愛される学校づくり研究会

黙さず語らん

★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。

【 第21回 】目的と手段が一致した教育

私のような年齢の者でも、年が改まるといつもより少しは本質的なことを考えることがあります。今年の年末年始はこれまでに経験したことのないほどの慌ただしさだったので(今回は大掃除も、正月らしいことも、ほとんどできない状態でした)、一段落した今、少しそんなことを考えてみようという心境になりました。

さて、これまでさまざまな教育方法が提起され(いくつかは消えていき)ました。そのどれもが生まれる意味があり、必然性があったのだと思います。私も含め多くの人達は、それが自分にとって必要なものなのか、子どもたちにとって必要なものなのかを判断しながら、取り入れたり横目で見るだけにしてきました。
 その判断の基準も、時々で変わりました。今すぐ役立つものを求めた時期もありました。今は必要を感じないが将来のためには少し経験しておこうと考えたものもあります。たぶん自分には縁がないと敬遠したものも少なくありません。私自身は、自分の中での整合性を大事にしてきた人間ですから、一見良い方法に見えるけれども自分が行っている他の方法と整合性が取れないものはパスしてきました。
 しかし、経験を重ねるうちに(要するに、年をとるに従ってという意味ですが)、もうひとつの整合性も気になるようになってきました。それは、目的と手段との整合性が取れているかという視点です。こういう子どもを育てたいと思っているのに、実際にやっている方法はどうもそれと矛盾しているのではないかということには、拒絶とまでは行かなくても距離を取るようになりました。

具体的に考えましょう。はっきりと意識しているかどうかは別にして、教育に携わる(教師に限る必要はなく、親も含め人を育てる立場の)人は、どういう人間に育ってほしいという願いや目的を持っています。教師なら、どういう子どもになってほしいのかを考えます。その願いと整合性のある方法を現在とっているだろうかということです。

例えば、必要なことはきちんと主張できる。といっても、単に自己主張をすれば良いのではなく、他の人の意見もよく聴き、協力し合えるような子どもを育てたい、と思っている教師がいるとします。ところが、現実の教室では、他の子どもたちの話を聴くことよりも、自分の意見を発表することの方が大事だと教えているとしか思えない教室があります。もっと極端な場合には、意見を出し合うどころか、子どもたちに求められるのは先生が正しいと考えていることを受け入れるだけのような教室も。その教師が、権力のある者には従う、あるいは自分で考えるよりも能力のありそうな者の言うことは無条件に受け入れるという生き方を求めているのなら、それはそれで整合性が取れているのでしょうが。

もちろん話はそれほど単純ではないのかもしれません。必要なことは主張しながらも助け合える民主的なクラスをつくりたいと願っているのに、現実には自分勝手な強者の支配する無法地帯のような教室になっているという悲劇的な状況なのかもしれません。だから、必要に迫られて強圧的な学級経営をしているとか、秩序維持だけを考えた子どもを操るような学級づくりや授業づくりをせざるを得ないとか。

子どもは大人とは違うという割り切り方もあるかもしれません。子どもは未熟な存在だから、子どものうちは教師や親に代表される大人の言うことを聞くようにしていればいいのだという考え方です。しかし、それなら、最近の若者は指示待ちで積極性がない、などという言い方をしてはいけませんね。

その意味では、目的と手段が一致していると考えられる学級づくりや授業を実践できている人は幸せです。私自身もさまざまな試行錯誤の末に、「学び合う学び」という目的と手段の一致した教育方法にたどりつけたことを、そしていくつかの学校でその実践のお手伝いをさせていただいていることを、とても幸せだと感じています。

(2011年2月7日)

副島 孝

●副島 孝
(そえじま・たかし)

1969年から教員生活をスタート。小学校教諭11年、中学校教諭(社会科)10年、小牧市教育委員会指導主事、小学校の教頭校長や愛知県教育委員会勤務を経て、小牧市教育委員会の教育長を2001年から2009年まで8年9か月務めた。小牧市教育委員会のホ−ムページで「教育委員だより」、郷土文芸誌「駒来」に「乱読日録」を連載するなど、原稿に追われる毎日であった。2009年4月からは名古屋大学教育学部大学院で、教育方法学を学んでいる。授業実践と研究の両方の楽しさ厳しさを知る立場から、学校の現職教育などに貢献したいと考えている。