているかどうかが課題となります。執筆者は基本的には同じ考えの仲間なのですが、細部になると当然ながら一人ひとり微妙な違いがあります。その違いがあってはいけないというわけではなく、その違いが本全体として良い効果を発揮できるかが問題です。
自分のことは棚に上げて言うのですが、他の執筆者が書いた文章を読むと気づくことや参考になることが少なくありません。いちばん思うことは、どういう読者を具体的に想定して書かれているのかということです。特に教師向けの場合は、研究費で買うわけではないので実際に身銭を切って買ってくれる人を思い浮かべて書くことが重要だ、と個人的には考えています。読みにくくても読者は努力して理解するべきだ、などというのは思い上がった考え方でしょう。
減ったとは言え、日本では毎年7万冊以上の新刊本が出版されています。一方、本自体をほとんど買わない人も(教師でも)少なくありませんから、実際に買ってもらうということは大変なことなのだと分かります(だからこそ、これだけ本が出ているのに、売れないと思われる本の出版のハードルは高くなっています)。せっかくなら、本って役立つんだとか、これまでに考えてもいなかった可能性に気づいた、などと思ってもらえたら最高です。
執筆者には、純然たる研究者と学校現場での実践と研究の両方を経験している者とがいます。さすがに実践を経験している人は、書くことが具体的です。現場の教師を主たる読者として想定するのなら、概念だけではなく実際の指導をイメージしてもらうために、具体的ということは必須の条件です。では、現場経験のある人の書く文章は分かりやすいかと言うと、そうとも言い切れないところが難しいというか、興味深いところです。
これは教育の世界だけではありませんが、自分の実践をこうしたらあなたにも可能ですと伝えることは、かなり難しいことです。名選手必ずしも名コーチならず、とよく言われます。素晴らしい実践をしている本人が、本当の勘所に気がついていない場合が多いのです。つまり、自分で自分の実践を伝えることは、かなり難しいことなのです。だからこそ、研究者や解説者の役割があるのですが。
そんなわけで、新年度のスタートとはいうものの、すっきりとはしないスタートです。しかし、よくよく考えてみると現役の時も、疲れ果てて4月のスタートを向かえることの方が多かったように思います。いつの間にか自分のペースを取り戻し、いかにも前から計画していた通りだという顔で仕事に励みたいと考えています。
(2012年4月2日)