愛される学校づくり研究会

『心のひだにしみこんだ傷は、簡単には癒されない。でも誰かが手をさしのべてあげればしだいに癒されていくのでは…』

【第2回】不登校生徒のこころの変化を追う(2)

なぜ不登校の生徒が修学旅行などの行事には参加できるのか、厳密には本人にしかわからない。いや本人にもはっきりとはわからないかもしれない。行事だけは行きたいという思いがあったのか。勉強の遅れを気にせずみんなと一緒にいられるからなのか。理由はいくつか考えられるし、実際にこのように行事だけには参加できる不登校の生徒は少なくない。だからといってどの不登校の生徒にもマニュアル的に使える手というわけでもない。クラスにも入れないのに集団行動なんてとても、という子もいるだろう。重要なのは、選択肢を与えることであると思われる。
 

  • Aさんは心の相談員の協力で、午後3時ごろからの登校ができるようになってきた。学習相談室のプリント学習をきっかけにして、数学や英語を中心とした学習内容に手を付けられるようにもなってきた。家庭でも、午前中の学習ができるようになった。
  • Bさんは野外生活に向けて参加への意欲が高まった。クラスメートの声かけが盛んに行われているようで、生活記録にも、お礼の言葉や自分の思い等を多く綴ってきている。そのおかげで、一緒に野外生活に出発することができた。
  • Cさんは、日頃は自宅での自主学習の生活ではあるが、定期テストや卒業アルバムの個人写真、学年全体の写真撮影などの日には登校して、学級のみんなと一緒に参加することができた。
  • Dさんは、2学期中間テストは別室で5教科受けることができた。手がでない科目もあるが、少し真剣に取り組んだらしい教科もある。教室での合唱練習にはほとんど参加できなかったが、合唱祭本番には、ステージに立ってクラスのみんなと一緒に歌うことができた。
  • Eさんは、適応指導教室へは意欲的に通っている。大雪で寒い日も休まず通った。カウンセリングの日は学校へ来ることができた。野外生活へも参加の意欲を示していた。
  • Fさんは、中2で完全に不登校になっていたが、適応指導教室には継続して通うことができた。そして、修学旅行には是非参加したいと意欲を示した。学校にはなかなか登校することはできなかったが、心の相談員を通じて修学旅行には必ず参加をしたいと伝えてきた。その言葉通り3日間の修学旅行にごく普通に参加できた。

 

●選択肢を与えること

「修学旅行には行けた」のは事実であるが、この発想は誰から出たものなのか。本人がそうしたいと言ったのであれば、その気持ちをくんであげればよい。それに伴って当然さまざまな葛藤が生まれるであろうことを本人と話し、不安な気持ちを共有して励ましていけばいい。しかし、旅行には行きたいと思いながら、言えずにいる場合もある。休んでいるのに行事にだけ行くなんて言いづらいと思っているかもしれない。または、旅行にだけは行けるかもしれないということを、誰かに言われて初めて考え始める子もいるかもしれない。

 不登校の子には、どうしたら復帰できるか一人ではなかなか考えることができない子もいる。誰かと話す中で、それならできるかもしれないと気づくことも起こり得る。修学旅行のような行事に限らず、こんなこともできるよ、こんなことならできるかもしれないね、という選択肢を与えて、本人に考えて決めてもらうことが大切であると思われる。その子なりの復帰の可能性を見いだすには、窓口を広げてあげて、自分で「これなら」と思える手段を見つけやすくしてあげるとよいのではないか。理由がはっきりしなくても、その子なりのアクションを起こせたのであれば大きな一歩である。
 

●得られたものから

修学旅行に行けたこと、先生やクラスのみんなと過ごせたことによって得られた自信は復帰への大きなきっかけと力となる。不登校の期間が長いと、「学校の感覚」が失われてしまう。教室の雰囲気やクラスのみんなとの会話の仕方などの感覚が薄らいでしまうと、学校に行くことがよりむずかしくなってしまう。旅行に行けたことでその感覚を取り戻すことができ、その体験からもどれるかもしれないという気持ちになることができたとしたなら、復帰への足がかりになる。また、旅行に行けたことを本人と話し合い、○○だから行けたのかもね、これなら大丈夫なのかもね、と話をする中で次の一手が見えてくるかもしれない。こちら側で理由を分析するだけでなく、「本人と」行けたことや、その中で体験したこと、感じたことを共有することが重要である。
 私たちは、「自らの心の中にある、私たちだけの考え方・世界(ファンタジー)」と、「現実世界(現在私たちが住んでいる社会)から期待・要請される存在のしかた」のはざまで、折り合いをつけてバランスを取りながら生きている。両者の距離が離れてしまった生徒に対して、我々はどのように関わっていけるのだろうか…。

 また、「学校に行くこと」と「生き生きと人生を過ごしていくこと」。この2つは、重なるときもあれば、しばしば仲違いする時もある。その度合いは、まさに人それぞれであろう。いずれにしても、自ら目標を設定し、それに向かって努力していくことは「生き生きと人生を過ごしていく」ためには欠かせないものであろうし、何より素晴らしいことである。
 「皆と一緒に過ごす」という目標を設定し、それに向かって自分なりの計画を自分自身で立て、それに向かっていく努力。その目標・努力の内容に、優劣などない。ゆっくり、マイペースでもいいからこの「目標←努力」を積み重ねていくこと。そしてそれを続けていくことによっていつの日にか、心底「がんばってよかった」と思えるような瞬間が迎えられることを切に願っているとともに、影ながらエールを送り続けたい。

 最後に、私たちの世界にはさまざまな人が住んでいる。いろいろな形で心身にハンディを負って生きている人がたくさんいる。その一人ひとりがとても大切な一人なのである。必要のない人間などは一人もいないということを知らなければと思う。

(2006年7月24日)

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●赤星 次夫
(あかほし・つぎお)

愛知県小牧市立光ヶ丘中学校教諭。保健体育科担当。保健指導主事。“詩人赤星” と言われるように、子どもたちに語りかける言葉からは美しい映像が浮かび、その言葉の持つ力に魅了される。またキリッとした口調は、子どもたちのからだにも心にも、心地よい緊張感を生み出す。いつも子どもの心に視点をおいた職員への呼びかけは、学校全体にピリッとした空気を作り出している。