今年も野口芳宏先生から大いに学ぶ

本年度第4回の教師力アップセミナーに参加してきました。12年連続の野口芳宏先生の講演です。野口先生の元気な姿とお話に出会うことが毎年の楽しみです。

午前は作文指導のお話です。
現在の指導要領では「話す・聞く」の順番になっている。「話す」は表現で、「聞く」は理解だ。表現が先になっているが、理解してから表現するのが本来の順番だ。近年、表現力が重視されているが、基本は聞く力である。聞く力、「傾聴力」を大切にするべきだ。という主張から入ります。その上で、「書く」ことについてのお話です。

書くことは言語活動で一番高度で、作文力は国語の学力の総決算でとても大切なものだ。それなのに一番行われていない。書かせれば読まなくてはいけない。読むと腹が立つ。あれだけ指導したのに、漢字を使っていない、仮名遣いが間違っている。「一番いいのは書かせない」となってしまう。だから「読まない」というのが野口流です。

野口先生の作文指導の原則は「多作」「楽作」「基礎基本」の3つです。
たくさん書かせるというのが「多作」です。好きにするというのは理想だが、それは求めないでとにかく書かせる。欠席をすれば「僕の欠席した1日」を書かせる。とにかく書くことを日常化させる。それもただ書かせるのではなく、意識的、自覚的、目的的に書かせることで力をつける。いかにも野口流です。「鍛える」という言葉がこれほどふさわしい方はいません。
この多作のための方法が「日直作文」です。日直が15分早く来て、自分の書いた作文を黒板に書きます。子どもたちは、必ず「評価」の視点で日直の作文を読みます。日直に望ましい読み方で読むように指示し、間違いはその場で指導します。こうすることで教師が手間をかけなくても、子どもたちはおかしな文を書かないようになるというわけです。子どもたちに書いたものを提出させ、よいものは保存に値すると評価して年度末に傑作集として文集にする。こうすることで、子どもの意欲も高まります。

子どもが面白がって書くというのが「楽作」です。「苦作」に対する野口先生の造語です。嫌なことは続かない。苦を楽にするという発想です。作文指導はネタが大切というわけです。子どもが一番喜んで書いたのが「野口先生の欠点」。なるほど、これなら作文嫌いの子どもでも喜んで書きそうですね。子どもが作文を書かないのは、作文力がないのではなく、ネタと題が悪いということです。
例えば、子どもが自分の大好きなものになったつもりで書く「なりきり作文」。自分の好きなものになるので、どうしてもその対象は持ち主である自分自身に向かいます。不思議と自分の悪いことを書くそうです。自分を見つめ直すのです。その後で、「僕から○○へ」と返事を書かせれば反省する。道徳的効果もあるのです。

「多作」「楽作」で子どもたちの作文の活動量は増えますが、それだけで力がつくかというと、そうではありません。ただ活動するだけでは、ある程度の力は着きますが、それ以上はつきません。工夫改善が必要です。「基礎基本」を教えないと崩れた「多作」「楽作」が続くことになります。そのために、野口先生は「作文ワーク」をつくられました。例えば、「段落」を学ぶのであれば、「試し」の文章を段落に分けるという作業をします。段落を分けるのはどういう時かを、ヒントの形でまとめてあります。こうして「段落」という文章を書くための基本を教えるのです。欄外には、どのような学力が形成されるかという「形成学力」と子どもが学ぶ「学習用語」が書かれています。野口先生がいつも主張されている、国語でどのような学力を形成するのかを意識し、子どもたちが学習すべき用語を明確にしています。子どもたちにつける力はどのようなものか、教えることは何かという授業の基本がきちんと守られています。野口流は、いつもぶれることなく、授業の基礎・基本がきちんと押さえられています。

さて、問題はこうして子どもたちに作文の活動をさせていくと、読まなければいけない量が増えていくことです。最初に述べたように、ここで「読まない」のが野口流です。
では、具体的にどのようにするのでしょうか。
ポイントは、褒めて、読まないことです。読むと腹が立つ。読まないで返すと親が怒る。読まないで見る。見たとたんに○をつけて評価をするのです。○は大サービス。ちゃんと書いてあれば三重丸、ちょっとどうかは二重丸。「うまい」と書いて、細かい批評はしないのです。それでも気になるところがあれば、そこには線を引く。これだけでいいと言うわけです。教師が読むことよりも、子どもがどんどん書くことの方が、作文の力をつけるためには大切なのです。
とはいえ、誤字は気になるものです。しかし誤字を直しても子どもは見ないものです。子どもの間違いは、普段の国語の授業が貧しいからそれが反映しただけだというわけです。個別に対応するではなく、こういう間違いがあったといって授業で取り上げて全体で指導すべきだということです。

いかに作文力をつけるかを、具体的、現実的な方法で示していただけました。私が日ごろ主張している、「先生が頑張ったからといって子どもの力がつくわけではない。子どもが頑張ることが大切」にもつながるお話だと勝手に解釈して喜んでいました。
さて、参加された先生方どのように野口先生のお話を聞かれたでしょうか。早速明日から実行しようと思われたでしょうか。セミナーでよいお話を聞いた、勉強したと満足するだけでは授業は変わっていきません。実行しようと思っても、実際にやらなければ何の意味もありません。何か一つでも実際に試していただきたいと思います。

午後の前半は、中学校の国語の授業(国語の授業撮影参照)のダイジェストビデオを見ての、野口先生の講評です。
野口先生はいきなり核心に迫ります。「この授業で子どもたちに形成したい学力は何だったか」と問います。
野口先生は、学力形成の判定を次のように整理されています。

1 入手・獲得
2 訂正・修正
3 深化・統合
4 上達・進歩
5 反復・定着
6 活用・応用

今回は、この1から4にそって検証されました。このように学力形成の観点から分析することで曖昧だったものが明確になっていきます。授業者にとってはごまかしがきかない、厳しい指導です。しかし野口先生がこのような指導をされるということは、授業者がそれに耐えられると判断したからだと思います。セミナー終了後の反省会では、授業者にとても温かく接していたことが印象的です。公的な場と私的な場をきちんと区別して接してくださいます。そこも野口先生の魅力です。

授業での問いに関連して、質問と発問の違いを示されます。
子どもに聞くのが「質問」。正解があって、そこにいたる道筋があるのが「発問」。「考えることができる」と問うのであれば、考えればいいのであって、その質は問われません。「正しく読み取る」ことを求める必要があります。
そういう意味で、今回の授業は活動主義であると評価されました。
いつものことながら、明確です。参加された方、授業者ともに多くのことを学べたと思います。正解にいたる道筋を明確にしておくことは、どの教科でも大切なことです。その道筋を子どもたちが見つけていく活動をどのようにつくっていくのかが、授業づくりのポイントであることを再確認することができました。

最後の講演は、「日本の誇り」という視点で皇室について話されました。
私たちは、自分たちの国「日本」に誇りを持てているのだろうかという問いかけから始まります。自分の出自である日本という国に誇りを持ってほしい。日本には世界に類を見ない長い歴史を持った国です。その象徴として皇室があります。昭和天皇のエピソードをもとに、皇室は私たち日本人が世界に誇れるものだということを話されました。
いつも思うことですが、いろいろな考えがある中で、批判を恐れずに自身の考えを主張する姿勢はとても立派です。よい悪い、正しい正しくないは別にして、批判されることがわかっていて主張することには勇気がいります。自分はあれだけ堂々と自分の考えを公の場で主張できるかと考えると、いささか心もとなくなります。

今年も野口先生のお話とその姿勢から多くのこと学ぶことができました。毎年お会いしていても、もうこれで十分だということがありません。今から、来年お会いできることを楽しみにしています。

地域の枠を超える動き

子どもたちの間で、スマートフォンやゲーム機などを利用したコミュニケーションでトラブルが増えています。その対策に頭を悩ませている学校は多いと思いますが、具体的な対策がとれていないのが現状のようにも思います。そんな中、保護者向けのネット講習会を企画したPTAと学校があります。家庭と学校が協力して対応していこうという試みです。この問題は1校だけの問題ではありません。市全体で取り組むべきだと考え、市内の全中学校を会場にして講習会を行うことを企画しました。急な話に「なぜ、今」と思う学校もあったようです。私には一刻を争うほど喫緊の課題になっていると思えるのに、意外な反応でした。
企画した学校からすれば、他の学校のことまで考えることは負担以外の何物でもありません。実際、市内の全中学校を会場として行うには外部の講師を手配する余裕も予算もありません。そこで、講師研修会を開いてPTAや地域の方、教師、自分たちで講師を務めようということになりました。自校のことだけを考えるのではなく、市全体のことととらえ、互いに協力して自分たちの手で子どもたちを守り育てていこうという姿勢に、これからの地域と学校のあり方の方向性が見えるように思います。

素晴らしいのが、この講師研修会を他の地域の方にも参加を許したことです。自分たちの負担でつくり上げたものを無償で提供するのです。行政主体であれば、予算の出どころのこともあり、このようなことは難しいと思います。しかし、行政ごとにそれぞれが一からつくりだすことは時間と予算のムダです。よいこと、必要とされることはそういった枠を超えて互いに共有すべきです。そのあたりまえのことをあたりまえのように実行されたことに頭が下がります。かく言う私も、参加を申し込みました。どの学校もネットの問題には頭を悩ませているようです。たくさんの地域学校からぜひ参加したいという声が上がってきました。
1つの地域、学校の試みをその枠を超えて提供し合い共有する。今回の研修会がきっかけとなって、このような動きが広がっていくことを期待したいと思います。

アンケートの対応も比べられる

秋は行事が多い季節ですが、最近はそれに伴いアンケートの季節とも言えるように思います。学校評価に関連してアンケートを取る機会が増えているのです。特に行事は終了後時間が経っていると記憶があいまいになるので、できるだけ早く実施することが望まれます。ではその結果の保護者へのフィードバックはどうでしょう。学校側の都合でいえば、反省と次年度の計画までに集計しておけばいいのでしょうが、保護者としてみれば1月も経ってからその結果見せられても、自分がどう答えたかも覚えていないということになります。

そこで最近はOCR(マークシート方式)やWEBのアンケートシステムを使って素早く実施・集計する学校が増えてきました。行事の翌週にはホームページにアンケートの速報が載っている学校も珍しくなくなってきました。とはいえ、結果を知らせるだけであればアンケートの意味はありません。その結果をどのよう評価し学校としてどう対応するかを伝える必要があります。しかし、結果はICTを活用して素早くできるとしても、分析や対応はすぐにできるわけではありません。以前に「保護者はホームページを通じて校長比べをしている」という言葉を伝えましたが(他校の取り組みをどう見るか参照)、このアンケート結果への対応も「校長比べ」の重要な要素のように思います。

結果を公表してもその内容についてのコメントがなければ、保護者の信頼は得られません。特に自由記述欄に意見を書いた方は、それに対する反応を期待しているはずです。公表するだけでは、かえって無視したようにもとられてしまいます。その意見を今後どのように扱かっていくのか、結果の公表とあわせて明確に伝えることが大切です。「こういう理由で対応することは難しい」「次年度に向けて検討する」このことを伝えるだけでも随分印象は変わります。意見を書いた方もそれがそのまま通るとは思っていません。きちんと説明されれば納得していただけるのです。もちろん、検討するといったことは次年度きっちりその結果を伝えなければいけないことは言うまでもありません。

ホームページも毎日更新することから、その発信内容の質が問われています。アンケートも素早く実施・集計することから、一歩を進んでその対応の質が問われてきているように思います。保護者の目には、学校間、校長間の格差がますます大きくなっているように見えているのではないでしょうか。
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