中学生の通学靴の規制と自由について考える

先日参加した、私が学校評議員を務めている中学校の青少年健全育成会議でのことです。
学校から子どもたちの通学靴に関する状況の説明があり、それに対する考えを聞きたいということでした。この市の他の中学校では色等に制限を設けているところがほとんどだそうです。この学校ではかつての生徒たちの要望で、靴の色などの制限がなくなっているのですが、今の子どもたちはその経緯を知らず、最近では派手な色の靴が増えてきているようです。ある生徒が入試の時に派手な靴ではチェックされて不利になるかもしれないと、弟の白い靴を勝手に履いて行き、弟が履く靴がなく困ったという事件が起こりました。これを機に、規制をすべきではないかという声が先生方の一部から上がってきているそうです。学校ではこの問題をきっかけに、子どもたちに自由や規範について考えさせようとしているようです。地域の大人のいろいろな考えを伝えて、多様な視点から考えさせたいという意図のようです。

出席者から、「(今の世の中)自由でいいじゃないか」という意見が出されました。また、「TPOを守れていればよいのではないか」「規制されると、割高な靴を買うことになって家計的には苦しい」という声もありました。私自身、基本自由でよいと思うのですが、どうしても皆さんの言葉に違和感を持たずにいられませんでした。昔は自由がなかったとよく言いますが、そもそも大昔は規則や法律などもなく、勝手に人の物を持っていったり、互いに殺し合ったりしたことも頻繁にあったはずです。それでは、みんなが安心して暮らせないので、規則や法律がつくられ、それを守らせるための仕組みが生まれていったのです。自由とは、規則があるからこそ生まれる概念です。そのことを無視して単純に「自由がよい」と子どもたちに伝えるのはどうかと思ったのです。
「TPOを守れていればよい」というのはその通りですが、このTPOの判断基準はどうなのかが大きな問題です。残念ながら大人でも守れていない方もいます。この問題をきっかけに、子どもたちがTPOについても深く考えてくれることを願います。また、親の金銭的な負担というのもよくわかりますが、論じられるべきは金銭的な負担と規制した時に得られるメリットのどちらが大きいかということです。子どもを育てるために親が支払うべきコストとしてその負担が妥当なものかという視点がほしいと思います。

思春期の子どもたちですから、服装や身なりなどを自分の好きにしたいという欲求を持つのは当然です。そのこと自体を悪いことだという気はありません。しかし、社会生活を送る上では、自分の欲求と社会のルールや約束事と折り合いをつけることが求められます。学校は子どもたちが実社会にでるための訓練の場でもあります。先生方はこの靴の問題を通じて、子どもたちにいろいろなことを考えてほしいと願い、社会の未来の担い手である子どもたちを育てるという視点でのメッセージを私たちに求めていたのだと思います。規制するかしないか、結論はどちらでもよいと思います。先生方の願い通り、子どもたちが真剣にこの問題を考えてくれることを願っています。

1年間を見通した学級づくり、授業づくりの本

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私が小学校の授業のことを考える時にいつも参考にしているのが、今年の4月から「授業と学び研究所」のフェローとなられた、元豊田市の小学校校長の和田裕枝先生の授業です。
その和田先生がこの度「学級づくりカレンダーをもとに創るわくわく算数授業」という本を出されました。

和田先生の授業をはじめて見たのは、今から10年以上も前のことです。2学期だったのですが、「こんな曖昧な発問で子どもが答えられるわけがない。あれ、どうして子どもたちは次々に答えるのだろうか?」と疑問が次々にわきこりました。どうしても子どもの目線で授業を見たいと思い、たまたま一番後ろの子どもが欠席していたので、その座席にずうずうしく座って見続けました。素晴らしいテンポで子どもたちがどんどん発言し、子どもの言葉で授業は進んで行きます。小学生がここまでできるのかと驚きました。「この授業は結果であって、4月に何をしているのかが問題だ」「きっとこういうことをしているはずだ」といった、「子どもたちの素晴らしい姿」と「その姿をこのようにしてつくったのでないかという予想」を、これまでにないほどメモしていました。
この後、直接お話を聞く機会や4月の授業を参観する機会をつくっていただき、小学生がどこまで育つのかという可能性と、どう育てればよいのかという具体的な方法について深く学ぶことができました。和田先生との出会いがなければ、小学校での授業経験のない私が、小学校で授業アドバイスをすることはなかったのではないかと思います。

1学期の終わりになっても一つひとつ細かく指示を出している学級によく出会います。この時期であれば、もう教師の指示はほとんど必要なくなっているはずです。指示してできるようになれば、指示をしなくても、ワークシートを配ればすぐに名前を書き、めあてを板書すればすぐに写せるようになっていなければなりません。
和田先生の素晴らしいところは、1年間を見通して子どもをしっかりと育てていることです。この時期までに子どもをどういう風に育てたいかが明確で、そのためにどうかかわるべきかが具体的になっているのです。「学級づくりカレンダーをもとに創るわくわく算数授業」では、私が和田先生から学んだ1年を見通した学級づくりが、「学級づくりカレンダー」としてわかりやすく具体的に記されています。「あの時この本が手元にあれば、あれほど悩まずに済んだのに」と、ちょっと恨めしい思いです。

また、「子どもの言葉を活かす」ことを目指している先生にたくさん出会いますが、実現はそれほど簡単ではありません。この本には、「子どもが主体的に発言をし、その発言がつながって考えが深まる」という、「子どもの言葉を活かす」授業をつくるための、教材研究のやり方や授業の進め方が、算数の授業を具体例にしてわかりやすく書かれています。和田先生は「主体的・対話的で深い学び」をすでに実現されていたのです。この本を読んで、私がいかに和田先生から影響を受けているのかをあらためて実感しました。

多くの先生に読んでいただきたい本なのですが、残念ながら一般の書店では手に入らないようです。愛知教育大学の生協に問い合わせてほしいとのことでした。私が授業アドバイスさせていただいている学校であれば、事前に連絡いただければ訪問日にお届けします。
一人でも多くの先生の手元にこの本が届くことを願っています。

国語教師以外にも読んでほしい本

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私が国語の授業を見る時に必ず意識する先生がお二人います。野口芳宏先生と伊藤彰敏先生です。このお二人なら「この言葉をどのように受けるだろうか?」「この場面ではどのような発問をされるだろうか?」といつも心の中で問いかけながら見ています。国語の授業に対する私の基礎をつくっていただいた方たちです。そのお一人の伊藤彰敏先生が、明治図書から「国語嫌いな生徒の学習意欲を高める!中学校国語科授業の腕を磨く指導技術50」というご本を出されました。

伊藤彰敏先生とは学校現場やいろいろな会でご一緒させていただくことが多く、その度に多くのことを学ばせていただき、また、自分の未熟さに気づかされています。何気なく見える指導技術も、そこに至るまでの多くの研究、研鑽と、それを支える子どもたちへの強い思いがあってのことです。
かつて伊藤先生の授業を見た時、指導案では想定されていなかった本文中の言葉を子どもが発言したことがありました。伊藤先生はその子どもの言葉を活かして予定とは違う流れで見事に授業を進められました。授業後どうして瞬間的に授業の流れを切り変えることができたのかをたずねたところ、一言「教材研究です」と言って本文のコピーを貼り合わせて巻紙のようにしたものを見せてくださいました。そこには、重要な言葉に線が引かれ、文や段落の関係が線で結ばれ、色々なポイントがびっしりと書き込まれていました。その子どもが答えた言葉にもしっかりと線が引かれ、全体との関係がわかるようになっていました。これだけの教材研究をしていたから、この言葉からでも授業をつくれると判断し流れを変えることができたのでしょう。

この本には、この教材研究の方法についてもしっかりと書かれています。しかし、これを読んで、私にはそこまではとても無理だとしり込みしてしまう方もいるかもしれません。もちろん、だれもが最初からそこまでできるわけではありません。伊藤先生も若いころは今とは全く違った授業をされていたそうです。焦らず、一歩ずつ授業を改善していけばよいのです。この本を読むことで、そのための視点や姿勢が見えてくると思います。どういう視点で授業をつくればいいのだろうか、子どもに寄り添って授業をつくるとはどういうことだろうかということが行間からにじみ出ているのです。
伊藤先生の授業技術をまねることで授業はよくなると思いますが、たとえ自分のやり方にこだわったとしても、この視点や姿勢を身に付けることで、自ずと授業の質は上がっていくと思います。

また、今流行りのアクティブ・ラーニングという視点から見ると、伊藤先生の授業は古いタイプに見えるかもしれません。しかし、形だけペアやグループの活動をしてもそれは活動しているだけで、子どもたちが深い学びをしているわけではありません。教えるべきこと、考えるための材料、深い学びを生み出すための課題といったことがきちんと準備されていて初めて深い学びが成り立つのです。アクティブ・ラーニングという言葉は新しいかもしれませんが、子どもたちがアクティブで深い学びが成立している授業は、この言葉が言われる以前からたくさんありました。子どもたちがかかわる必然性のある場面では、ペアやグループの活動も取り入れられていました。伊藤先生の授業には、アクティブ・ラーニングの原点というべき考え方がその根底にしっかりとあります。形だけのアクティブ・ラーニングではなく、真のアクティブ・ラーニングを考えるきっかけを私に与えてくれました。

中学校の国語の先生だけでなく、小学校の先生にも、高等学校の国語の先生にも、いやすべての先生方に是非読んでいただきたい書籍です。きっと自分の授業を改善するきっかけを得られると思います。
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