『私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗しない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。』
【第4回】不登校生徒のこころの変化を追う(4)
「他人と比較して、自分に自信を無くしている子どもたちをどう励ましたらいいだろうか。」
人間誰しも自分固有の性質を抱えている。得意なものがあり、弱い面があり、好みがあり、考え方や行動のパターンがある。当然だが、それらは人とは「違う」。同年代であっても、あるいは親子であっても、固有の性質や特徴は一人ひとり異なっている。しかし、この違いに悩む子どもは多いのではないだろうか。
小学校の低学年くらいの頃、他人との違いは周りの大人が思うほど子どもは理解していない。男女の違いすら意識していないのかもしれない。成長するにつれ、男子と女子は全く違う生き物だということがだんだん分かってくる。いわゆる思春期と言われる時期に近づくと、だんだん人と自分がいかに違うかを認識するようになる。
やたらに明るい子がいるとそうではない自分が見えてくる。おしゃべりの子はどんな子とでも気軽に話ができるが、それに対して言いたいことも言えない自分がいる。学力の差、身体能力の差、コミュニケーション能力の差、家庭環境の差、様々な違いが分かってくる。さらに、みんな盛り上がっていることに今一つついて行くことができない。自分の大好きな話題に周りは興味を示してくれない。自分が赦せないような一言を友達が平気で言うなどなど・・・・
性質も考え方も好みも、自分と他人では全く違うことに気づかされる。
軽度発達障害に代表されるような目立った言動・行動特徴を有している場合は、幼少期から周りとの軋轢が生じ、早くから自分の性質と向き合っていくことになるが、そうではなくともいずれ「他人とは違う」自分の性質に直面する時は来る。その際、他人と比較して「何で自分はこうなんだろう」と悩むとき、不適応に陥ってしまう可能性がある。
いじめなどの明確な理由もないのに「なんとなく」学校に行けなくなってしまうような不登校の生徒の中には、このような問題を抱えている子が多いように思われる。
さて前回のテーマの続きとなるが、他人と比較して、自分に自信を無くしている子どもたちをどう励ましたらいいだろうか。その子の得意分野が一般的に評価されやすいこと(学力、運動能力など)ではなかった場合、あるいはそのようなことがもっとも苦手だった場合は、具体的に励ましていくのは難しいかもしれない。しかし、そういうケースこそ案外多いのではないかと思う。とにかく一般的な基準から見てどうであれ、その子なりの表現を認め、その子のできることを評価し、少しでも成長したところを励ます必要がある。
不適応・不登校になった子どもの親からは、「何でうちの子はこうなったのか」と悩む声がよく聞かれる。育て方が悪かったと苦悩される親、理解できませんとあきらめている親、自分と子どもは違う人間であることを認めず、自分の基準を一方的に子どもに押しつける親など様々だが、育て方がどうであれ、子どもというのは親の思いもよらないような特徴・特質を備えているということを理解する必要がある。
大人の基準に達していないからといって、本人なりにできることを認めず、できていないところをひたすら直そうとしているのは問題である。逆にいいところだけ見せて、傷つかないように、壁にぶつからないように囲ってしまうのも問題である。
早いうちに、長所も弱点も含めて「あなたはこういう人だったんだね」と子どもと親で共通理解をして、「じゃあ、あなたなりにどうやっていこうか」と前向きに支えていくことが必要であると思われる。一つの問題が解決した際、「またこういうことが起こったらと思うと心配です。」といわれる親がいるが、問題が本人の性質によるものである場合は、親や学校が支えることができる間に、何回かぶつかっておいたほうがいいかもしれない。言葉で言われて、すぐに変わることができれば世話はない。結局は本人が「自分」を体験していくしかない。
他人とトラブルを起こしたり、壁にぶつかったりすることは問題かもしれないが、そのような時こそ、比べるからこそ自分との「違い」を実感することができる。自分を知ることができる。それぞれに、生まれつき固有のデザインされた特徴がある。違いの中で自分を知って、自分を受け入れ、オリジナルだからこそ生きている意味があることを実感できるように支えていくことが重要であると思う。
本人が深く傷ついているときは、まず癒されることが先決である。しかし、その後に話すべきことがある。『違いを知ることと、自分を知るためにぶつかることは必要なんだよ。』と。その意味を理解させて支えていくことが、周りの大人が子どもに対してやっておかなければならないことだろう。
最後に今年度7月から、不登校生徒を持つ親の会を立ち上げた。夜、親たちに集まってもらって、同じ悩みを持つ親同士の交流の場を設けた。4〜5名と少ない人数ではあるが、スクールカウンセラーをかこんで、毎回予想以上に長い時間、懇談が続いた。3回目の12月の時は、2時間半以上にもなった。毎回テーマを設けて、様々な不安や本音を語り合えるよう配慮がされていることもあってか、最初の時は、静かに話を聞くだけの親が、2回目からは積極的に発言されるようになった。ただ、こうして子どものためとはいえ、夜学校まで足を運べる親は、まだ救われる状態にあるのかもしれない。誘いの手紙を受け取っても、とてもそんな気になれない親たちもいるだろうということは心にとめておきたい。
(2006年12月25日)