★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。
【 第24回 】大震災の報道と私たち
年度末の各種研修会で講師を務めたことの感想を書きかけていたのですが、東北地方太平洋沖地震(現状ではマスコミ各社が、東日本大震災・東北関東大震災等まちまちな名称で呼んでいるようです)が起こり、私も親類の安否で数日やきもきしたこともあり、現時点(3月17日)での感想を残しておきたいと思い、急遽こちらに変更しました。
1000年に一度とも言われる、専門家によるこれまでの想定をはるかに超えた今回の大地震と大津波を伴う震災に関する報道で、「なぜ対応できなかった」と言わんばかりのコメントを平気でする人を、軽蔑の思いで見ている人は私ばかりではないと思います。少なくとも、あなた方よりは今現場で必死になって対応している人を、私は信頼して応援したいと思っています。
安全な位置にある人間は、このような時には節度のある言動をすべきだ、という意見は多くの人が持っているようです。すでにいろいろなところで紹介されていますが、内田樹の研究室の「未曾有の災害の時に」 や「日本がんばれ 元気の出るつぶやき集」 などは参考になります(一方で、怪しげなネット情報やチェーンメールを流している人もいるそうですが)。
少なくとも、今取り組んでいる人たちを非難しない、不安を煽らないことなどは、報道に携わる者の最低限のモラルではないかと思います。マスコミにとって本来の使命(の一つ)である批判的な検証(もちろん報道も含めてですが)の機会は、これからいくらもあるはずです。放射能と放射線や放射性物質の違いも理解していないような記事を読まされたり、「起きている情報をすぐに出して説明しろ」などとまったくピント外れのコメントを得々と語るのを聞かされると、「日頃からの対応が不十分だ」という指摘を、そのままお返ししたいと思ってしまいます。
「あの時、うちはこういう指摘をしておいた」という、後日の責任逃れの手段としてやっているのなら、もっと悪質です。マニュアルでは対応できない状況の中で、必死になって対応策を考え、今や最悪の事態だけは避けたいという一心で奮闘している当事者に、余分な神経を使わせたくないのです。まして、多分現場は短時間交代での作業しか不可能な状況だろうと思われますから。
今や東京電力が、福島第1原発対策に加えて、計画停電でも対応を迫られています。電力受給を見ながら、停電の実施をできるだけ避けようとした措置について、国民の多くは理解して節電などに協力しているようにみえます。ところがマスコミ報道は、計画どおりに停電を実施しなかった事を攻める報道に躍起なようです。市民のコメントも(私はラジオでテレビ番組を聞いていたのですが)、取材者の誘導で言わされた、あるいはコメントの中の都合のよい部分を、自己の描いたストーリーに使ったという印象を受けました。まるで、検事の調書作成の手法を批判していたのを忘れたかのように。マスコミもまた、当事者としての姿勢を問われているのに。
電力会社に対しては、許認可で縛られたり、守られたりしている代表的な業種だと、個人的には想像しています。だから現場での対応に関しても、経営面から見たらとか、マスコミからどう言われるかとか、監督官庁や政治家からどう言われるかなどという、内部的な配慮?の圧力も強いことでしょう。だから、むしろ周囲には、彼らを追い詰めすぎて疲労から判断を誤ってしまうようにならないサポートをするべきだと思っています。程度は違うものの、仕事をしている者は(もちろん教師も同じだが)、マニュアルは大切にしながらも、マニュアルどおりにいかない場合(この方が圧倒的に多いのですが)の対処を絶えず行って来ているのですから。
とは言うものの、私たちが判断する材料の多くはマスコミ経由です。専門家の説明下手も感じましたが、今はそれをあげつらうのではなく、自分が当事者だったら本当にそれ以上の事ができるかを考えるべきでしょう。そして、東京電力をはじめとして、現場で奮闘している技術者たちは、後日この経験をきちんと記録に残し、多くの人たちへ伝えてほしいと願っています。
粛々と節電に協力したり、今自分ができることに全力を尽くしている人が多いことでしょう。阪神淡路大震災の時にも、略奪や暴動の起きない素晴らしさや、避難所でも落ち着いたら自分たちで当番を決めて管理し始めたことを、海外の関係者は驚いていました。学校時代の給食や清掃の当番の成果だとも言われました。今回も同じことを感じます。ライフラインは多くの人々の支えで維持されていることを再確認させられましたし、それに甘えていた自分(たち)にも反省させられました。
学校の地震対策の参考にと、初期対応が一段落した翌2005年5月末に、新潟県中越地震の現地を訪れた経験があります。最高の耐震建築であったはずの新設校の校舎が全壊したり、住宅団地の半分が谷底に崩落した光景を目の当たりにして、山間部に住むことは大変だなぁと不謹慎な感想を抱いたりしたことを思い出します。それが今回は、大地震に加えて大津波なのです。海岸平野に人口の多くが生活せざるを得ない日本では、まさに明日は我が身なのです。こんな時こそ可能な範囲でできるだけの支援をしたいと考えています。
(2011年3月21日)