愛される学校づくり研究会

黙さず語らん

★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。

【 第38回 】「教育基本条例案」をめぐって

大阪府の「教育基本条例案」が話題になっています。教育委員会とのバトルも伝えられています。教育行政に席を置いたことのある身としては、他人ごととは思えない問題です。選挙で選ばれる立場の人は、民意(有権者の評価や次の選挙)に敏感にならざるを得ません。まして、いろいろと問題があって解決を迫られている状況ならば、なおのことです。

解決しなければという意味では、教育委員会や学校現場も同じ気持ちでしょう。いや当事者としては、より強く感じていることでしょう。しかし、学力の向上とか、児童生徒の健全育成などという課題は、願ったから解決するというわけにはいきません。原因はどこにあるかとか、どういう有効な手が考えられるかなど、議論は延々と続きます。

業を煮やした知事は、「教育委員会に任せても何も変わらん。成果主義でやっていく。成果の出せない者には辞めてもらう」と考えたのでしょう。条例案の中でも、人事評価で2年続けてD評価(SABCD5段階の内の最低評価、相対評価で各学校の5%が該当)を受けた教員は免職対象となる(もちろん本人への指導の過程は経るようですが)という箇所が話題となっています。他にも、校長と副校長を任期付職員に切り替えるという点も注目されます。

つまり背景には「生ぬるいやり方では教育界は変わらない。パフォーマンスの低い者は校長や副校長でも、教諭でも退場してもらう。これが教育を改革する唯一のやり方だ」という考え方があるのでしょう。居酒屋などでは、(教育界の人の間でも)よく聞かれる議論です。しかし、ここまではっきり条例という形で持ちだしたのは初めてです。民間企業なら当たり前だという声もありますが、ここまでする会社は余程のワンマン経営の会社くらいでしょう。

なぜ教育界だけがこんな目に合わされるのかと思われる方もいるでしょうが、これは教育は社会にとって重要であり、しかも専門職としての教師なら、それらしい結果を示して欲しいという期待の裏返しでもあります。その期待に対して、「不十分ながら、その問題に対しても一応の対応はしている」「いや教育というものはそんなものではない」「いろいろ難しい問題があって」「とにかく今の仕組みを守って」という反応は、既得権益を守るだけの守旧派の言い訳のように、世間には見えているようです。

この問題に対しては、精神論よりも、そのための労力と効果を天秤にかける現実論的な見方のほうがふさわしいように思われます。つまり、問題はこのやり方が期待通りの結果を招くかどうかという点の検討です。

教育の世界だけでなく、実はあらゆる組織がこの問題で苦慮してきました。厳しく成果主義でやったら上手くいくかどうかについては、民間企業を含めてすでに結果が出てきているように私は感じています。成果が出るよりも、むしろチームとして機能すべき組織が、官僚化したという結果です(官僚化の定義は曖昧で難しいですが、ここでは各人が責任を問われるような大きな決定に関わらない態度をとる傾向としておきましょう)。

組織論では、どんな組織も2割のオーバーアチーバーと2割のアンダーアチーバー、そして6割のどちらでもない層から構成されている、という身も蓋もないような説明がなされます。その2割の比率が(オーバーでもアンダーでも)変化すると、活性化したり沈滞したりするのだと。多分これが真理をついていると誰もが思っているからこそ、あまり表面では語られなくてもみんなが納得しているのでしょう。

自動的にアンダーアチーバーの数%が退場するようにしたらどうなるかは、ある面では興味深い実験ですが、多分全体の傾向は変わらず、新たなアンダーアチーバー層が生じる結果に終わるでしょう。こういう仕組みになったから、一生懸命やるという態度を多くの教師がとることはないと思われますから。それに、他人からの評価はともかく、現実には大部分の教師が、自分は一生懸命やっていると自己評価しているのです。

こういう体制になれば、各教師の対応はそれなりに慎重にはなるでしょう。それが好影響を及ぼすかどうかは別問題です。かなりの教師はこれまで通りに働くでしょうが、チームワークは低調になることでしょう。結果としては、学校全体としてのパフォーマンスを高めるとは考えにくいように思います。

それでも、本当の問題は残ります。つまり、世間の多くの人が何とかならないかと感じている教育の現状は解決されないままという問題です。条例案もそれに反対する教育界の多くが取り組んでいる方策も、全員をハイパフォーマーとすることをめざすという面で、非常によく似ています。現実を踏まえてないという点でも共通しているように思えてなりません。いろいろな教師(校長を含めてもよいでしょう)がいて、しかもチームとしてパフォーマンスをあげるという方法はあるし、その方法で成果を上げている学校も少なくないのに残念です。

(2011年10月17日)

副島 孝

●副島 孝
(そえじま・たかし)

1969年から教員生活をスタート。小学校教諭11年、中学校教諭(社会科)10年、小牧市教育委員会指導主事、小学校の教頭校長や愛知県教育委員会勤務を経て、小牧市教育委員会の教育長を2001年から2009年まで8年9か月務めた。小牧市教育委員会のホ−ムページで「教育委員だより」、郷土文芸誌「駒来」に「乱読日録」を連載するなど、原稿に追われる毎日であった。2009年4月から2年間、名古屋大学教育学部大学院で、教育方法学を学んだ。授業実践と研究の両方の楽しさ厳しさを知る立場から、現在は愛知文教大学客員教授を務めるかたわら、小中高等学校での現職教育の支援をしている。