愛される学校づくり研究会

★このコラムは、ベテランの先生方によるリレー方式のコラムです。先輩教師として若い先生方に、「こんなことをしたらうまくいかなかった」といった失敗談を語っていただきます。

【第44回】佐々木尚也 先生
 「子供の後ろに見るもの」

教員2年目の年の話です。
 中学2年生の副担任でしたが、1年が見通せるようになり、国語教師として充実した毎日を送っていました。時には記録になった日もありましたが、1年目に授業の略案を毎時間書いたことで幾らかの自信をもてるようにもなりました。生徒に力をつける授業の方法を工夫する、生徒と一緒に同じだけ部活動に取り組む、日曜日には元気の余っている生徒たちと遊びに出かけるという具合です。理由もなく悲しむ子どもを作らない、善悪のけじめをつける、全力で取り組む、という3点を目標に決め、熱意だけで生徒たちと向き合っていました。
 当時は少年非行の第三のピークと呼ばれた頃です。様々な問題行動が連日報道されていましたが、自分がかかわる生徒たちにはそんなことはさせないという強い思いをもっていました。

 そんなある日の午後、警察から何人かの生徒たちの問題行動が知らされました。臨時の職員会議を経て、夕方から生徒指導主事や正副担任等で手分けをして家庭を訪問し、状況を確かめることになりました。まだまだ新米でしたが、血気盛んな性情を推し量っての指示を受けた上で、1人で生徒の家に出かけました。
 家に着くと、居間に通され、こたつで生徒から様子を聞き取ります。怒らず、叱らず、まずは冷静に、生徒が何をしたのかを生徒自身の口から正確に聞こうと努めてはいましたが、事の重大さに自分が驚くとともに残念な思いを強く感じていたために、口調が強く冷たくなっていたのかもしれません。
 40分くらい経ったでしょうか。状況が明らかになり、他には問題行動の心配もないようです。正直に話をしてくれて、やれやれと腰を上げようとした時、ずっと一緒に話を聞いていた生徒のお父さんが口を開きました。
 先生、先生の話を聞いたから、俺の言うことも聞いてくれ。子供のしたことはよく分かった。したことはよくないことだから何としても指導する。子供がこういうことをした立場で言うのは何だが、先生の話は取り調べと変わらないのではないか。もっと話の仕方があるのではないか。
 およそ、こんな内容を30分程話されたと思います。いつの間にか正座をして、ただ話をうかがうのみでした。このお父さんと話すのはこの時が初めてです。学期末の保護者との懇談でさえ、自分からも親のように見える相手に、胃が痛くなるような気がするものです。加えてこの状況では、お父さんの言葉の一つ一つが身に沁みます。

 ここから幾つの失敗を見つけることができるでしょうか。
 当時の私が一番恥じ入ったのは、親の前でありながら「親の子供」と接していなかったという点でした。授業でも、部活動でも、いつも子供の後ろには、十余年の間思いを込めて育ててきた親がいます。子供と私だけではないという事実をここで教えていただいたのです。
 以来、子供と話すときに、その後ろに子供の家族を見るように努めてきました。見えないものを見ようとする努力が教師にとって本当に大切だという思いを年々深めています。

(2011年5月23日)

失敗から学ぶ

●佐々木尚也
(ささき・なおや)

昭和55年教員となる。中学校20年、小学校5年、総合教育センター3年、県教育委員会3年勤務。この4月から西三河教育事務所に勤務。小学校では複式学級を担任し、最少担任児童数は2名。この経験から子供の学校生活を見過ぎないことの意味を学ぶ。中学校での特別支援学級の指導から、一人一人の考え方の違いをとらえることの重要さを学ぶ。また、評価規準例を作成した経験から、1時間ごとの授業の目標を、子供に分かるように具体的にすることが大切であると考えている。「笑う」「楽しむ」「+αをつける」がキーワード。