愛される学校づくり研究会

黙さず語らん

★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。

【 第35回 】夏休みに読んだ本から

節電と突然の豪雨が特徴的だった今年の夏休みも終わりました。何やかやと忙しかった夏ですが、忙しい時ほど本を読みたくなるという悪い習慣からは抜け出せません。いつも以上に多くの本を読んだなかで、印象に残る本も何冊かありました。

まずはベストセラーにもなった、橋爪大三郎・大澤真幸『ふしぎなキリスト教』講談社現代新書です。内容は本格的でも対談の形をとっているところが、売れた原因かもしれません。ご存知のように、日本では多神教がごく当然のように受け入れられています。初詣、教会で結婚式、仏教で葬式が無節操だと言っているのではありません。「一神教」という概念が、私たちにはなかなか理解できないということです。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教と、仏教、儒教、神道という多神教との間では、根本的に世界の捉え方が違います。しかし一方で、私たちは明らかに一神教を基盤として欧米で発展した近代思想、例えば人権概念などを、当然のように受け入れています。マルクス主義でさえキリスト教の基礎の上に打ち立てられているのです。

大澤氏が質問をして、橋爪氏が答えるという形式ですが、質問も遠慮なく、読者の理解を深めるために、ということは良い本にするために、自分として当然答えを持っていることでもあえて鋭く切り込みます。それに対する橋爪氏の受け答えも、的確で説得的です(もちろん本にする際には編集を加えてあるでしょうが)。一例を挙げましょう。

大澤 (多神教での人間と神との付き合い方は)多元外交みたいなものですね。
橋爪 (多神教の)神々は、それぞれ勝手なことを考えていますから、彼ら全員のまとまった意思などというものはない。これが、多神教。これでは、神々との対話などできない相談だ。次に、仏教の場合。仏教は言ってみれば、唯物論です。(以下略)

最近は、本を読んでも、付箋を貼ったり、折ったりすることが多かったのですが、この本ではいつの間にか傍線を、それもかなりたくさん引っ張っていました。それだけ、参考にするというよりも、あとでもう一度考えてみたいと思う箇所が多かったのだと、自己分析しています。これも例を挙げましょう。

橋爪 日本人の考える無神論は、神に支配されたくないという感情なんです。「はまると怖い」とかも、だいたいそう。それは大多数の人びとの共通認識だから、もしそれを無神論というなら、日本人は無神論が大好きです。でも、これは、一神教の想定する無神論とはだいぶ違う。日本人が神に支配されたくないのは、そのぶん自分の主体性を奪われるから。日本人は主体性が大好きで、努力が大好きで、努力でよりよい結果を実現しようとする。その努力をしない怠け者が大嫌いで、神まかせも大嫌い。と考える人びとなのです。

個人的な関心は、安土桃山時代に伝わった異教を信じたキリシタンやその後棄教した転び伴天連です。彼らはキリスト教の教義をどう理解していたのか。特に、次のような考え方に対して。つまり、創造主が創った自然や現実の過酷さを試練として受け入れることと、それでも誰が最後に神の国で永遠の生を受けるかどうかはすでに神によって決められているという考え方に。  

習慣のように読んでいる小説は別にすると、この夏、集中的に読んだのは、キャリア教育関係の本です。後期の大学での授業の準備でもあります。そのなかで印象に残ったのは、児美川孝一郎『若者はなぜ「就職」できなくなったのか?』日本図書センターです。義務教育から大学まで盛んに行われるようになったキャリア教育を概観し、問題点を認識させてくれました。

ひとつは、経産省の「社会人基礎力」に代表される、どうしたら形成されるかが曖昧な課題発見力、計画力、創造力のような「○○力」を基礎としていること。2つめは、1990年以降、就職に関して急激な変化が起きており、本人がどれだけ希望しても、どんなに努力し、就職活動を頑張ったとしても、一定数の若者は正社員にはなれないという構造ができあがっていること。3つめは、自己理解→生涯にわたるキャリアについて考える→就いてみたい職業について考える→業界研究や会社研究をする、という一般的なキャリア教育の方法が、本当に学習者にとってふさわしいのかということ。4つめは、学校教育の職業的レリバンス(広い意味での職業能力への関連性)を強化していく方向での学校制度や内容の改革が必要になる、などということです。

かつての経験や知識をもとに、すでに変わってしまった状況を認識しないまま、ピントはずれの指導を続けるような真似はしたくないと痛感しました。

(2011年9月5日)

副島 孝

●副島 孝
(そえじま・たかし)

1969年から教員生活をスタート。小学校教諭11年、中学校教諭(社会科)10年、小牧市教育委員会指導主事、小学校の教頭校長や愛知県教育委員会勤務を経て、小牧市教育委員会の教育長を2001年から2009年まで8年9か月務めた。小牧市教育委員会のホ−ムページで「教育委員だより」、郷土文芸誌「駒来」に「乱読日録」を連載するなど、原稿に追われる毎日であった。2009年4月から2年間、名古屋大学教育学部大学院で、教育方法学を学んだ。授業実践と研究の両方の楽しさ厳しさを知る立場から、現在は愛知文教大学客員教授を務めるかたわら、小中高等学校での現職教育の支援をしている。