★このコラムは、ベテランの先生方によるリレー方式のコラムです。先輩教師として若い先生方に、「こんなことをしたらうまくいかなかった」といった失敗談を語っていただきます。
【第27回】徳重 知子 先生
「苦手な国語の研究授業で・・・」
私は、大学で算数教育を専攻し、算数は教材研究の仕方など少しは分かったつもりではいました。
新採3年目に、国語の研究授業をすることになりました。国語の授業は何をどう教えていいのか分からなくて、苦手でした。いつも、教科書の指導書を読んで、その通りに伝えるだけの授業を繰り返していました。
その授業は、4年生の「キョウリュウをさぐる」という教材で、段落の要点をまとめる内容でしたが、教材研究の仕方もよく分からず、いつものように教科書の指導書をすみからすみまで読んで、授業に向かいました。
その時のクラスの子どもはとても元気がよく、手を挙げてよく発表するクラスでした。研究授業でも、「この段落で大切な文章はどれでしょう。」と発問すれば答えてくれるだろうと思っていました。
研究授業当日、緊張していて授業の詳しいことは覚えていません。でも、「この段落で大切な文章はどれでしょう。」と発問してもなかなか手が挙がらず、みんな、下を向いて固まっていたことだけを覚えています。
協議会では、厳しいことをたくさん言われましたが、内容はよく覚えていません。教材研究をもっとしなさい、教材をよく読み込みなさいというようなことだったと思います。先輩の先生に言われた内容で覚えている言葉が一つだけあります。それは「先生が恐竜の話をした時だけ、子どもの顔が上がりましたね。」という言葉です。私は、教科書の指導書をよく読んで、恐竜の詳しい話を覚えていて、授業の時に「〜ザウルスの走り方はこんな走り方だったんだよ。」とか「〜ザウルスの体の大きさは〜で〜」という話をしたのです。どうやら、その時だけ、子どもの顔が上がったらしいのです。
私は、その時は、その先生の指摘の意味がよく分かりませんでした。ただ、その後は教材文をよく読むようにはなりました。
それからは、算数で研究授業をすることが多く、シミュレーション授業で先生役、子ども役を何度も経験しました。そして、「顔が上がる」という意味についてふと気付きました。「子どもって(大人もそうなんだけど)、分かる時に顔が上がるんだ。分からないと顔が上がらないんだ」と。
その時の国語の授業で、段落の要点はどこかと聞かれても、子どもたちは、要点を見つける手立てももたず、分からなかったので、下を向いていたのです。その時の子どもたちには、申し訳ないことをしたと思います。分からないまま45分過ごすなんてつらいですよね。
それから、私は子どもの考える道筋を考えて授業を組み立てるようになりました。「子どもってどう考えるかな。」「私が子どもだったら分かるかな。」と考えて、分からなかったらこうする、それでも分からなかったらこうする、と何段階も手立てを考えて授業に臨むようになりました。
今年度の6月、久しぶりに、また苦手な国語の研究授業をしました。1年生の「いろいろなくちばし」という教材で、段落を比較させることで、段落の構成をとらえさせました。研究授業の直前に私は虫垂炎の手術をして1週間入院し、教材研究や指導案作成の時間が少なくなり、すごくピンチでした。でも、子どもの顔が上がる授業、子どもがよく分かる授業になるよう、写真を見せたり、具体物でくちばしの動きを見せたり、教材文への書き込み用に付箋を使ったり、構成が分かりやすいようにマジックの色を変えたりするなど、手立てを考えました。苦手な国語でも、なんとか、子どもの顔が上がる授業ができたと思います。
でも、まだまだ、子どもの顔が上がっているのか上がっていないのか気付かずに自分本位に授業を進めていることがあります。苦手な教科も得意な教科も、教材をよく読み込んで、子どもの顔が上がるような手立てをし、子どもの顔をよく見て授業を作っていきたいと思います。
(2009年2月9日)