小中合同研修会で考えを伝えあう子どもをどう育てるかを考える

昨日の日記の続きです(授業参観で子どもたちの目指す姿を考える参照)。
小中学校の合同の授業研修会は、小学校の先生方を中心とした生徒役と中学校の研修主任による模擬授業と私の解説、講演でした。小中学校で連携して、考えを伝えあう子どもを育てようという試みです。小学校の先生方に今中学校が目指している授業を体験してもらうことで、そのよさを肌で感じてもらおうというわけです。

模擬授業は昨年この先生に講師をお願いした研修と同じ数学の相似の課題でおこないました(参加者も講師も多くのことが学べた研修参照)。
子ども役の先生方は、実に素直な反応をしてくれます。課題がよく理解できなければグループの人にたずねます。以前の研修会での子ども役と同じように反応します。この授業が対象によって変わらない安定したものであることがわかります。
5つの例をワークシートで埋めさせますが、発表は7人を指名して異なるものを黒板に書かせます。この数もよく考えられています。必ず自分のものと異なるものを書く人がいるわけです。こういうちょっとした仕掛けが、子ども同士のかかわりを作り出します。どの子ども役も、どのようなものが書かれるか真剣に見つめています。書き終わった後、それ以外のものを書いた人がいないかを挙手で確認しました。一つひとつを取り上げなくてもこうすることで子どもは認められたと感じます。

説明をさせる場面では、子ども役は面白いほど実際の子どもと同じ行動をとります。指名されると自分の席で授業者の方を向いて発言します。図で説明するために黒板の前に立っても、横にいる授業者に向かって説明します。発言は先生にわかってもらうことが目的になっているのです。子ども役の先生方の授業でも、同じことが起こっていると想像できます。授業者は、みんなの方を向いて話すように指示し自分は椅子に座りました。もちろん休むためではありません。子どもの視線から外れることで、発表者と聞いている子ども役とが互いに相手を見て話す、聞くことをねらっているのです。この場面が、子どもがだれに伝えようと話をしているのか、だれの話を聞こうとしているのかを、先生方が意識するきっかけになってくれることを期待しています。

指名された子ども役が自分の席で発言するときも、子ども役は授業者を向いて聞いています。授業者が指示して初めて発言者の方を向きます。ところが、次の発言者になると、またかなりの数の子ども役が授業者を見ます。今度は言葉でなく、目があった子ども役に対して身振りや目の動きで発言者を見るように伝えます。これも大切なポイントです。同じことを何度も注意されると嫌になりますし、また一部のできていない人のために注意されると、「彼らのせいでちゃんとやっている自分たちまでしかられた」とできている子どもは悪感情を持ちます。人間関係も悪くなってしまうのです。「○○さん、ちゃんと△△さんの方を向いて聞いているね。いいね、ありがとう」というようによい行動をほめて広げる方法もあるのですが、発言をする前にしないと、子どもの言葉を中断させることになってしまいます。言葉でなくジェスチャーで指示したのはとてもよい判断です。

子ども役の説明が不十分でもそのことを授業者は指摘しません。「納得した人?」と聞くことで、子ども役に判断を委ねます。この時、一部の子ども役が手を挙げませんでした。よくわからなかったのか、説明に欠けているところがあると考えたのか、どちらでしょう。本人に聞くのが早いのですが、この時は後者であることがすぐにわかりました。それは、挙手をしないのが特定のグループの子ども役だったからです。グループの中で共通のことがあるということです。このグループの1人を指名すると、説明に欠けていた言葉「相似」が出てきました。確認したところ、このグループの話し合いで「相似」という言葉が出てきていたそうです。授業者に、もし子ども役から「相似」という言葉が出てこなかったらどうするかをたずねました。「どうして、○○になるのかよくわからないんだけれど、だれか教えてくれる?」と物わかりの悪い教師を演じて、子どもに「教えて」と低い目線で問いかけるということでした。子どもに委ねるということは、思ったような考えがうまく出てこない可能性もあるということです。その時にどう対応するかはしっかり考えておく必要があります。教師が一方的に説明するのであれば、1本の線で授業を考えておけばよいのですが、子どもに寄り添い、子どもの考えや発言から授業をつくろうと思うといくつもの展開を考えておく必要があります。その多くは実際には使われず、授業に現れることはありません。教師の活躍が少なく見える授業は、教師主導の授業よりもより多くの教材研究を必要とするのです。

辺の比を求めるときどうすればいいのかを子どもの言葉でまとめさせます。このような問いかけはどの教科でも大切なものです。この問題、この教材、この場面でしか使えないものではなく、より汎用性の高いメタな考えへと、学んだことを昇華させる問いかけです。
ここで、ねらっていたのと違う発言がでてきました。授業者は問い返しても期待するものが出ないと判断して、受容した上でその考えを板書しました。ねらったことでなくても板書したのは、ねらいに近い発言を板書で取り上げながら深めるつもりだったからです。もし、板書したりしなかったりがあれば、されなかった子どもは自分の発言は間違いだった、教師がのぞんでいた答ではなかった、価値がなかったと思います。いくら言葉で認めてもそのことに気づきます。板書するのなら原則どの発言も板書する必要があります。少なくとも、板書するかしないかを教師が判断している、と子どもたちに感じさせないように注意をしなければなりません。そうしないと、子どもは自分が思ったこと、考えたことを言おうとせずに教師の求めることを発言しようとするようになるからです。
ねらいに近い発言に対しては、「どいうこと」と問い返し、深めていきます。1人のよい発言を受けてすぐに教師が説明するのではなく、続けて何人にも発言させます。同じことでも発言を重ねると何かしら付け足されていきます。こうして、教師が自分の言葉でまとめようとしなくても、子どもたちの言葉でまとめていくことができます。

子どもの言葉を活かし、子ども同士が伝え合う授業をつくっていくために大切なことが、実に自然に伝わる授業でした。この時期に大切にすべきことをたくさん共有することができました。これに続いて私からは、「この時期に大切にしてほしいこと」をテーマにお話をさせていただきました。

子どもたちの目指す姿を明確にして、それを子どもたち伝える時期であること。その姿をできるだけ具体的な場面で伝えてほしいこと。そして、ほんの少しでもできればそれを認め、ほめ、喜ぶことをお願いしました(この時期に子どもに伝えてほしいこと参照)。
また、学校全体で取り組むことが明確になっているのですが、形だけではのぞむ姿になるわけではないことを強く伝えました。別の学校でもお話しましたが(学習会で「コの字の机配置」「4人グループ」について話す参照)、友だちを見ていれば話を聞けるようになるわけではありません。コの字にすれば互いに相手を意識して聞きあえるようになるわけでもありません。もちろんグループにすれば学び合うようになるわけではないのです。あくまでも手段であって、目指すことを意識した教師のかかわり方が大切なのです。
また、互いにかかわり合って学んだ経験が少ない子どもたちであれば、今まで持っていた価値観を変えていくことも必要です。わからなければ友だちに聞く。上から目線でわかった人が説得するのではなく、聞かれたら相手が納得してくれるまで説明する。答が出せることではなく、人の考えを理解する、人に自分の考えを伝えることを大切にする。こういうことに価値があるのだと、子どもたちに伝えることが求められます。そのために教師がどう働きかければいいのかを意識して授業をすることが大切なのです。

先生方はとてもよく反応しながら話を聞いていただけました。この研修会を前向きにとらえていることがよくわかります。小学校と中学校が連携することで子どもたちの成長は加速します。先生方の取り組みの成果は子どもたちの姿となって表れます。今年の11月に研究発表会があります。「見てもらいたいのは先生方ではなく子どもの姿です」と言える学校になっていることと楽しみにしています。

授業参観で子どもたちの目指す姿を考える

昨日は、中学校で授業参観と小学校と合同の授業研修会をおこないました。
この学校は互いに伝え合い学び合う子どもたちを育てることを意識し、コの字の机配置による授業、グループの活動を取り入れようとしています。

授業参観は異動者、若手を中心に4時間おこないました。その際空き時間の先生が何人も同行してくれました。解説をしながら子どもたちのようすを観察しました。
まだ授業が開始されてから3、4日しか経っていないこの時期は、先生方がどのような授業を目指しているかを一番発信するときです。その目指すものを知ることを一番のねらいとしました。
コの字型の机配置にすることは互いに伝え合うためで、反応しながら聞くことが大切であると説明している授業がありました。教師の願いを伝えることはよいことです。しかし、その後の授業は教師が黒板の前で説明をし続けるものでした。子どもの発言の場面はほとんどありません。子どもは体をひねって教師の方を向いています。また、教師の言葉に反応してくれる子どもがいます。ところが、授業者はそのことに気づかなかったのか、何の反応もしませんでした。これでは、先ほど伝えた願いは絵空事です。目指す姿が現れるような授業展開を考える必要がありますし、その姿が見られれば特にこの時期は大げさに聞こえる程に認め、ほめることをしてほしいと思います。教師の願いは建前で、実際には授業を変える気持ちがないと子どもは思ってしまいます。

子どもに友だちの意見を聞いてほしいと願いながら、それと逆行するような教師の動きも目立ちました。

・子どもの発言が終わるや否や説明を始める。
教師の説明を聞けばいいのですから、友だちの発言を聞く必要はありません。
・子どもが発言している途中ですでにチョークを持って板書する準備をしている。
教師の板書は写さなければと思っているので、教師が何を書くかそちらに気持ちがいってしまいます。
・答え合わせで、子どもに発表させて、もう一度正解を教師が言い直す。
これでは、答を発表する子どもの役割は教師に正解か間違いを判定されるだけです。正解でもほめられもしなければ、間違って恥をかくリスク以外何もありません。もちろん、子どもたちは教師の判定を待って、正解だけを効率的に聞けばよいので、真剣に友だちの答を聞きません。

最後の例のように、発言しても間違えて恥をかくリスクが高ければ、積極的に挙手をしようとはしなくなります。実際に多く見られたのが、質問に挙手をする子どもが数人なのに、発表後同じことを考えた人と聞くとたくさん手が挙がるという場面です。この状態をよくないものと認識する感覚が必要です。まず子どもたちが安心して発言できる、間違えることができる雰囲気をつくる必要があります。ここから始めなければ互いに伝え合う以前に誰も積極的に発言しなくなってしまうのです。
残念ながら、この日見た授業は、先生方がどのような子どもの姿目指しているかは伝わらないものがほとんどでした。学校として目指す姿はあり、それを伝えることもしようとしていると思います。しかし、その姿を本当に見たいと思い、その姿をつくるための活動をする。その姿を見つけてほめ、広げる。そういったことが意識されて授業が進められていないのです。

異動したばかりの先生で、グループを使いながら子どもの発言を他の子どもにつなごうとしている方がいらっしゃいました。どんな子どもの姿を目指しているかはよくわかります。しかし、子どもが課題に食いついてくれなかったり、なかなか思うように活動しなかったりすると、子どもたちを動かそうと声が大きくなり自身のテンションを上げてしまいます。苦しみながらも子どもの意見を拾い上げ、いくつかに焦点化していきました。次第に子どもたちが友だちの意見について考え始めました。集中度がぐっと上がってきました。ところが、ここで、要点を教師が説明し板書してしまったのです。とても惜しい場面でした。ここでは、これらの意見についてもう一度グループに戻せば、今度はより多くの子どもがかかわり合えたと思います。
子どもの考えをつなごうとするのは、それまで経験したことのない方にとってはなかなか難しいことです。おそらく以前から意識して実践していたのだと思っていました。ところが、この学校に来て初めて挑戦しているということでした。これにはちょっとびっくりしました。実は研修主任が今年度の授業が始まると同時に自分の授業を公開したそうです。その授業を参考にして挑戦していたというのです。教科も違いますのでそのまま真似をすることはできません。子どもの発言を活かすポイントをその授業からつかんでいたということです。これから工夫をしながら授業を続けていけばきっと大きく成長すると思います。次回の訪問がとても楽しみです。
グループにしたからといって子どもがすぐにかかわり合えるようになるわけではありません。最初の内は、「○○を10見つける」といったたくさん見つけるような課題でグループをつくるとよいでしょう。力のある子どもでも1人では難しいので、友だちの力を借りる必然性があり、かかわり合うよさを実感しやすいからです。このようなことをお話しました。

また、今年異動してきた別の先生は、子どもの発言を笑顔で積極的に評価していました。とてもよい姿勢です。子どものよい発言を他の子どもに復唱させるなどつなぐことも意識していましたが、復唱できなかった時に自分が説明をしてしまいました。惜しい場面でした。ここは、元の発言者にもう一度話してもらうか、他の子どもに復唱してもらい、言えなかった子どもにもう一度復唱させたいところです。最後はちゃんとできたねとほめて終わりたいところでした。まだまだ、1人の子どもが発言するとそれを受けて教師がすぐに説明する1問1答が多かったのですが、子どもたちに求めている姿は伝わってきます。今後よい変化が期待できると思いました。
この先生は次の時間、私と一緒に授業参観してくれましたが、他の先生の授業からとても多くを学んでいました。自分の授業に欠けているところをたくさん見つけたようです。向上心がある先生にとって、この学校はとてもよい機会に恵まれています。グングン成長していくことでしょう。

全体での研修終了後、この日参観した先生方全員に対して1時間ほど話をしました。目指す姿が具体的になっていないことを強く指摘しました。自分の教科では子どもたちにどうなってほしいのか、それはこの授業ではどの場面でどのように行動することなのかと常に具体的にしていくことが大切です。楽しい授業を目指すという先生がいらっしゃいました。しかし、楽しいとは授業のどのような場面でどのようになることかは明確になっていませんでした。楽しい授業を目指すことがいけないのではなく、それが具体化できないところが問題なのです。厳しい言葉が多くなりましたが、この時期だからこそ真剣に受け止めてほしかったのです。

先生方からは知識をどう教えるかが質問として出てきました。試験に出ることを覚えさせなければいけない。そういう言葉も出てきます。「これは試験に出るから大切だよ」という言葉も授業の中では使われているようです。早く簡単に必要な情報を手に入れるという消費者的な態度を助長する言葉です。自分で考えるのは時間のムダで、早く解き方を聞いて覚えることが効率的だ。そう考える子どもをつくってしまうことにもつながります。何が大切か自分でちゃんと考えられる子どもにしてほしいと思います(何が大切か判断する力をつける参照)。
知識は原則として教えるか調べるしかありません。課題を解決するためには必要な知識を身に着けていなければなりません。そのことを教師は意識して、教えるのか調べさせるのか考える必要があります。調べるにしても、考える過程で知識が必要だと気づき、自分で調べる場合もあります。こういうことも考慮して授業を組みてることが大切です。
先生方の話を聞いていて感じたのが、教師が教えないと覚えない、試験に出ると言わなければ定着しないと信じているということです。もしそうなら、知識の定着はとても簡単です。試験に出ると言い続ければいいのです。「あれだけ試験に出るといったのにできていない人がいた」といった試験後のコメントが出てくるわけです。できないのは子どもが悪いと言っているのです。そうではありません。間違いなく授業が悪いのです。知識を定着させる方法を完全に見誤っているのです。学び方を知らないままに教師になったと言われても仕方ありません。今までに受けた授業が悪かったのでしょうか。
教科書に書いてあることを教師が説明しなければいけないということはありません。子どもたちが必要に応じて自分で理解してもよいのです。教師が説明しなければわからないというのは教師の驕りです。教師が説明しなくても自分で知識を得る子どもをつくることが大切なのです。知識は、覚えようとすることで定着するのではありません。利用することで定着するのです。運動で考えればわかるはずです。フォームをいくら教えても実際にやってみなければ身につきません。知識も同じです。定着させるためにはそれを活用する場面をつくることが大切なのです。

終了後も残って質問をしてくれた方が何にもいました。授業がうまくなりたいという思いを感じます。この日見た授業は、課題がたくさんあったかもしれませんが、それだけよくなる可能性もたくさんあるということです。この時期は修正もしやすいときです。よい方向に授業が変わっていくことを期待しています。

小中合同の授業研修については日を改めたいと思います(小中合同研修会で考えを伝えあう子どもをどう育てるかを考える)。

新卒対象の企業研修で刺激を受ける

昨日は、企業の社内研修の講師を務めました。対象は新卒を中心とした方たちです。
2週間の研修期間の2週目でした。互いの人間関係もできあがってきた段階でしたので、グループワークもとてもよい状態でおこなうことができました。
この企業で、昨年度にもほぼ同内容の研修を実務経験のある方を対象におこなっているのですが、その時と比べて興味深い相違点がありました。
経験者から出る意見は、経験者であるからこその深いものがあったのですが、その反面自分の実務上の立場からの視点に固定されやすい傾向にありました。それに対して新卒の方たちからは、柔軟な視点での意見が多く出てきました。経験を積むことはよいことなのですが、慣れてしまうことが視点の固定化につながっているようです。
また、経験者では、個人の意見を発表する際、ともすると自分の考えを主張しようとして、他者の意見を受け入れない方が多い傾向がありました。企業ですので評価に対する意識も強いのかもしれません。それに対して、新卒の方たちは非常に素直に他者の意見を受け入れようとします。表には出さないがきっと負けず嫌いだろうと思える人も、予想外に素直に受け止めます。経験がなくまだ何もわからないので、謙虚な気持ちになれるのかもしれません。グループワークでも、仲間の発言をしっかり受け止めようとする受容的な態度が多く見られました。
最後に各グループの代表に対して、私が相手役となってロールプレイをおこないました。それぞれに対してパターンを変えながら、対応に困る状況を意図的に作りました。うまくいかない代表者を批判的な目で見ている人は皆無です。「頑張って」と応援しながら、「どう対応しよう」と自分を重ね合わせながら見ていることがひしひしと伝わってきます。わからない者同士だからこそ、助け合おう、一緒に考えようという気持ちが強いのかもしれません。経験がないことがよい研修につながったように感じました。

これは、新卒であることより参加者の個性の問題だと思われるかもしれません。しかし、私には、新卒で経験は少ないがモチベーションが高いことがよい方向に働いているように思えたのです。
基本的に、経験を積むことは人を成長させますが、マンネリとなって考え方が固定化するといったマイナス面も出てきます。経験がないからこそ学べること、よくわかっていないからこその新鮮な視点もあると感じました。これは教師の世界でも同様だと思います。経験を積み、見なれた子どもたちの反応や行動に潜む問題に、経験の少ない者だからこそ気づけることもあるのです。

懇親会の席では、「1+1はなぜ2になるのか?」といった子どものころからの疑問をたずねてくれる方がいました。子どものころの疑問はそのうち忘れてしまう人がほとんどです。それを持ち続けているというのはとても素晴らしいことです。そういう方に出会えてとてもうれしく思いました。どなたも、目にすること、耳にすることを何でも吸収しようとするエネルギーにあふれている方でした。
彼らの意欲的な姿にとてもよい刺激を受け、私も彼らから多くのことを楽しく学ぶことができました。ありがとうございました。彼らに出会えたことと、その機会を与えてくれた企業に感謝です。

学習会で「コの字の机配置」「4人グループ」について話す

先日、学び合いに取り組んでいる市の中学校で学習会の講師をしました。若い職員が増え、「改めて、足下を見つめ直そう」ということで、「なぜコの字の机の配置なのか?」「なぜ4人グループなのか?」ということについて、4月のこの時期にお話をさせていただくことになりました。

コの字の机の配置のよさについては皆さんきちんと理解されているようでした。子どもが友だちを聞き手と意識して話す。聞き手が話し手をしっかり見て聞く。そのような子どもの姿をつくるためには、子ども同士が向き合うコの字の配置が優れているのです。その目指すところを活かすためのポイントをいくつかお話しました。
子どもの視線が子どもに向かなければコの字にする意味がありません。子どもが話しているときに、視線を他に奪うような行為は避ける必要があります。
教師が教室の前に立つと子どもどうしてもそちらを見ます。発言者が教師の方を向いて話し始めたら、友だちの方を向くように指示します。発言中に他の子どもの視線を感じたら、子どもの発言をじゃましないように目や手を使って、話し手の方を向くよう促します。教師がコの字の中に入ることで、視線を中に向けるようにするのもよいでしょう。子どもたちの姿勢を変えることなくやり取りができます。子どもと同じ目の高さまで教師が姿勢を低くすることも有効です。こうすることで、子どもの目線は教師ではなく友だちに向きやすくなります。
話している途中に教師が板書すると、子どもの視線は黒板に移ります(子どもの発言、意見をすぐに板書しない参照)。途中で問い返したりすることもできるだけ避け、途中で言葉をはさむ場合は、視線が大きく動かないようにコの字の中に入るようにします。
もう一つ大切なのが、聞き手が反応することです。友だちを見て話すということは、その反応を見るということでもあります。子どもたちが、うなずきながら聞く、よくわからなければ首をかしげるといった反応をする聞き手に育っていることが大切です。子どもの発表場面だけでなく、教師が話をする場面、授業以外の場面などいろいろな場面で、「○○さん、うなずきながら聞いていたね。△△さん、気づいていた? どんな気持ちがした?」「今うなずいてくれた人がいるね。納得した?」「首をかしげてくれたね。反応するのはとてもいいことだね。何か困ったことがあったのかな? 聞かせてくれる」と反応することを価値づけして聞く姿勢を育てる必要があります。
机をコの字の配置にすれば、子ども同士がかかわり合って話す、聞くようになるわけではありません。教師の意図的なかかわり方が必要になるのです。

4人グループについて、ペア活動との違いをお話ししました。ペアは1対1ですので逃げられない関係です。小学校の低学年では抵抗がありませんが、自我が発達してくる中学年以降はうまく成立しないこともよくあります。その点4人グループはペアよりも緩い関係です。子どもたちにとってよりかかわりやすい場となります。中学校ではペアよりも4人グループの方が使いやすいのです。
4人グループに限らず、学び合いを成立させるためのポイントは「聞く」ことです。一方的に教える、教えられる関係になってはいけません。子どもがわからなければ自分から聞き、聞かれたら一生懸命教える、こういうかかわり方が大切です。友だちに聞ける子を育てるためには、教わることへの抵抗感をなくすことが必要です。その第一歩として、個人作業の共同化があります。聞けなくても、友だちの手元を覗くだけでもよいのです。こうしてわかる経験を積むことで友だちに頼る、聞くことへの抵抗感をなくしていくのです。
4人グループのよさの1つに、活動量の確保ということがあります。子どもたちが活発に活動しているように見えても、実は発言しているのは一部の子どもだけで、多くの子どもは傍観者になっていることもよくあります。4人グループにすることで、子どもたちが積極的に参加する機会を増やすことができます。とはいえ、何でも4人グループにすればうまくいくわけではありません。課題の内容、課題の把握や出力、教師のかかわり方など、4人グループを活かすためにはたくさんの要素を考える必要があります(グループ活動を活かすために参照)。

先生方の考えを拾いながら進めたかったのですが、時間の関係もあり後半は一方的な講義になってしまいました。それでも、皆さん集中して話を聞いていただけ、とてもうれしく思いました。

学習会終了後、英語の若手教師が質問に来てくれました。GDM(「GDM英語教授法研究会」参照)を取り入れている方です。GDMのように、1時間に1つのことをいろいろな形で考え、基本的に個人で取り組むものであれば、最後まで頑張って理解することができる子どもも、教科書や問題演習のように一定時間でこなさなければいけない課題のときに、うまくまわりとかかわれなくて、結局教師が個別に対応しなければならなくなることがあるそうです。どう対応すればよいかという質問です。GDMのようにすべて英語で進む授業でも、最後まで頑張ればわかるという成功体験をしていれば頑張れるものです(子どもが積極的になるには参照)。しかし、限られた時間の中でこなす課題の時には、なかなかそうはいきません。自力では解決できない、うまく友だちとかかわれないのであればどうしても教師が助けてしまうことになります。しかし、教師に教えてもらって解決する経験を積むと、ますます教師に頼り友だちとかかわれなくなります。なんとか友だちとかかわれるようにする必要があります。「聞いてごらん」と友だちにつなぐことはきっとしているのだと思いますが、聞かれた側にわかるまでしっかり説明することを徹底することが必要かもしれません。先ほども述べましたが、最初は友だちの答を覗く、写すところから始めてもよいかもしれません。友だちとかかわることでうまくいくという成功体験を、まず積ませるのです。
とても真剣に授業に取り組んでいるからこそ出てくる質問でした。明確な答を出すことができなくて申し訳なかったのですが、私にとってはかかわれない子どもにどう対応するかを考えるよい具体例になりました。ありがとうございました。

いつものことですが、私がお話する以上に先生方から学ぶことが多い1日でした。先生方に感謝です。

入学式で思う

昨日は、中学校の入学式に来賓として参加しました。

いつものように式に参加する子どもたちのようすを観察していたのですが、校長式辞の際に面白いことに気づきました。式辞ですので、最初は型通りの言葉が並びます。続いて本題に入りました。中学生活を楽しいものにしてほしいという言葉に続き、その楽しさとは何かについての話になりました。そこで子どもたちの集中が明らかに上がるのを感じました。それまでも決して悪い態度であったというわけではありません。静かに聞いていたのですが、顔がより上がる、姿勢を直すというようにしっかり聞こうという姿勢を見せたのです。在校生だけでなく新入生も同様です。子どもたちは、話のどの部分が大切なのかちゃんと聞き分けているということです。優秀な子どもたちです。大切なことに集中するというのはとてもよいことです。その一方で、最近の子どもに感じる功利性にもつながることではないかと懸念を持ちました。過程を省いて早く結果をほしがる。コストをかけずに早くよいものを手に入れたいという消費者的な行動につながることのように感じたのです。実際のところはわかりませんが、このことを心にとめて彼らを見ていこうと思います。

入学式に続いて始業式です。私たち来賓は入学式で退場ですが、この市独自の制度である地域コーディネーターの方はそのまま始業式も参観されました。毎年のことです。機会があれば、少しでも学校の情報を得よう、子どもたちのようすを見ようという姿勢の表れなのでしょう。地域がかかわるといっても、決められた会議等に参加するだけという形式的な役職も目にします。そうではなく、本当に自分にできること、自分がなすべきことを考えて子どもたちのために、学校のために何ができるかを考えていることがよくわかります。保護者や教師だけでなく、こういう方々の支えがあってこそ、子どもたちがよりよく育っていくのです。私も微力ながら少しでもお役に立てるように努力したいとあらためて思いました。
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