第1回は、5月11日10時〜12時です。講師は『田中博史先生』です。田中先生は算数科教育の第一人者です。算数の授業を通して、学級経営や子どもとの接し方を学びます。ふるってご参加ください。

【第5回】「田中博史先生」登壇

■日時 11月12日(土)10時〜12時
■会場 大口町立大口中学校
■講師 田中博史先生(筑波大学附属小学校主幹教諭)
■演題 算数好きな子どもを育てる授業づくり
■プロフィール
 平成21年度以来の2度目の登壇です。専門は算数教育ですが、人間発達科学では学術修士、筑波大学人間学群教育学類非常勤講師・共愛学園前橋国際大学非常勤講師・全国算数授業研究会会長等を務め、今や日本の算数教育の第一人者といっても過言ではありません。算数教育の本質や教材研究など、多彩な経験をもとにした講演は間違いなしです。 乞うご期待を!

【第4回】「野口芳宏先生」登壇

■日時 10月10日(月・祝)10時〜15時
■会場 大口町立大口中学校
■講師 野口芳宏先生(植草学園大学名誉教授)
■演題 
【午前の部】道徳模擬授業『何のために学校へいくのか』
【午後の部1】会員による発表 「語感を磨く」の授業
【午後の部2】国語学力を向上させる基礎基本
■プロフィール
 君津市文化協会会長、千葉県教育委員会委員を歴任。本セミナーのレギュラー講師で国語授業名人。当日は野口先生の熱い語りを丸一日、3本立てで聞くことができます。昨年度は、国語学力形成法を物語文「やまなし」を通してと、道徳の教科化に向けて、新しい方向性を語っていただきました。変わりゆく教育の最先端の情報を常に捉えた野口先生の講演は必見です。今年は野口節にのせてどんなことを語ってくれるのでしょう。 乞うご期待を!

佐藤暁先生セミナー1

佐藤暁先生の実践の「考え方」を学ぶの講演内容を紹介させていただきます。
〈まず始めに〉
今回の話は哲学。
学びと勉強の違い、何を学べるか分からないのが学びである。それに対して勉強は、こういうことを知るぞという明確なものをもっている。
「困り感」
本当に困っているのは子どもである。しかし、「困り感」だけでは、子どものことを分かってあげられない。だから視線の向かわない領域を考える必要がある。
教師は、○○障がいと既成の言葉で表そうとするが、子どもはそんな言葉で表されたくないと思っているかもしれない。既成の枠に押し込めるのではなく、子ども目線で子どもに寄り添う必要がある。

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佐藤暁先生セミナー2

〈視線が向かわない領域〉
『青い鳥』を解釈学、系譜学、考古学的な視点で考える。
解釈学
「解釈学は、鳥がもともと青かったという前提で再編された記憶と一体化した、チルチルとミチルのサクセスストーリーを作り出しています。」(障がいのある子の保育・教育のための実践障がい学より)
今が幸せだと過去の出来事も幸せであり、幸せなストーリーができる。逆に今が不幸せだと過去も不幸せになる。今が幸せか不幸せによって、過去にあったことも幸せか不幸せか反転してしまう。
教育に結びつけて考えると
元気に登校⇒子育ては間違ってなかった
不登校⇒甘やかしてはいけなかった
今の捉え方が過去にも繋がってくる。

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佐藤暁先生セミナー3

系譜学
チルチルとミチルは、鳥が青かったと信じているが、じつはそうではなかったかもしれない。(本当は幸せを感じていなかったかもしれない)思い込んでいるだけかもしれない。
私たちにおいてもそうである。自分に合っていると思っている仕事が本当に合っているとは限らない。意外と自分が見えていないのかもしれない。
今、青く見えているのは、もともと青かったのか、途中で変わったのか
⇒系譜学の視点
もともと青かったことにしてしまおう⇒人間の心理、視点
実際にあったのか探求するのが系譜学

佐藤暁先生セミナー4

考古学的な視点
理解と支配は紙一重、自分の視線から他者を見るときに、自分の都合のいいように見ていないか。自分の都合のいいように理解してしまうとそれは支配になる。相手が望むような理解をしていく必要がある。
過去⇒現在とは無関係に過去
他者⇒自分とは無関係な他者
無関係が大切。意識しないといけない。自分と無関係に存在するのが子ども。
「鳥はある時点でもともと青かったことにされたとはいえ、ほんとうはもともと青くなかった、などとはいえない。もともとというなら、鳥は青くも青くなくもなかった。そんな観点はもともとなかったのだ。そういうことを問題にする観点そのものがなかった。」(障がいのある子の保育・教育のための実践障がい学より)
子どもは自己肯定感がある・ないは、気にしていなかった。そんなことを問題にする観点はなかったのに大人が言うから気にし始める。

自分が変わるには環境を変えるしかない。学びとは別の環境で行うことである。「そうだったのか」と思いもよらぬショックで人生が変わることこそが学びである。そのために私たちが枠を超えないと子ども達に経験させてあげられない。

視線が向かわない領域は、自分が変わらないと見えてこない。私たちが変われば、困り感の向こうに気付けるのではないか。
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佐藤暁先生セミナー5

音の連なりと「過去把持」「未来予持」
「トントントン」という音を私たちはどのように受け取っているのだろうか。
一回目の音が耳に残る。二回目の音を聞き、「前と同じかな」と思う。もう一回なると、「さっきからなんだ」と思う。
一回だけなら空耳、もう一回聞こえると意味ができる。さらにもう一回なると、意味の度合いが強まる。
この流れが時間である。時間は意識から作られる。
障がいの重い子にとっては、音の連なりが「今今今」となる。音の意味が残らないから時間が作られない。
時間を作ると意味ができる。自我になる前の「匿名的先自我」。自我の始まりのようなものから自我が芽生えて「あなた」になる。

佐藤先生が冒頭でお話された、「学びとは何を学べるか分からないのが学びである。」という言葉を改めて考え、参加された人によって得られた「学び」が違う、そんなセミナーになったと思います。
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