★このコラムは、日本初(?)の教育コンサルタントとして10年前からご活躍中の大西貞憲さんから、授業を見るための眼力が高まるノウハウをインタビュー形式で学ぶものです。
【第7回】「これは数学の授業ではない」とつぶやく時
大西貞憲(授業を見るプロ) 玉置崇(インタビュー)
数学の授業をご覧になっている時に、「これは数学の授業ではない」とつぶやかれることがあります。私も数学教師ですから、そのつぶやきにはドキッとします。特に教師の発問や生徒の意見の取り上げ方に疑問を持たれた時に、そのようにつぶやかれるように思うのですが、私のとらえは間違っているでしょうか。
今回は、「私はこういう数学の場面に出会うと『これは数学の授業ではない』とつぶやくのだ」とずばりお教えいただけませんか。
私自身は「これは数学の授業ではない」と言う言葉をあまり意識して使っているわけではないのですが、言われてみればちょくちょくつぶやいているようです。大体においては、数学的な必然性がないとき、数学的な思考(ものの見方・考え方)が明確でないときに発しているように思います。
例えば、連立方程式の解法の場面で、「加減法とはこのようなやり方」といきなり教師が解き方を説明し始めるような、解法=手順のみを教えているような時です。手順そのものだけを問題にするのではなく解法の持つ意味や役割も考えさせてほしいのです。一例ですが、「このままでは解けそうもないね。今まで勉強した方程式とどこが違う?」というような発問をしてほしいのです。そして、「未知数が1つから2つになった」「方程式も2つになった」といった発言を引き出すのです。そこから「未知数が一つだったら解ける」「未知数を減らす方法はないか」と文字を消去する発想につなげていくのです。連立方程式を解ければよいという算術の授業ではなく、連立方程式を解くことを通じて、(連立方程式を解くという)目的に対して、(1元方程式なら解けるという)見通しを持ち、そこから(文字を消去するという)目標を設定し、そこに至る(加減法や代入法などの)手順を考えるという、(他の場面でも応用が利く)再現性のある思考法を身につけてほしいのです。
この他にも、扱っている問題が課題となる必然性や命題が定理となる必然性を明確にしてないような時にも「これは数学の授業ではない」とつぶやいていますね。数学で大切なことは、目の前にある問題がただ解けるようになることでだけではなく、そもそもなぜこれが問題となるのか、なぜこうすれば解けるのか、この方法はいつでも使えるのか、条件が変わってもうまくいくのか、いままで解いた問題と共通点はないか、といった数学的な思考(ものの見方・考え方)を身につけることです。この数学的な思考は数学の問題を解くことだけなく、我々が日常にぶつかる課題を解決するために必要な根本的な思考です。このことを身につけなければ、それこそ「数学の勉強は社会に出てから役に立たない」という言葉を子どもから聞かされることになってしまいます。これは数学を教える者にとって一番情けない言葉です。子どもが「数学の勉強って役に立つんだ」という実感を持ってくれるような授業を目指したいですね。
「目的に対して、見通しを持ち、そこから目標を設定し、そこに至る手順を考えるという、再現性のある思考法を身につけてほしい。」
特に「再現性のある思考法」をさせているかどうかが大切ですね。数学の授業の神様と言われる馬場先生は、生徒には「なぜこれを解くことができたのか、神様が耳元でささやいたのか、そうではないはず。どのように考えたのか、その道筋をはっきりさせて学び合おう」と言わなければならないと指導いただいたことがありました。数学が分かっていない教師は、「再現性がないことばかりに時間をかけているから、生徒の学力が上がらないのだ」と言われたこともあったと思います。
手順をたたき込めば、一時的には生徒の点数は上がるでしょうが、真の数学を学んでいないわけですから、学力は高まりませんよね。
そうそう、私の教え子がかつて次のようなことを言いました。高校の先生に「この公式はどこで役に立つのですか」と聞いたら「次の問題で役に立つ」と答えたそうです。まさに「手順注入主義」の教師ならではの言葉だと思います。
(2009年10月12日)