★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。
【 第16回 】「子どもを見る」と「子どもを比べる」
いくつかの学校で授業研究に参加しています。私の言う授業研究とは、授業を見たあとの研究協議会(事後検討会など地域によって呼び方は異なります)も当然含めたものです。本格的に授業研究に取り組み始めた学校もありますし、もう何年も続けている学校もあります。外部からは評価の高い学校もありますが、内部の先生方にとっては苦労が続いています。
そういう何年も続けている中学校のひとつで、先日授業研究が行われました。子どもたちは、なかなか期待どおりの学びをしてくれませんでした。協議会では当然そこが議論の焦点になります。先生方からは、「子どもが変わった」「3年前の学年の子どもは、こんなじゃなかった」という声も出されました。確かに、授業で見た子どもたちは、この学校で思い浮かべる学びをしていませんでした。しかし、協議会での議論に、私は少し違和感を持ちました。
そこでの話し合いが「子どもを見る」というよりも、なにか「子どもを比べている」ように感じられたのです。確かに「子ども見る」ことの中には、以前と「子どもを比べる」ことも含まれます。研究実践が進むと、子どもたちは見事に変化を遂げます。その変化が、また先生方の意欲をかきたてます。こうして、何年もかかって外部からも認められる学校になります。
研究実践がある程度積み上がると、そこからさらに向上することはかなり難しくなります。この学校も、いよいよその時期に差しかかったと言えるのでしょう。外部からは羨ましがられますが、内部では大変です。しかし、ここから本当に学校の真価が問われるとも言えます。一時は知られた学校だったのに、いつの間にかごく普通の、いや問題の多い学校になってしまった、という例も少なくありません。その意味では、何十年も公開研究会を続けている、例えば堀川小学校とか伊那小学校などは、尊敬に値する学校だと思います。
その学校のスタイルを創り上げた先生方は、試行錯誤を積み重ねながら、一定の形を築き上げたのです。あとからその学校に移ってきた先生は、形を真似ることができます。子どもたちも育っていますから、それでもなんとか一定レベルの授業ができます。しかし、真似で終わっている人は、応用がききません。形が通用しなくなったときの対応に苦労します。あれほど成果を上げていたと言われた学校が崩れるのは、こんなところにも原因があるのでしょう。
もちろん、子どもは毎年変わります。中学校なら3年経てば、全員の子どもが入れ替わります。ましてや、子どもたちを取り巻く社会や状況は、めまぐるしく変化しています。変わるのは当然とも言えます。しかし、変わったと指摘するだけでは何も解決しないことも事実です。変わったのは子どもだけではありません。先生方も毎年の異動に加えて、定年退職による世代交代が急速に進行しています。どの学校も頭の痛いことでしょう。
最近私は、校長先生を含めて私立の小中学校の先生方とお話しする機会が増えてきました。私立の学校の悩みはなんでしょうか。それは先生方の新陳代謝が少ないことなのです。確かに多くの学校法人は複数の小中学校を持っていません。基本的には、ほとんど変わらない先生方なのです。
羨ましいとも言えますが、一面ではどうしても変化の意欲は乏しくなりがちです。子どもたちは望んで入学してくるのですから、学校に合わせてくれる面もあります。私学同士の教育内容や教育方法の交流も少ないようですので、どうしても外部からの刺激が少ないと言われることも理解できます。
こう見てくると、一面を見て、問題だ、問題だと言うのも、それこそ問題だと言えるのかもしれません。問題点は、他から見ればメリットとも言えるのですから。
「以前の子どもと比べる」ことは、「眼前の子どもを見る」ことの一部ではあっても、全く同じではありません。まして、以前と比べて良くない傾向があるのなら、それにどう対処するかを考えなければなりません。それは、ある意味ではその学校のスタイルを創り上げてきた当時の先生方と同様の取組みをすることを意味します。当時の先生方も、目の前の子どもたちを見ながら、さまざまな有効な(と思われる)手立てを試行錯誤してきたのです。
多くの公立学校では、7,8年もすると、先生方のほとんどは入れ替わります。子どもたちは毎年、次々に入学してきます(「これを当然と考えるのが公立学校の先生の特徴だ」と語った私学の校長先生がいました)。それでも引き継がれるものが、本物の教育なのでしょう。
(2010年11月15日)