行事での子どもの姿から、学校経営の難しさを感じる

学校評議員をしている中学校の2つの行事を通じて感じたことです。

体育大会でのことです。
以前と比べて生徒数が減ってきていますが、人数が減ったからといって、子どもたちのエネルギーそのものは変わっていないようにこれまでは感じていました。しかし、今年度は少し違った印象を持ちました。
一言で言うと「躾けられている」です。子どもたちの強い意志を感じなかったと言い換えてもよいかもしれません。合わせて気になったのは学年によって子どもたちの様子がかなり違って見えたことです。特に、他学年の競技を観戦している時の姿に違いを感じました。
3年生は、そろって声援しているというより、それぞれの意志で声を出しているように見えます。自然に仲間を応援しているように感じました。2年生は、子どもたちの視線や姿勢がそろっていました。とてもよい姿に見えるのですが、そうしなければいけないからやっているようにも見えます。頑張れと声援したいと思っているのかどうか、よくわからないのです。これに対して、1年生は何となく他学年を応援しているような印象でした。学年によって子どもたちの成長の違いや個性があるのは常なのですが、それ以上に先生方の指導に対する姿勢や考え方の違いがあるように思えました。
どれが正しいというのではありません。小さな学校でもこのような違いがあることが気になるのです。学校としてどのような子どもの姿を目指すのかが揺れているのではないのかという心配です。

同じようなことを、先日行われた「地域ふれあい学びフェスティバル」でも強く感じました。学校と地域が一緒になって行う、とても素晴らしい企画です。今年は、出し物や出店の数を減らし、1企画に一人、担当の先生をつけることもできたようです。その結果でしょうか、一つひとつの企画は昨年と比べてもよく練られているように思いました。しかし、子どもたちの様子からは、昨年と比べてもエネルギーを感じられませんでした。やらされている感が強いのです。例えば、お客を呼ぶために宣伝を担当する子どもがいますが、ただ歩きながら時々声を出すだけです。それも、目の前にいる人に来てもらおうと目を合わせるのではなく、誰もいない空間に向かって声を出しているのです。かつては、そこまで強引に引っぱろうとしなくてもいいのにと思うような子どもの姿をたくさん目にしました。
現場担当の子どもたちも、しっかりとは働いているのですが、やらなければいけないことだからやっているという、やらされている感が強いのです。
企画によっては、積極的に取り組み楽しめている子どもの姿が見られます。しかし、来場して下さった地域の方に喜んでもらいたい、喜んでもらえたから楽しいと感じている子どもは少ないように思いました。この行事の目指すところが子どもたちに共有されていないことが気になります。
このことは、先生方や地域の協力者にも言えるように思いました。指示を出して子どもを動かしている先生もいれば、じっと見守っている方、自分も役割を持ってそれを果たすことに専念している方いろいろです。地域の協力者も、子どもたちを前面に出して後ろで支えることに徹している方もいれば、先頭に立って子どもたち以上に動いている方もいらっしゃいます。このフェスティバルを通じて子どもたちにどう育ってほしいのかが見えなくなってきました。長い年月(10年以上の歴史があります)のうちに、このフェスティバルが子どもたちや地域、先生方のどのような思いを受け継いでここまで来ているのかが、忘れられているように思いました。
ともあれ、今は学校の行事として行っている(以前は地域と子どもたちの有志で行っていた)のですから、少なくとも、先生方の方向性は一致してほしいと思います。

2つの行事から、学校としてこの方向へ向かっていこうという一体感を感じられなかったことがとても残念でした。いろいろな事情もあると思いますが、学校経営の難しさを改めて感じました。
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