★このコラムは、ベテランの先生方によるリレー方式のコラムです。先輩教師として若い先生方に、「こんなことをしたらうまくいかなかった」といった失敗談を語っていただきます。
【第3回】小林 美記代 先生
「失敗した『学級通信を毎日出します!』宣言」
教員になって5年目のことです。教員1年目は1年生の副担任、2年目から学級担任になり、3年目からは教科や学年担当者の男女比の関係からか、3年間連続して3年生の担任をしていました。
3年生担任1年目は、進路のこともよくわからず、無我夢中でした。卒業式には、不登校生徒をなんとしても登校させたいと思い、早朝から家庭訪問をして、式の開始直前まで話したがだめだったことを覚えています。
3年生担任2年目は、「みんなのお姉さんだったらという気持ちでいきます。」と4月に話したことを覚えています。気持ちに少し余裕ができたのか、クラスの生徒たちともとても気があって、とにかく楽しい1年間でした(厄年を過ぎた彼らとは、今では、いい飲み友達になっています)。
このあと、やる気満々、自信満々で迎えた3年目の3年生担任。学級開きの日です。
「みんなとは、今まで、あまり話すこともなかったので、全くといっていいほどみんなのことを知らないから、生活ノート(1日の反省をかく)は毎日出してね。私も学級通信は毎日出すから。」
と宣言しました。
学級通信のタイトルも3年3組から「SUN・SUN」と決めていました。その当時、学級通信を出す担任は、熱心な良い担任という雰囲気がありました。だから、私も、生徒に対する思い・生徒の級友への思い・クラスのできごと・よかったこと・保護者への呼びかけなど、毎日、毎日B5版1枚の学級通信を張り切って書きました。1年間、宣言通り、毎日出すことができました。
しかし、学級経営はうまくいきませんでした。あのクラスの生徒たちには、今でも申し訳ないなあと思っています。何故うまくいかなかったのか、それは私が「毎日学級通信を出す」ことだけに夢中になってしまっていたからです。通信を毎日出すために、生徒のことをよく「見ていた」つもりでしたが、今思えば、学級通信を書く「記者の目」で見ていたのだと思います。
担任の思いを書いているのに、生徒には通じない・・・。
あせれば、あせるほど、文面もくどくなっていく・・・。
最後の方は、宣言をしたから、自己満足のためだけに通信を出している状態でした。
このことがあって、学級通信・学年通信は、「この気持ちを」「こんないいことがあったよ」「わかって!」と、生徒たちに『伝えたい』と心から思ったときに、伝える手段の一つとして書くことにしました。
「書きたい」と思ったときだけ書く!
「出すよ。」なんて宣言はしない!
自分では苦い思い出の学年でしたが、そのときの教え子から届いたある年の年賀状には次のような添え書きがありました。
「結婚して、実家の荷物を片づけていたら、先生の学級通信と数学通信が出てきました。懐かしかったです。」
「とっておいてくれたんだ」と、とてもうれしく思いましたが、あの時の学級通信も単に「気合い」ではなく「気持ち」で書いていればと思い返した次第です。
(2007年10月29日)